症例 現代のゲージ6
(ゲージやエリオットと同じような行動面・意思決定面での問題を持つ疾患として)取り上げるのは,病徴不覚症である。具体的には,たとえば,脳血管障害により左半身が完全に麻痺し,手足を動かすことができず,顔面も半分動かなくなり,立つことも歩くこともできなくなったにもかかわらず,当人はそうした問題に気付いておらず,気分はどうかと聞かれても,「いいです。たぶん何も問題はない。」と答えるような状態像を呈するものである。これが,左右が入れ替わり,右半身が麻痺するなどの症状がある人の場合には,言語に障害が出る場合はあるが,自らの不自由をつらく感じているようであり,病徴不覚症は見られない。
病徴不覚症の患者に,動いていない左半身についてたずねると,正常に動いており,もしかすると,以前に動きがおかしくなっていたことはあるかもしれないが,今はそうではない,と答える。さらに,左腕を動かすように促すと,左腕を探し,動きのない腕に目をやって,この腕は単独では大したことはしないようです,右手を使えば動かせますよ,と答える。現実を突きつけられても,よくそういう問題があった,無視することにしている等,自身の身体に起きている現実を認識する機能が不全を起こしている。
現実をあるがままに受け入れることができない原因は,知的な機能によるものというよりは,情動に関する問題によるもののようである。彼らは,自分が置かれている状況に無関心であり,感情も平板であって,病状についての深刻な話をされても平然としており,時にはブラックユーモアを交えて,他人事のように語るのである。苦悩や悲しみ,絶望やパニックなどは全く見られない。脳の左半球が障害された患者らとは対照的である。自らの今後の生命身体に関わるような重大事項についてすら淡々と受け止めてしまうのだから,おそらくゲージやエリオットのように,自分の人生をだいなしにする可能性があることについても,そのリスクを無視した行動を取ることになる。
病徴不覚症に関する体系的な研究で,スティーヴン・W・アンダースンは,次のように述べている。「問題が広範囲に及んでいることを確認し,患者たちが麻痺に対して無頓着であるのと同じくらい,自分たちが置かれている状況と,それがもたらす結果に対しても無頓着である。多くの患者が悲惨な結果になる可能性が高いことを予見できないようである。また,たとえ彼らがそれを予測するとしても,それで苦しむということはなさそうだ。明らかに彼らは,今自分たちの身に起こっていること,将来起こるかもしれないこと,そして他人が彼らについて思っていることに対して,適切な理論を構築することができない。同じくらい重要なのは,彼ら自身の理論づけが不適切であることに,彼ら自身が気付いていないこと。自己イメージがそれほどまでに弱まると,その自己(セルフ)の思考や行動がもはや正常でないことを認識することは可能ではないのかもしれない。」
病徴不覚症が起こるのが右半球の損傷によるものであるらしいということは,これまでに記載されているとおりである。脳は左右で機能を分担しており,身体感覚や運動に関する機能については,左脳は右半身,右脳は左半身を受け持つという分担になっている。病徴不覚症の原因となる機能は右脳に存在するが,左脳には存在しない。これとは逆に,言語の処理に関する機能は左脳に存在するが,右脳には存在しない。ただし,言葉の抑揚あるいはトーンについては右脳で処理すると言われている。
病徴不覚症においては,右脳の体性感覚野(接触,温度,痛み等の外感覚と,関節位置,内臓状態といった内感覚をつかさどる:島皮質等も含む)に損傷がある。また,それと身体から来る信号を受けるためのルートである白質にも損傷が及び,視床,基底核,運動野,前頭前野との情報連絡も阻害されている。病徴不覚症等の研究から,右半球の中で情報をやり取りすることで,調整されたダイナミックな身体感覚に関する地図が作られることや,身体外の空間や情動のプロセスの表象に右半球が大きく関与していることが明らかとなっている。また,言葉のトーンは情動の認知に関わるものであることから,右脳で処理されていると考えられている。痛みの不快感に関わる島皮質や情動に関わる脳領域が意思決定や行動調節にも深く関わっていると推察される。
病徴不覚症の患者は,前頭前野に損傷を持つ患者に似ている。彼らも個人的,社会的問題に関して適切な決定ができない。また,前頭前野損傷患者は,病徴不覚症の患者のように,たいてい自分の健康状態には無関心で,痛みについて異常な我慢強さを持っているように見える。両者を分けているのは,病徴不覚症の患者の場合において,深刻な運動と感覚の障害があり,社会生活を送ることができる場面がきわめて限定的であることである。
病徴不覚症の患者の場合によく見られる,彼らに特有の問題もある。彼らは手足等の機能回復を目指してリハビリを勧められることが多いが,自身の問題の深刻さを認識していないために,そうした取組みには消極的であり,一見愛想よく振舞って協力的なようなことを言ったとしても,その場限りで当てにはならない。まれに,社会生活に復帰しようとする患者もいるが,前頭前野損傷患者と同様の問題を呈することになる。最高裁判所判事ウィリアム・O・ダグラスの事例を見てみよう。
彼は,1975年に右半球の脳卒中を起こした。言語障害がなかったことは良いことのように見えたが,積極的に職場に復帰しようとすればするほど,彼の問題の深刻さが明らかになった。
ダグラスは,医師の忠告に従わず,勝手に病院を抜け出し,裁判所に出向いたり,金に糸目を付けずに買物や食事をしたりした。知人に対して,入院したのは「転んだせい。」と冗談めかして言い,左半身不随は作り事だと否定したが,当初は知人も彼特有のユーモアと理解していた。さらに,記者会見で,介助なしに車いすの乗り降りさえできないことを渋々認めはしたが,「歩くことは裁判所の仕事と関係ない。」と自身の問題を矮小化した。しかも,彼は記者らに,来月一緒にハイキングに行こうと誘ったと言う。その後,リハビリを行っても効果がないことが明らかとなってからも,見舞客に対して,「左足で40ヤードのフィールドゴールを蹴っている。プロチームと契約するつもりだ。」などと豪語して見舞客を驚かせ,「君は私がどれほどのキックをしているか見るべきだよ。」等と付け加えた。裁判官の仕事においても,しばしば他の判事やスタッフたちとの約束を守らなくなり,仕事をこなせなくなったのが明らかであるのに,頑として辞職することを拒んだ。辞職を余儀なくされた後も,仕事を続けているかのように振舞った。
病徴不覚症の患者は,単に身体の障害だけでなく,しばしば推論や意思決定の障害,情動や感情の障害を抱えている。
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