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症例 現代のゲージ3

 エリオットに対しては,WAIS以外にも,様々な検査が実施されている。レイの単語表や複雑な数字に対する遅延想起は平均だった。「多言語失語症試験」という言語に関する一連のテストでは正常だった。ベントンの標準検査を用いて,顔の識別,線の方向判断,地理的方位検査,二次元及び三次元の積み木構築などの検査を行ったが,視覚情報処理やその情報の統合,構築といった技能に問題はなかった。レイ=オスターリースの検査の複雑な数字の反応の反復も正常だった。また,前頭葉に損傷のある患者で異常を示すことの多い干渉手法を用いた記憶検査,たとえば,子音3文字を記憶させ,数字を逆に数えさせながら,3秒後,9秒後,18秒後に覚えている子音の言わせるものなどを問題なくこなした。

 前頭葉の機能検査として使われることの多い,「ウィスコンシン・カード・ソーティング検査」においても,前頭葉に障害があると,それまでのやり方に固執して変化に対応できない傾向が示されるところ,彼は難なく処理することができた。さらに,知識をもとにして推測する能力,たとえば,ニューヨーク市には何頭のキリンがいるかという問題の答えを出すには,キリンが北米原産でないことや,いるとすれば動物園など限られた場所のみであること,ニューヨークにはそうした施設が何か所あることなどを考え,さらに各施設にキリンが何頭いそうか推測し,それらの情報を統合して計算し,数を割り出さねばならず,多くの前頭葉損傷患者にとっては困難な課題であるが,エリオットは難なくそれに答えることができた。

 このように,脳機能の検査はほとんど問題なくクリアした。あとは人格検査である。実施されたのはMMPI(ミネソタ多面人格目録)である。550の質問にイエスかノーかで答える検査の結果は,特段の問題は認められないということだった。

 前頭葉にダメージを受けた後に大きな変化が起こったにもかかわらず,神経心理学的手法では何も問題を見つけられなかった。ただし,エリオットほど顕著なケースは例がないが,前頭葉損傷の患者の中には,多かれ少なかれ,そうした行動面の変化と検査結果との乖離が見られるケースはあった。既存の検査で検出できない問題とは何か。それを知る手掛かりは,彼の問題が,個人的,社会的な問題について判断する,あるいは結論を出すときに顕在化するところにある。

 エリオットの問題がどこにあるかを探る様々な検査等を実施している。

 彼の実際の行動と認知能力等との乖離があることはこれまでの検査結果から概ね確認できているが,さまざまな判断を要する場面で,どう判断・行動すべきか分かっていることの裏付けを取るために,今回は倫理的ジレンマと投資等に関わる判断を確認する問題を行った。例えば,現金が必要だが持ち合わせがないとき,盗むチャンスがあり,かつ見つからないという実質的保証があれば盗みをするか,また,もしX社の過去1か月の株価動向を知っていたら持ち株を売るか,それともさらに買うか,といった問題である。エリオットは,良識ある人々と同じように倫理的な判断力があり,金銭の絡むことにも理性的な回答をすることができた。

 ここまでの検査類は,質問に対してあれこれと論理的に考える(推論する)だけで答えられる問題だった。彼の問題を探るために,次は,推論を意思決定につなげる機能があるかどうかを見る課題を考案する必要がある。

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