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症例 現代のゲージ8

 ゲージ等とは若干異なるが,前帯状回の損傷が及ぼす問題についても確認しておく。要約の前に取り上げた扁桃体は,情動に関わり,好き嫌い等によって行動の方向を左右する役割を果たすものの,活動性を低下させることはないのに対し,前帯状回は情動に関わり,活動性そのものを支える機能を持つ。このため,この領域が損傷すると,情動・注意・作動記憶・思考活動・推論等,知的及び情緒的な面のあらゆる機能が低下する。いわば,心的及び外的(運動)の仮死状態に陥ることになる。

 こうした問題を抱える事例として,ミセスTを紹介する。彼女は,脳卒中で両半球の前頭葉の背側と内側領域に大きなダメージを受け,以後動くこともしゃべることもせず,ベッドの上で目を開いて無表情のまま横になって過ごすことが多くなった。運動機能も言語能力もそれら自体は損なわれていないようだが,体調を聞いても答えることはなく,うまくいけば,どうにか自分や家族の名前,住んでいる町の名前を言うことがあるという程度であり,ほとんど黙ってそこにいた。医師からしつこくあれこれと聞いても腹を立てる様子はなく,また自分の状態について苦悩を示したりすることもなかった。

 数か月後,(おそらく治療の効果があって)質問に応じるようになり,当時の心の状態についても語ってくれた。彼女は,コミュニケーションがないことで苦しみを感じることはなかったと言った。回想しながら,「本当に話すことが何もなかったんです。」と淡々と語ったのだった。対応していたダマシオによれば,ずっと感情というものがなかったように見え,外からの刺激にも無関心で,注意を向けることもなく,内面のことも気になっていないようであった。

 1930年代にロボトミーを試みたエガス・モニスに影響を与えたと思われる動物実験についても紹介しておく。

 まずは,イェール大学のフルトンとヤーコプスンがチンパンジーに対して行った実験である。2匹のチンパンジーは,もともとは,前頭前皮質の学習への影響を調べるための実験に用いられ,左右の半球に,別々にダメージ(白質切除)が与えられた。一方の半球へのダメージは,個性にも行動にも大した変化はもたらさなかった。しかし,もう一方の半球へのダメージは,チンパンジーたちの行動に大きな変化をもたらした。もともとはすぐに欲求不満に陥り,ひどく狂暴になっていたのに,とても穏やかになったのである。

 この結果を彼らが1935年に世界神経学会議で発表した時に,モニスが質問に立ち,精神病患者の興奮等を抑えるために,チンパンジーに与えたと同様のことをすると,何らかの効果が期待できないか,との考えを提示したが,フルトンには答えることができなかった。

 フルトンらによるもう一つの実験においては,チンパンジーの手が届く範囲に二つの容器を置き,その一方にエサを入れて,その後カバーをかけて見えなくしたとき,どのような行動が見られるかを調べた。その結果,正常なチンパンジーは,見えなくなった後もエサのあった方を記憶していて,正しく手を伸ばしてエサを手に入れることができたが,前頭前野を損傷したチンパンジーは,この課題をこなせなかった。

 また,ロナルド・マイヤーズは,サルを用いた同様の研究を行い,前頭前野を切除すると,サルの社会的行動に異常をきたすことを報告した。こうしたサルは,グルーミング行動がひどく減ったほか,年齢性別を問わず,どのサルに対しても情緒的な相互作用が著しく減った。母親的行動は見られなくなり,性的無関心に陥っていた。他のサルから受け入れられず,受け入れられることを求めることもなかった。別の脳領域(たとえば運動野)の損傷によって四肢に障害を抱えるようになったサルの場合は,見た目の障害は大きいが,他のサルとの関係は保たれていた。

 こうした動物実験から,ヒトの前頭前野の機能についても関心が持たれ,その後の研究の礎となっている。

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