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症例 現代のゲージ2

 CTやMRIを用いてエリオットの脳の損傷部位を確認すると,おおまかには,左半球の方が右半球よりずっとひどく損傷している。左半球においては,損傷部はすべて眼窩部と内側部にあった。右半球においては,眼窩部と内側部に加えて前頭葉のコア(大脳皮質下にある白質)も破壊されており,右前頭葉皮質のかなりの部分が機能不全になっていた。無傷であったのは,前頭葉の外表面,運動の制御に関する運動野や前運動野,言語と関係するブローカ野とその周辺,記憶に関わる前脳基底であり,これらの部位が担う機能は保たれていた。それ以外の,側頭,後頭,頭頂の各領域は,左右半球とも無傷だった。皮質下にある基底核や視床も同じく無傷であった。総じて損傷の程度は大きくないと言えるものの,推論や意思決定に不可欠の脳部位を失っていた。

 前頭葉に損傷のある患者は,一見問題がないように見える場合も,WAIS等の神経心理学的検査によって,記憶や注意等の障害を検出できることが多いが,エリオットはそれに該当しない。別の研究所で行ったWAISでは,IQは高い範囲にあり,障害の兆候は全く見られなかった。器質的な問題が見られないことから,心理的な問題とされ,サイコセラピーを行ったが,効果は見られず,ダマシオのところに回された。検査ではすべてを検出できるわけではなく,おのずと限界がある。エリオットの問題は,その時点での既存の検査で検出できるものではなかった。ただし,彼のような問題を検出する検査等をデザインすることは可能である。後に出てくるが,アイオワ・ギャンブリング・タスクがそれである。ダマシオの考案によるものである。

 エリオットに対しては,WAIS以外にも,様々な検査が実施されている。レイの単語表や複雑な数字に対する遅延想起は平均だった。「多言語失語症試験」という言語に関する一連のテストでは正常だった。ベントンの標準検査を用いて,顔の識別,線の方向判断,地理的方位検査,二次元及び三次元の積み木構築などの検査を行ったが,視覚情報処理やその情報の統合,構築といった技能に問題はなかった。レイ=オスターリースの検査の複雑な数字の反応の反復も正常だった。また,前頭葉に損傷のある患者で異常を示すことの多い干渉手法を用いた記憶検査,たとえば,子音3文字を記憶させ,数字を逆に数えさせながら,3秒後,9秒後,18秒後に覚えている子音の言わせるものなどを問題なくこなした。

 前頭葉の機能検査として使われることの多い,「ウィスコンシン・カード・ソーティング検査」においても,前頭葉に障害があると,それまでのやり方に固執して変化に対応できない傾向が示されるところ,彼は難なく処理することができた。さらに,知識をもとにして推測する能力,たとえば,ニューヨーク市には何頭のキリンがいるかという問題の答えを出すには,キリンが北米原産でないことや,いるとすれば動物園など限られた場所のみであること,ニューヨークにはそうした施設が何か所あることなどを考え,さらに各施設にキリンが何頭いそうか推測し,それらの情報を統合して計算し,数を割り出さねばならず,多くの前頭葉損傷患者にとっては困難な課題であるが,エリオットは難なくそれに答えることができた。

 このように,脳機能の検査はほとんど問題なくクリアした。あとは人格検査である。実施されたのはMMPI(ミネソタ多面人格目録)である。550の質問にイエスかノーかで答える検査の結果は,特段の問題は認められないということだった。

 前頭葉にダメージを受けた後に大きな変化が起こったにもかかわらず,神経心理学的手法では何も問題を見つけられなかった。ただし,エリオットほど顕著なケースは例がないが,前頭葉損傷の患者の中には,多かれ少なかれ,そうした行動面の変化と検査結果との乖離が見られるケースはあった。既存の検査で検出できない問題とは何か。それを知る手掛かりは,彼の問題が,個人的,社会的な問題について判断する,あるいは結論を出すときに顕在化するところにある。

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