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フィネアス・ゲージの事例1

 1848年夏,日もまだ高い午後4時半頃に,その事故は発生した。場所は,アメリカ北東部にあるバーモント州。鉄道の敷設工事の作業中の事故であった。この事故により重傷を負ったのが,現場監督を務めていたフィネアス・P・ゲージである。

 当時25歳であった彼は,ラットランド・アンド・バーリントン鉄道に勤務し,鉄道の延伸工事に従事していた。急傾斜地が多いばかりか,岩盤も硬く,工事は困難を極めていた。その鉄道敷設工事の先頭に立つとともに,筋肉質で一癖も二癖もある大勢の作業員たちをまとめるのが彼のミッションであった。この容易ならざるミッションを彼は日々こなし,上司からは,その道で最も敏腕で,誰からも信頼される有能な男と思われていた。たとえば,発破を仕掛けるときは,率先して危険に立ち向かう勇気と,ミスの許されない作業に取り組む慎重さや集中力が求められるが,彼にはそれがあった。

 発破を仕掛ける手順は,おおまかに,次のとおりである。まず岩に穴をあける。そこに半分程度の火薬を充填し,導火線を挿入する。そこに砂を掛ける。このあとの作業は慎重に行わなければならない。砂を穴に詰め込むために,鉄の棒でトントンと何度かたたくのだが,ここで加減を間違えると,その瞬間に火薬が爆発する。しかし,詰め方が甘いと,火薬が爆発したときに砂が穴から飛び出し,岩を砕くことができないので,しっかりと詰めなければならない。ここまでの準備をして,最後に導火線に火をつけるのである。最も慎重さを要求される砂詰めに用いる鉄棒はゲージの特注品である。経験を積んで,鉄棒の形状や使い方を熟知していた発破名人がゲージだった。

 事故はほんの一瞬のスキを衝いて起こるものである。ゲージの場合も,まさにそれだった。まだまだ暑い晩夏の太陽がようやく傾いてきた頃,疲れが徐々にたまってきていたのだろう。最も慎重であらねばならない発破の準備中であったが,誰かが呼ぶ声にゲージは振り返った。その間に,手伝いの男がいつものように砂を入れてあるものと思い込んで鉄棒を穴に突っ込み,火薬をそれで叩いた。その瞬間に火薬が爆発した。砂が入っていなかったのである。岩はびくともせず,穴の中に残っていた岩の細かなかけらなどが,爆風とともに吹き飛んだ。鉄棒も吹き飛ばされ,音を立てながら遠くまで飛んで落ちた。ゲージを見ると,地面にたたきつけられていた。爆風とともに飛んだ鉄棒は,ゲージの左頬あたりから頭頂部付近を貫通し,さらに30メートル以上も飛んでいたのだった。しかし,頭部に致命的とも思われる重傷を負ったが,ゲージは生きていた。そればかりか,意識すらあった。ただ,茫然としていた。

 いったい何が起こったのだろう。事故から一週間ほど過ぎた頃,いくつかのメディアが事故について報道した。

 ボストン・メディカル・アンド・サージカル・ジャーナルは,「爆発直後,患者は仰向けに投げ出され」,その直後「臨終特有の痙攣動作」を数回示し,「数分間話し」,「部下たちが抱きかかえて数ロッド(1ロッドは約5メートル)離れた道路まで運び,牛車に座らせた。そしてゲージは背を伸ばして座ったまま,1.2キロ乗って,ジョーゼフ・アダムスのホテルに行き」,「部下たちのわずかな助けを借りて,みずから牛車を降りた」と記している。

 ホテルで対応に当たったのは,ミスター・アダムスである。彼はホテルと居酒屋のオーナーであり,キャベンディッシュの治安判事でもあった。彼はゲージに駆け寄り,近くにいた者に指示して町の外科のハーロウ医師を呼びに行かせた。医師が来るまでの間に,アダムスは,「オーマイガーッ。」と感嘆の声をあげ,独り言のように「ミスター・ゲージ,これはいったいどういうことだ。」という言葉を発している。そして,ホテルのポーチの日陰にゲージを連れて行って座らせ,レモネードか何かの飲み物を用意した。

 爆発から一時間ほどが経過して,エドワード・ウィリアムズ医師が到着した。ハーロウ医師の後輩が代理で来たのである。この時の状況について,ウィリアムズ医師は次のように述べている。

 「その時彼は,キャベンディッシュにあるミスター・アダムスのホテルのピアザ(ポーチ)で椅子に座っていました。私が駆けつけると,アダムスが『ドクター。やっかいな仕事だ。』と言いました。私は,馬車を降りる前にまず彼の頭の傷に気が付きました。脳の脈動がとてもはっきりしていました。もう一つ,診る前にはどうしてそうなったか説明が難しいものが目に入りました。頭のてっぺんがじょうごを逆さにしたように見えていたのです。診てみると,それは,孔の周りであらゆる方向に約5センチにわたり骨が破壊しているためであることが分かりました。いや,(医師としては)こう言うべきだったでしょう。頭蓋と外皮を貫通している孔は直径およそ3.8センチ。この孔の端がめくれ上がり,傷全体としては,まるで何か,くさび状の物体が下から上に通り抜けたように見えました。私がこの傷を診ている間,ゲージは,どんなふうにけがをしたかを,周りで見ていた人たちに話していました。話しぶりはとても理性的で,質問にも嫌がらずに答えようとしていましたから,私も,事故の時一緒だった部下たちではなく,本人にいろいろ質問したほどでした。そのときミスター・ゲージは,その後もずっとそうですが,状況について詳しく私に話してくれました。だから当時も,そしてたった一度を除けばその後もずっと,私は彼が完全に理性的であると思っていました。一度だけ,どうかなと思ったのは,事故から二週間目のことです。彼はあくまで私を『ジョン・カーウィン』と呼び続けていたので,これには違和感を持ちました。しかし,私の質問にはすべてまっとうに答えていました。」

 ゲージの頭部を貫通した鉄棒については,ハーバード大学の外科医であるヘンリー・ビゲロウ教授が記述している。

 「頭蓋を貫通した鉄棒は,重さが6.2キロ,長さは109センチである。しかし最初に突き刺さった先端部は勾配がついていて細くなっていた。勾配部は18センチ,先端の直径は6ミリ。たぶんこういう状況が患者の命を救ったのだろう。鉄棒は特別なもので,近所の鍛冶屋がオーナー(ゲージ)に気に入ってもらおうとして作ったものだ。」

 事故後の治療には,事故現場近くの外科医であるジョン・ハーロウ医師が当たった。当時は抗生物質が発見される前のことであり,戦争等における兵士の傷の手当をするときと同様,洗浄と石炭酸による消毒を行った。傷口からの感染症で命を落とす兵士も少なくなかった時代である。ハーロウ医師は,傷の手当方法を熟知し,ゲージの傷口を精力的かつ定期的に洗浄し,膿瘍ができて高熱を出したときには素早くメスで除去した。二か月足らずの治療を経て,ゲージは治癒を宣言された。

 治癒を宣言されたフィネアス・ゲージが今なお取り上げられるのは,その後の彼の変化のためである。

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