一筋縄ではいかない人々(信頼)
閉鎖施設の中には、職員を悩ませる様々なタイプの人々が存在する。
例えば、統合失調症や薬物乱用後遺症などの精神科領域の変調ゆえに、自らが他者から殺害される恐怖にとらわれるなどして、自身の生命を守ろうと必死で逃げたり攻撃したりする人がいる。こうした人々は、客観的には安全が十分に確保されている閉鎖空間にあるにもかかわらず、自分が脅かされている差し迫った状況にあるとの確信(妄想)に支配されているので、その恐怖から逃れるために身辺にあるものを脅威を感じる方向に投げつけ、壁を殴る蹴るなどし、さらには耐え難い恐怖から逃れようと壁に自身の頭を繰り返しぶつけるといった興奮状態が収まらない。制圧と鎮静剤以外にはコントロールの方法がない。
それとは180度異なるタイプの厄介な人々もいる。施設のルールを熟知し、職員にわずかでもそのルールに反することがあったら自身が職員から不当な扱いを受けたと救済を訴えるなど、常日頃からいわゆる揚げ足取りを目論んでいる。職員の些細な不当行為を目撃すれば、それをネタに職員を脅して自分に有利な計らいを要求(当然にルール違反である)し、職員が応じたら更にそれをネタにルール違反の要求を次々と重ねて職員を籠絡し、泥沼に引きずり込むようなタイプである。
上記の例ほど厄介ではないが、一筋縄ではいかない人々とは日々接することになる。その一例を紹介しよう。
施設に収容されている人には、自身の所持金で本を購入することが許されている。ほしい本を注文する書類を作成して提出すると、職員が取りまとめて書店から購入し、注文者に届けるというシンプルな仕組みである。図書を配布する係の職員は、配布後の注文者からのクレームがないように、注文者に手渡す際その場で本の状態を確認させる。明らかな汚損等がなければ数秒で確認を終えるのが普通であるが、中にはまるで1ページずつ読んでいるかのように時間をかけて確認する注文者がいる。広い意味での嫌がらせである。確認作業に許される時間を制限する規定はなく、係の職員がせかすようなことを言えば、確認作業を十分にやらせなかったことを理由に救済を申し出ることが注文者にはできる。救済の申し出があると、係の職員は不適正な対応をしていないか上司から事実確認の調査を受けることになる。そうなると、確認作業のために待たされるよりももっと面倒なことになるのである。その際、注文者自身も救済の申し出の書類を作成したり、その後事実関係の調査を受けることになるのは面倒なので、そこまでやる注文者は多くない。しかし、それを申し出るかどうかは注文者に委ねられているので、職員としては注文者への難しい対応を迫られるのである。
嫌がらせは、新任の職員に対する洗礼としてなされることが多い。この場合は悪意ある嫌がらせというよりは新任職員の「品定め」という意味合いが強い。本の状態の確認にわざと時間をかけて新任の職員を困惑させ、出方を見るのである。職員がいつまでも時間をかけられては仕事が進まないなどと考えて「あと1分。」と言ったとすると、時間制限が設けられているわけではないのに制限されたと権利の侵害を主張して救済の申し出をする理由を与えることになる。また、「あとが詰まっているので早めに確認してください。」と言えば、自分とは関係のない理由で確認作業を早める圧力を受けたと訴える。「確認作業にあとどのくらいかかりそうですか。」と言っても圧力をかけられたと訴えるであろう。なかなか一筋縄ではいかない厄介な人たちである。ある時、本を届けに来たのが新任職員であると見て、一人の注文者が一冊の本を確認するのにわざと一部を読んでいるふりをしたり1ページずつ丁寧に確認したりしていた。職員は何も言わず注文者の様子を見ていた。しばらくすると、離れたところにいた別の職員がやってきて、「確認に時間がかかっていますね。」と言ったところ、新任職員はもうひとりの職員に向かって「こっちは大丈夫ですよ。」と答えた。嫌がらせをしていることを察して助け舟を出しに来た職員の助けを断った形である。注文者からみれば新人職員が自分の権利を尊重してくれているということである。それで注文者がこの新任職員は信頼できると考えたかどうかは定かでないが、その時点で注文者は確認作業を終えた。
新任職員によれば、嫌がらせと感じることがあっても、その人にも何かこだわらないではいられない事情があるかもわからないと考えて、どこまでも徹底的に相手に付き合おうと心がけて人と接しているということであった。このような姿勢は、クライアントとの信頼関係の形成、維持に有効と思われる。
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