アンカリング効果 2

 イタリアの商人であるジェームズ・アセールは、第二次大戦の勃発とともにキューバに避難し、アメリカ軍人の需要に応じてスイスから防水腕時計を調達して販売し、成功を収めました。終戦とともに多くの時計が売れ残り、スイスの時計を欲しがる人が多い日本には、敗戦国ゆえに、高価な時計を購入できる人は少ししかいませんでした。ジェームズは、欧米では希少であるものの日本では珍しくなかった真珠と腕時計とを交換することを思い付きました。そして、その物々交換の方法を息子のサルバドール・アセールに教えました。サルバドールは、真珠で財を成し、「真珠王」と呼ばれるようになりました。
 1970年を過ぎたころ、真珠王がフランスのサントロペで停泊させているヨットにいたところ、ジャン・クロード・ブルイエが隣のヨットから乗り込んできました。ブルイエは、タヒチではクロチョウガイという貝から黒真珠がゴロゴロ出てくるというような話をサルバドールに持ち掛けて、販路のなかった黒真珠の販売方法について相談しました。
 その後、二人は手を組んで黒真珠の販売に乗り出しました。しかし、価格を下げても売れず、作戦を変更しました。1年かけて、品質の良い黒真珠を作り、それを持ってニューヨークに行き、サルバドールと旧知の伝説的な宝石商であるハリー・ウィンストンを訪ねました。
 ウィンストンは、ニューヨークの五番街にある店舗のショーウィンドウに他の宝石と並べて黒真珠を飾りました。サルバドールは、タヒチ産の黒真珠のネックレスがダイヤモンドとルビーとエメラルドをあしらったブローチと並んで輝いている全面広告を豪華なグラビア雑誌に掲載しました。
 こうした高級品としてのアピールが奏功して、黒真珠はニューヨークのセレブたちに受け入れられるものとなったのです。
 最初に、高級品であるということを消費者に刷り込むことで、それがアンカーとなり、高価格で売れるものとすることができるようになったということで、これもアンカリングの例として挙げられています。
 さらには、ニューヨークでの黒真珠の価格が、それ以降の世界各国での販売価格にも大きく影響したことは言うまでもありません。

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