40年ほど前に、機会があって、日ごろ話を聞くことが難しい人から話を聞いた。相手は、修羅場を生き残った青年である。彼と話したのは確かだが、記憶は不確かである。記憶をもとに脚色した「多分こうだったんじゃないかな劇場」である。


 青年は死を覚悟していた。これから暴力組織の抗争の最前線に立つのだから当然である。自らも刀を携え、行くべきところに行って相手を斬る。斬らねば斬られる。それが彼らの定めである。刀はずしりと重い。薄暮の中、さやから刀を少しだけ出して見た時、西の空に姿を見せていた三日月がくろがねの刃に反射し、白く輝いた。


 青年は、敵のうちの一人に向かって刀を振り下ろした。くろがねの白い刃は、相手の着ているものを切り裂き、皮膚表面から真皮、筋肉を断裂させ、骨の一部を砕いた。傷口に露出した動脈からしぶきが飛び散り、青年は顔にしぶきを浴びた。さび臭いにおいが、しぶきを追いかけて拡散した。青年は、死と隣り合わせの緊張感の中で、さび臭いにおいをかいで、遠い過去が脳裏をよぎるのを感じた。緊張感とは対照的な、妙な懐かしさや安堵感がそこにあった。小学校の校庭の隅にあった鉄棒で遊んでいた時のにおいか。いや、それだけではない。小学校時代よりもずっと前の、いかんとも形容しがたい感情の複合体のような、あるいは感情が未分化な赤子のときのような不思議な体験がそこにはあった。


 手錠をかけられることへの後悔はなかった。刑事司法手続きの中で、犯行の動機やそれに至る経緯、生い立ちなどについて、何日もかけて聴取を受けた。そして、処分が決まった。二十歳前だったこともあり、保護処分となった。その過程で多くのことを語ったが、きかれなかったので、あの不思議な体験については語っていない。

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