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症例 現代のゲージ4

 ダマシオの同僚であるジェフリー・セイヴァーが,エリオットに対して社会的慣習と道徳的価値との関する一連の対象検査を行った。

①社会的状況(苦境)での解決策に関するテスト
 たとえば,ある人が同居人の花瓶を割ったとする。ここで被験者は,同居人が怒らないようにするために取るべき行動を問われる。次いで,被験者から代替解決策を引き出すために,「他にできることは?」といった,あらかじめ定型化しておいた催促がなされる。そして,被験者が考え出した,内容の異なる妥当な解決策がいくつあったかが,催促の前後で記録される。
 エリオットは,こうした課題に対して,催促前に考え出された妥当な解決策の数においても,妥当な解決策の総数においても,妥当さの得点においても,対照群と比較して遜色がなかった。

②ある行動の帰結に関するテスト
 たとえば,ある人が銀行で小切手を現金に換えたところ,出納係がかなり多めの現金を渡してしまう。ここで被験者は,事態がその後どう展開するかを説明するよう求められる。また,その人が一つの行動を取る前に何を考え,その後どう考えたか,あるいはどんな出来事が起きたかを述べるよう求められる。ある特定の行動を選択した時の帰結への配慮が,被験者の中にどのくらいの頻度で登場するかを点数化して評価する。
 このテストについては,エリオットの成績は対照群よりも優れていることが示されていた。

③手段・目的,問題解決手順を概念化する能力テスト
 被験者は10の異なったシナリオを提示され,社会的な必要性(たとえば友人関係を築くとか,ロマンチックな関係を維持するとか,仕事上の問題を解決するなど)を満たすための適切かつ効果的な目標達成手段を考えるよう求められる。
 被験者はまず,ある者が新しい場所に引っ越し,そこで多くの友人をつくり,気分良く過ごしているといった話を聞く。次いで,被験者は,このような望ましい結果を生み出した出来事を説明する一つのストーリーを作り上げることを求められる。望ましい結果につながるような効果的な行動の数が被験者の評点になる。
 この検査でのエリオットの成績は非のうちどころがなかった。

④出来事の帰結の予測能力テスト
 検査項目は30あり,各項目ごとに被験者は個人的な人間関係の状況を絵にした一枚のマンガのパネルを示され,その後,その状況の帰結としてもっともありそうなものを別の三枚のパネルから一つ選ぶよう求められる。正しい選択肢の数が被験者の評点になる。
 エリオットの評点は対象群と差がなかった。

⑤標準問題道徳判断インタビュー(「ハインツのジレンマ」修正版)
 たとえば被験者は,ある人が自分の妻を重病から救うために薬を盗むべきかどうかを判断し,それについて説明を求められる。
 評点法は,各インタビューでの判断を,道徳的発達の特定の段階に位置付けるための系統的な段階づけ基準を採用している。道徳的推論の様式には,「前慣習的レベル」(ここには,段階1「服従と罰の志向」と段階2「道具的目標と交換」が含まれる),「慣習的レベル」(段階3「対人関係的協調と行動」と段階4「社会的協調とシステム維持」が含まれる),そして「脱慣習的レベル」(段階5「社会契約,効用,個人の権利」)がある。
 ある研究によれば,中流アメリカ人男性は36歳までに,道徳的推論の慣習的レベルに達するのが89パーセント,脱慣習的レベルに達するのが11パーセントとされている。
 エリオットの場合は,慣習的レベルの後半から脱慣習的レベルの前半辺りの道徳的思考を示している。十分に優れた結果と言える。

 これらのテスト結果から言えることは,実験という状況の下では,認知面及び人格面の検査と同様,前頭前野腹内側部の損傷に係る問題は検出できないということである。こうした検査を実施する中で,次々と妥当な回答をしているにもかかわらず,エリオットは「そうは言っても,やっぱり私は何をしたらいいか分かっていないんだよ。」とつぶやいた。

 研究室と実生活との違いは何か。

 「仮にそれが『実生活』だったら,特定の状況でエリオットが示した行動オプションの一つ一つに対して相手側から反応があり,それが状況を変化させ,エリオットに別の付加的な行動オプションを要求し,またそれが別の反応を生み,エリオットにまた別の行動オプションを要求し・・・ということになっていただろう。」

 研究室には,時々刻々進行する,終わりのない不確かな状況変化がなかった。

 「どうしてエリオットは与えられた仕事を突然放り出し,本筋からそれたまま何時間も過ごしてしまったのか。・・・われわれは刻一刻,正しい道を選択していかなければならない。が,エリオットはもはやその道を選択することができなかった。なぜできなかったかが,われわれが発見しなければならなかったことである。」

 ゲージでは確認することができなかったが,ダマシオが生身のエリオットと直接会っていることによって得られた情報がある。以前にも述べられているが,彼には情動反応の乏しさが目立っていたことである。情動反応の欠如が社会的行動の欠陥につながっているのではないか。

 エリオットの問題を解明するための研究の方向が定まってきたようである。

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