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第二回モデルナワクチン接種

 二回目のワクチン接種を、九月三十日の午前に予約していた。一回目の接種日である九月二日から数えて正確に四週間後、二十八日後であった。モデルナワクチンの接種間隔は四週間と、厚労省や国立感染研といった公的機関がアナウンスしていたので、その情報にそのまま従った。(ファイザーは、モデルナよりやや早く、三週間、二十日ほどとされていた。)一回目接種完了も、二回目の予定も、日本人全体の平均と比べるとやや遅く、おそらくは同世代に限っても、平均よりも遅いのではと思われた。 
 この、一回目と二回目の間、つまり二〇二一年の九月に、コロナウイルスを巡る状況にも、日本社会にも大きな変化があった。ワクチン接種が加速するに従って、新規感染者、入院患者数、そして死者数は減少していった。病床数に余裕が出始めたという現場報告が、医療従事者から上がり始めた。私達の社会は、最悪の時間を、明らかに脱しつつあった。
 菅義偉首相の辞意表明を受け、自由民主党において、総裁選が行われていた。四人の人物が立候補し、うち二人は女性(野田聖子と高市早苗)であった。四人の誰かが、日本国の新しい内閣総理大臣となり、衆議院を解散して総選挙を戦い、そしておそらくは勝利し、日本を率いることになるのであった。
 二回目接種後の後の副反応は一回目より遥かに強く、人によっては外出が不可能になるほどの激しい高熱を伴うという体験談を、メディアからも周囲の人間からも得ていた。それに備え、接種日を前に食料の備蓄を開始した。発熱時でも摂取容易なな食べ物として、経口補水液(要するにスポーツドリンク)、ゼリー状携行食、レトルトパックのお粥などが良いと聞いたので、それらの品をドラッグストアやディスカウントストアや近隣のスーパーで一通り揃えた。スポーツドリンクは、アクエリアスの大サイズと小サイズを買った。ゼリー状携行食は、メーカーにも味にも特にこだわりが無かったので、その時その場で売っている商品の中からランダムに選んで買った。それ以外にも、食べやすそうな物として、チョコレートや菓子パンなどを冷蔵庫の内外に蓄えることとした。 
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 二回目の接種会場は、一回目と同じ、都営新宿線の曙橋と、大江戸線の牛込柳町の中間に位置する健保施設であった。前回は曙橋から、自衛隊駐屯地の横を通って、外苑東通りを北上して行ったが、今回は牛込柳町側から歩いてみることにした。 
 地上に出た。駅出口の建造物は、ごく普通の雑居ビルのようであった。良く晴れていた。天気予報によると、関東平野には台風が近づいてきているとのことだったが、その気配はまだ感じられない。秋の午前の外苑東通りを、南に向かって歩いて行く。



 
 接種会場付近の地名は、薬王寺町という。この、医術や医療行為を連想させる地名は気に入っていた。……正直に言うと、自分が確保したワクチン接種会場が、余りにも凡庸でありふれていることに、少し失望を感じていた。他の都区部の居住者には、武道館や東京ドーム、美術館や自衛隊大規模会場といった話題性のある会場を選ぶ機会が与えられているというのに、自分にはそんな機会は全く無かった。十年後、二十年後になって、コロナウイルス時代の昔話をする時に、話が膨んだり、弾んだり、広がったりする要素が何も見当たらなかった。全人類が参加している、地球的、人類史的な大事件において、退屈で残念なことのように、自分には感じられた。
 だから、せめて、この薬王寺町という地名を、忘れずに記憶しておきたいと思った。
 「おじさんは、あの時代、薬王寺町でワクチンを接種したんだぞ! どうだ、いかにもワクチン接種にふさわしい地名だろう! すごいだろう!」
 未来の若者や甥や姪に、そう言って自慢してやろうと心に決めた。長期的な展望に基づいた、遠大かつ壮大、野心的な計画だが、全てが無意味かつ無内容で、空疎で虚しく、予めスベることが約束されたネタのような営為であった。しかしながら、そもそもこの世界に存在する全ての事象は、究極的には無意味であって、その無意味なものに、意味や物語や解釈を創造もしくは捏造し、付加しようとするのが、大脳新皮質と脳内物質の作用に依存する人間の営みかもしれなかった。(人間の営為、つまり人為であり、人と為が合わされば偽りとなるのであった)
 言い換えれば、状況に対する一種の抵抗であった。このパンデミックが始まって以降、私の行動及び行動圏は、全て外在的な力によって規定されていた。ウイルスそのものによる、外出や会食の自粛、映画鑑賞や旅行の自粛、マスク着用と手の消毒を基調とする生活様式、社会経済的な諸々の影響、緊急事態宣言のたびに閉鎖される職場の窓口、そしてワクチンの接種会場。そのほとんど全てが、自分ではない他者、他人、状況の巨大な力によって強いられたものであって、それに従う選択しか無かった。
 コロナウイルスの時代において、何か一つぐらいは、自分独自の経験や知覚として得たものを、後の時代に残したい。冬の蠅のように非力な抵抗であったが、蠅に自我が無いとは、誰にも言えないはずだ。



 
 接種会場に向かう途上、スマホでニュースをチェックしていた。昨日、すなわち九月二十九日に、岸田文雄が新しい自民党総裁に選出され、報道もSNSも、当然ながらそのことが主要な話題となっていた。四人居た新総裁候補の中で、最も無難で、無個性で、退屈で、つまりはどうでも良い人物のように自分には思われた。凡庸な二世政治家の時代に、逆戻りしてしまったと感じた。こんなんだったら、別に、ガースーの続投で良かったじゃんと思わざるを得なかった。
 岸田の横顔は、映画『帝都物語』において陸軍将校加藤保憲の役を演じた役者、嶋田久作と、『機動警察パトレイバー』の後藤隊長を足して二で割ったように見えた。その両者を足して二で割った後に、怜悧さや知性を減算した顔だと思った(伝わりづらい比喩だ。もっと若い世代の人間なら、もう少しマシな比喩を思い浮かぶだろう)(後藤隊長のモデルは仲代達矢であると聞いているが、岸田新総裁も仲代に幾分か似ているということになってしまうのであろうか?)
 このパンデミックが始まってから、日本国においては二回目の首相交代であった。
 
 予定時刻より、大分早めに会場に着いてしまった。接種そのものの段取りは、一回目と全く同様であった。隙間無く配置された誘導係員、迷いようがない動線。全てが迅速に処理される書類確認と問診。そして接種。二回目接種の後は、一回目より副反応が激しくなるかも知れないが、頑張ってくれと言われる。免疫力が最大になるのは、今から二週間後だと言う。
 本来の予約時刻には、全てを終え、待合室にて待機していた。この部屋のレイアウトも、一回目の時と全く同じであった。
 
 接種会場向かいにあった「あづまや」という十割蕎麦屋で昼飯を食べた。ざるそばの大盛りを頼んだ。美味であった。全てが取り合えず無事に終わって、晴れ晴れとした気分だった。爽快であった。緊急事態宣言下における他の多くの飲食店と同様に、この店もアルコールの提供を中止していた。二回目のワクチンの副反応がどの程度なのか分からないので、禁酒は続行するつもりだったので丁度良かった。
 
 外苑東通りを北に進み、今日来た道を戻る。牛込柳町駅のある交差点を越え、さらに進み続ける。進行方向の左側に、不思議な外貌の中層ビルが屹立している。草間彌生美術館。現代美術家、草間彌生の作品を集めた、完全予約制の美術館だ。今日この日、この時のために、予約してある。美術館や博物館に行くのも、随分と久しぶりだ。



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