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鳥に心は無いけれど

 
 六月一八日、日曜日。今年も、国立駅の燕達に逢いたいと思い、同駅を訪れる。駅構内の看板によると、燕達は四月には帰ってきて、既に第一世代の子育ては終り、巣立っていると報告されていた。現在巣の中にいるのは、第二世代の雛である。


 駅高架下の商業施設、ののわに直接繋がる西側改札口の、天井から吊られた防犯カメラ上に、一つ巣を見つける。巣の真下には、立入禁止の囲いが設けられている。これは、去年も同じ場所にあった巣だ。
 看板が貼られた壁際の防犯カメラ裏の燕の巣。自分の記憶の中では、この巣が最も古くから在ったように思う。一昨年か、もしくはもっと古くからあるだろう。
 みどりの窓口のスピーカー上の燕の巣。これも、去年と同じだ。
 東側の防犯カメラの巣。
 世界がどのようになろうと、この空間には平和な世界が維持され、再生産されている。そのことを再確認し、力づけられる。
 国立駅南側の、駐輪場前の路上で、黄色い蝶が舞っている。六月にして既に酷暑のため、その羽根はどこか力無く、疲れているように見える。しばらく動画を撮影する。


 
 七月五日水曜日。スピーカー上の巣では、嘴を最大限に開いて餌を求めるヒナ達の姿が見られた。いかにも元気そうだ。それ以外の巣では、余り燕の姿を見なかった。


 帰りのホームで、たまたま「むさしの号」の姿を見かけたので撮影した。むさしの号は、立川と大宮を武蔵野線経由で直接繋ぐ特別な車種だ。一日に数本走っている。埼玉方面へ向かう列車は、西国分寺の手前で分岐線に進み武蔵野線に入る。
 


 七月一九日水曜日。この日は非常に多くの燕達の姿が見られた。駅の至る所に止まり、また飛び回っている。巣立ったばかりの若鳥であろう。沢山燕が見られて、気分が良い。


 この日は、国立に行ったついでに、隣駅の立川まで足を伸ばし、始まったばかりの展覧会「エルマーのぼうけん」展を見る。懐かしい。自分が特にお気に入りだったのは第三作目の『エルマーと十六匹のりゅう』だ。ドラゴン退治ではなく、ドラゴンをレスキューする、救うという設定自体が、既に独創的だ。竜にやさしい世界観。
 


 
 
 八月二日。まだ一羽いる。若鳥のようだ。姿形は親世代の成鳥と大きく変わらないが、体毛がやや薄いように思える。 
 二〇二三年の夏には、コロナの第九波が襲来しているが、ほとんどの日本国民はその事を気にしていない。観光地は国内外からの客で溢れ、オーバーツーリズムの問題すら指摘される様相を呈し始めていた。


 
 八月一二日 まだ一羽残っている。八月一〇日を過ぎてまだ残っている個体は、初めて見る。八月二日の燕と、同一の個体であるかどうかは、私には判別がつかない。少し心配になる。


 八月一九日 さすがにこの時期になると、燕の姿はどこにも見当たらない。今年の燕の季節の終りを確認した。
 
 コロナウイルスの時代において、ここ国立駅の燕達は、ウイルスと対極の存在として僕の心の中に存在し続けた。ウイルスが死と閉塞の象徴であるのに対し、燕達は誕生と躍動そのものを、毎年必ず見せてくれた。この間、ウイルスは変異し続け、私の勤務地も変わったが、燕達の姿は変わらなかった。当初は、業務上の巡回ルート上に国立があったためにその姿を観察していたが、人事異動以降の自分は、燕を見ることだけを目的として、しばしば国立駅に通うようになった。その小さな姿には、人を安心させる力があった。
 このように言語化して説明してしまうと、余りにも平板で凡庸で陳腐で、何も伝わらないのがもどかしい。
 ウイルスには心は無く、自らの意志もない。ただウイルス自身のメカニズムに従って増殖したり変異したり消滅したりしているだけだ。燕達はどうだろうか? 燕にも、おそらく心は無いだろう。彼ら彼女らもまた、遺伝子の二重螺旋構造に刻まれた動物としての本能に従って生を営んでいるに過ぎないのだろう。だから彼等との間に、厳密に人間的な意味でのコミュニケーション、意志疎通、対話は成り立たないだろう。星空や夕日や大河との間に、人間的な意味での対話が成立しないように。
 けれどもその姿は、ある時代において、僕の心を確かに救ってくれた。疫病が地球上の全人類を襲った令和時代初頭において、その巣の上には、有形無形の救済が存在した。そのことを記録しておきたい。
 同時に、彼らに感謝を捧げたい。とは言っても、対話が不可能な存在に対しては、感謝の念も届かないかもしれない。一方的なものだ。だから事実上、この感謝は、燕達の生の営みが可能となる環境、場所を常に維持し続けてきた、JR東日本の社員や駅員に対して、向けられることとなる。

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