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福砂屋と文明堂

 左隣の席に座っている若い主婦の方が、七月下旬から産休に入ることになった。三時の休憩時間になると、フロア全体に挨拶回りを始めて、小さな箱に入った菓子を一つずつ配っていった。福砂屋のカステラであった。
 福砂屋という所がさすがだ、ポイントが高い。カステラの本場、長崎に数多あるカステラブランドの中で、底部のザラメが最もリッチで、齧った時の食感が最も優れているのは福砂屋だと、自分は子供の頃から思っていた。この主婦の方は、仕事も良く出来る人だと常々思っていたが、それ以外の部分も隙が無く完璧であった。




 なおかつ、人間の誕生のニュースを聞くこと自体が、現実世界でもメディア上でも、かなり珍しい事象となっていた。平成から令和の日本においては、短期間の例外を除き、ほぼ恒常的に出生率の低下が続いていた。新型コロナのパンデミックが発生して以降、自分は人の訃報ばかりに注意が向き、またそればかりを書き留めて来たように思えてきた。一昨年三月の志村の死から始まり、今年七月の安倍の死に至るまで……。新しい生命の誕生は、真に慶事であり祝福されるべきことであった。
 同じタイミングで、年配の女性スタッフが、土産物のゼリーをやはり皆に配っていた。メーカーを確認すると、文明堂であった。このゼリーも、美味であった。

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