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陸の孤島となった目白駅

 渋谷駅の大規模工事のため、山手線内回り電車は、この週末に区間運休が予告されている。運休区間は池袋から大崎間。他の路線が乗り入れていない山手線単独駅は、著しくアクセスが制限されることとなる。具体的には、新大久保と目白である。
 新大久保にはまだ、至近距離に中央線の大久保駅が存在しているが、目白駅は文字通り「陸の孤島」となってしまうと、マスコミがやや誇大表現気味に面白おかしく取り上げている。都バスに乗って向かう。
 目白通りを進む。この十月は、本当に気持ちの良い青天ばかりが続いているように感じる。今、この瞬間も、またそうだ。山手線と埼京線を跨ぐ目白駅前の橋上から池袋方面を眺める。鉄路が通る深い切通しによって、この台地の遠くまで視界が拓けている。北池袋の清掃工場の煙突が、日曜の午後の東京の秋空に良く映える。無機質で無装飾なそのフォルムが、ミニマルアートのような洗練された、静謐な印象を与える。
 橋上から熱心に鉄道を撮影している少年がいる。そのカメラは、明らかな高級品のように見える。



 学習院向かいの商業ビル、トラッド目白内の喫茶店にて、高くて美味い珈琲を飲み、駅前広場のワゴン車で売られているクレープを買い食いする。駅右側の雑居ビル一階の立ち食いそば屋が、未だ健在であることを確認。かつて、私がこの街の住人であった頃から続いている店である。嬉しく思う。



 目白駅に入構する。エキナカの様子は、かつて自分がこの駅を利用していた頃から、大分変わっている。この駅は、目白台地を貫く切通しの上に駅舎が設置された橋上駅なので、改札階から見て、プラットホームは谷底に位置している。つまり、入構者は階段もしくはエレベーターを下って、ホームに辿り着く構造となっている。
 島式ホーム一面二線のそのホーム上は、やはり撮り鉄達のカーニバルとなっている。すごい熱気だ。エレベーターの前の通路に荷物を置かないで下さい、点字ブロックの上で脚立を用いないで下さいと、駅員が強い口調で繰り返し注意を呼びかける。効果は乏しい。
 彼らの携える撮影機材は、どれも皆高価そうだ。カメラバック一つだけの値段でも、今自分が身に着けている全ての衣服、装飾品の合計を上回るのではないか。



 自分にとって不思議なのは、彼らのほとんどが、ホームの池袋側に待機して撮影していることだ。台地の傾斜部に位置する目白駅は、南側の坂下、高田馬場や新宿方面に拓けた眺望も素晴らしいのにと、この街の元住人としては、疑問に思う。



 余り見慣れない濃紺の車両が、埼京線のレールを池袋方面に駆ける。皆が一斉に撮影を行う。しばらくしてから、あれは遥か遠く海老名からやってくる、相鉄の直通車両だったのかと気がついた。
 外回り列車に乗り、池袋に出る。埼京線に乗り、今来た方向にすぐに引き返す。同一区間の重複乗車は、通常時ならば違反なのだが、この二日間に限っては許されている。目白、高田馬場、新大久保を通過し、新宿で降りる。新宿駅の埼京線ホームは、乗換え客と鉄道マニアが混在し、非常に混雑している。



 この週末は、品川から新宿間で、臨時列車が運行されている。電光掲示板の、「臨時」の表記が珍しい。それに乗り換え、更に南に進む。恵比寿で降りる。ここもまた、すごい人だ。
 恵比寿から臨時列車で新宿に向かう。車窓から渋谷駅の巨大工事の現場を観察する。工事そのものは、土曜日のうちに大体終わっているような印象だ。



 工事現場である、渋谷駅新プラットホームの上には、今までに見たことがない圧倒的な密度で、作業員が集合し、佇立している。皆作業服姿で、黄色もしくは白のヘルメットを被っている。壮観だ。この工事は、週末の二日間、昼夜を通して休まずに行われているので、実際には、目視で今確認できるよりも、遥かに大人数の作業員が携わっている。無論、巨額の費用が費やされている。圧倒的なスケールだ。


 

自分自身が何をしたという訳でもない、私個人は単なる乗客の一人、車窓という一種のスクリーンを通した視聴者の一人に過ぎないのであるが、この、歴史に残る巨大工事の目撃者となったことに、不思議な興奮を覚える。自然物であれ、人工物であれ、自身の視界に収まりきらない大きさの物体を目撃して、純粋に驚く子供のような気持ちになる。大鯨の血管や消化器官の大きさを、内側から眺めているような感動がある。リヴァイアサンの臓腑に街を築いて定住している人特有の安心感、自分が生きている間は、この生物が力尽きることはないであろうという安心感がある。現代科学、もしくは現代科学の派生物である都市文明に帰依している。

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