ブルーシートの内側は赤

きみと話しているとやたら横文字を使って話したくなる。感傷的はセンチメンタル、精神病質者はサイコパス、きみはイノセント。わけがわからないという顔をする時、きみの頭上にはほんとうにクエスチョンマークが浮かぶ (僕はその曲線で昼寝がしたいと思う) 。夕方、目が覚めて、天井の木目がきみの顔にみえる時、この視界だけが正常にはたらいていると確信する。受信メールにきみの名前が浮かばない夜は、ぼくが、ぼくの今の感情を、液晶画面に打ちつけて、きみじゃない誰かに向けて送信ボタンをタップ。真夜中、コーヒーフロート状の文字列をかき分けながら進む整備された散文の夜道、きみが歩いていないことを確かめると、ゆっくり地軸が軋みだし、ぼくはもう何にも逆らわない、首を縦にだけ振って従属しようと心に決める。朝、最悪なゆめで眠りにつく。「ゆ」も「め」もせっかくやわらかいのに、そのやわらかさで脳みそを絞め殺すから、ひらがなはグロい。大抵のゆめには意味がなくて、数時間後には内容がぼんやりしていて、翌日にはそのほとんどが脳細胞から弾け飛ぶ。ここじゃないどこかへ、ゆめじゃないリアル。穴から無数のつぶつぶが溢れだして、ニュートンに盲信しながら滴り落ちていく。今こそ「グロい」なのに、馬鹿だから「エモい」とかで葬ってしまう。燃えないゴミ。灰にもなれない情動が、煙に巻かれて肺を駆け下りて黒い。グロいも黒くてエモいもグロい、性的なコンテンツ。詩の殴り書きだけがきみの本質なら、ぼくはいくらでも痣をつくりたいよ。自身の本質になれないなら、きみの本質に寄生してみたいよ、イノセントなゆめ。きみのグロテスク。ブルーシートの内側は赤。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?