夢で逢えたら

誰に向けた言葉なんでしょうか。
誰にも向けたくないからわざと分かりにくい言葉を使って読みづらい文章にして、手当たり次第に吐き散らかしてマーキングしています。

どこを探しても見つかりません。
引き続き捜索をお願い致します。捜索も創作の一つですから、気が遠くなることもあるかと思いますが、どうか一生をかけて螺旋状の空白に空を切っていてください。いつかその風が可視化されたらその時は私で抜いてください。あなたの大切ないのちを、私で根こそぎ抜き取ってください。あなたの空白を奪ってもいいですか。いいですよね。

遠く感じます。
コンクリートを踏みしめる脚がゆっくり歪みはじめて、でもそれはゆっくりだから、すぐには歪みに気がつけなくて、でもきっとこれも症状だから、私病気だし、死ぬまで薬漬けだし、って論点ずらしてふわふわの「死にたいなあ」がとげとげの「死なないで」に引っかかって、吊死しちゃった。

こわいです。
安全ピンも安全剃刀も安全運転も頭文字がやさしいせいで、そのせいでたくさんのいのちが犠牲になりました。別に何もこわくないよ、想像しているよりもずっとあっけないよ、だから生きてても大丈夫だよ。少しずつずれていく手拍子が三半規管をちゃぷちゃぷさせて何も聞こえなくなって何も話したくなくて、離したくなくて何もかも生温い肉で、甲高く深海魚が啼くの。海底の砂も舞えなくて、せっかく舞えば視界が濁って、みんな顔を知らないまま友達になれたのに。ぶよぶよの触手を一本ちぎったくらいで絵なんか描くなよ。

さよならがしたいです。
額縁が1cm傾いているのがずっと気になってて、でも、たかが1cmの傾きを指摘したところでどこにも還れないから、ずっと黙ってて、そしたら別の人が1cmの傾きに気づいて「ずれてますよ」って言ってくれて、額縁は整ったのだけど、そしたら今度は他の額縁がずれてみえて、終いには人間がずれてみえて、視界がぐちゃぐちゃになって、眼球を鷲掴みしたかった。そんなことできるわけなくて、眠たそうに瞼をぐりぐりして、あどけなさを演じた。舞った埃を思い切り吸い込んでしまった。くしゃみは出なかった。暖簾が揺れている。いい香りが流れている。店には入らなかった。やわらかく生きたかった。さよならばっかりで、こんにちはのタイミングを失ってしまった。啜る鼻水がこんなにも透き通っているのに、心の泡はぶつぶつ弾けて、汚くて、汚いけどきれいなだけよりかはいいかなって、花を摘んだ。

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