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コミックマーケット103に行ってきた(はじめてのオフ会)旅行記

2023年の年の瀬にコミケに行ってきました。 ダラダラしてたらもう夏コミが来てしまった

せっかくの東京なので年越しまで過ごそう!と二泊三日で遠征したつれづれを書いてます。


前置き

白状すると、正直ここまでちゃんと同人すると思ってなかった。最初の記事を書いたのも二年前になるが、このあと二冊目の本を作成して、リアルイベント・WEBイベントにもサークル参加した。同人活動っぽいことは一通り経験したと思う。

しかし、憧れはありつつも実行できないこともあった。そのうちの一つが「オフ会」。リアルイベント参戦時はチャンスと思ったけど、結局「アフターどうですか」の一言が最後まで言えずに帰参してしまった(リアイベ自体はすごく楽しかった)。

そんな私の手を引いてくれた神の名はY氏、貴重な相互フォロワーだ。
私がオフ会願望をXという名のドブ川に呟くと、Y氏はなんと企画を一手に引き受けてくれた上に終始リードしてくれた。本当に感謝しかない。
関東圏に住んでるっぽいA氏(相互フォロー)にもダメ元で声をかけたところ、なんとこちらもOKをもらえた。後述するがA氏も観劇にあたって色々と心を砕いてくれた。
こうして、ついに私は約20年来のオフ会童貞を卒業することになった。

12/29 出発前日


まず、私はオタ活を家族に大っぴらにしていないので、今回の冬コミは帰省でお留守番するふりをして、その合間に出かけることにした。

家族を空港で見送ったあと、まずは数年ぶりに映画を見に行くことにした。
見に行ったのはネットで話題をさらった「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」。感想は割愛するが、あえて言うなら長田×乙米が好きかもしれない。
別の映画で2連チャン鑑賞も考えたけど、帰路には30分以上の深夜ドライブが待っているので体力を考えて撤退。

数年前にバカの考えた弾丸一人旅(「京都/大阪/USJ」を「一泊二日(予算三万円台)」で巡る)を敢行したときに学んだ。楽しむコツは無茶をしないことだ。
愚者は経験に学ぶ。学んでいると思いたい。

12/30 1日目:コミケ・オフ会・アフター観劇


一日目の朝。
私はトーストとコーヒーで優雅に家モーニングをキメて家を出た。昨日家族を送った空港に舞い戻って、初めてのコミケに一般参戦すべく東京へ向かった。

当日フライトのためチケットは午後入場にしたが、思った以上に面白かったので正直ちょっと後悔した。ジャンル外のサークルも見ていて全然飽きない。
あっという間に約束の時間が近づいてきたので、お目当ての本を買い求めてビッグサイトを去ろうとしたがトラブルが発生した。去れない。

どこかで道を間違えたようで、人の波にハマって抜け出せなくなった。延々とビッグサイト内をぐるぐるする羽目になったが、近くのスタッフさんを勇気を出して捕まえて泣きつく事でようやく人の波から出られた。

約束の時間が迫っていたので駅までダッシュした。手持ちの推しカプ同人誌+現地で買った同人誌が詰まったリュックがクッッッソ重たい。
最寄り駅を降りたところでさらにミスが発覚。店の場所を勘違いしていた。降りる駅を間違ったことで約一駅分をさらにダッシュする羽目になった。
言い出しっぺが遅刻する大失態を犯してしまったが、先に着いた二人は店の中に入ってくれていた。三人の予約でほんとうに良かったと思った。

伝えられていた部屋番号をフロントに告げて「ご予約の○○さんの部屋ですね」と言われた時、「あっ、人名だ」と妙な感動を覚えた。ネットの世界も実在の人間で構成されている当たり前の事実を今更ながら認識した。部屋の前まで行くと扉の先に人間がいる気配がする。

扉を開けると、YさんとAさんがいた。
大遅刻の非礼を謝罪して手土産をお渡ししたが、よりによって用意していたのは面白系グッズ。一応他にも「花嫁のれん柄の木製付箋」とか「推しカプ色の水引キーホルダー」、「お香」も検討していたが、品選びのセンスに自信がなくてやめたのだ。やめなきゃよかった
二人とも真っ当な手土産を持ってきてくれていた(Aさんは某有名店の羊羹、Yさんは推しカプ色のお茶でどちらも自腹でリピしたいくらい美味しかった)。浅慮を猛反省するとともに、安易にネタグッズに走ってはいけないという戒めを得た。

その後は推しカプカラーのフードを頼んだり、持ち寄った同人誌を黙々と読み合ったり、おすすめのえちいヤツを情報交換しあったり、たわいもないトークをした。
憧れのスケブ交換もしたかったが、私が試しに描いてみたものの全然描けなくて頓挫
無力でつらい。Yさんが嘆く私の絵を描き直してくれたけど、筆が早い。絵が描ける人の筆とはこうも早いのかと感心した。

推しの解釈みたいなディープに切り込んだ会話は少なかったが、〇〇さんの同人誌が面白いだとか、この作品が良いだとか、推しに全然関係ないオタク話とか、絵の話とか、そんな些細な会話が嬉しかった。
時間はあっという間に過ぎた。どうやら思ってた以上に自分が「オタク友達」が欲しかったらしいという事実に、我ながら少しびっくりした。

アフターの後はYさんと別れ、せっかくの東京なのでAさん激推しのストリップを観に浅草ロック座へ連れて行ってもらった。

浅草ロック座入口/店内は写真撮影禁止

最初は少し客層を心配していたが、女の人も割といた。チケット売りの人がちょっと無骨だったくらいで、混雑時に荷物を入れてくれたり、全体的にお客さんはみんな優しかった。ちなみに大晦日で引退公演の千秋楽だったのもあり、人が立ち見までみちみちに詰まっていた。常連のAさんも初体験のレベルだったらしい。逆に貴重な体験なのでは?

あまり叙情的な感想が言えないタイプなので、公演内容については詳細に書かれてる記事を貼らせてほしい。

Aさんが隣で丁寧に説明してくれたおかげで、より楽しく観劇できた。やっぱり詳しい人がいると見るときの解像度が上がる。
見て思うことは、「ストリップとはこういうもの」と一括りにくくるのが難しい。
「全部ストリップで足りる」という言葉の意味は見たらわかった。
題目によって空中パフォーマンスがあったりしてダイナミックな時もあれば、演劇っぽかったり、映画やMVちっくな時もある。ぶっちゃけ「この題材でどうやって脱ぐの!?」みたいなのもあった。
景(場面)ごとに飽きさせない工夫が凝らされているので、見る前に少し懸念してた「似たようなものばっかり見せられて飽きる」は全然ない。

演者(踊り子さん)の個性も結構出る。踊りや脱ぎの魅せ方、体付きなども人によってかなり違う。ハマる人は「推し」の踊り子さんが出来るというのは、確かにわかる気がした。
同じ題目でも踊り子さんによって全然印象が変わるのだと、Aさんがめちゃくちゃ楽しそうに語ってたのが印象的だった。本来は踊り子さんとの(精神的)距離がもっと近く、チェキとかも撮れたりするらしい。

地理的に頻繁には行けないけど、改めてまたゆっくり見てみたいと思った。そして一日歩き倒した足のむくみを絶対ナメてはいけない。次は絶対にもっと脱ぎ履きしやすい靴で行くと誓った。

Yさん、Aさん、月並みな言葉ですがお付き合い頂いて本当にありがとうございました。
二日目以降はわたしの東京一人旅レポになります

12/31 2日目:一人カラオケ・年越しそば・バーでカウントダウン


一日目で泊まったカプセルホテルは、間違えて覚えてたほうの店のすぐ近くにあった。
「これだけ近ければ泊まりの荷物を置いてからアフター行ける!」と思って予約したはずだった。詰めが甘いとはこの事。ホテル自体は安いわりに大浴場もあって清潔だった。

チェックアウトすると、ポルノ映画館が宿の近くにあったので行くか迷ったけど、大体の紹介記事で「女ひとりで行くとまずい(要約)」的な事が書いてあるので断念した。

まずは荷物を減らすべく、大量の戦利品をヤマトで自宅に送付する。宅配ボックスでも良かったのだが、万が一にも家族に悟られないよう確実に処理したい私は、二日に日時指定をした。この選択はあとで悔やむことになるが、その件は後ほど。

遅めの朝ごはんはあんみつで腹ごしらえをした。
以前勧められた「あんみつ みはし」、抹茶ソースがよくある苦甘シロップじゃなくてちゃんと抹茶なのが高ポイント。

期間限定あんみつ

ここから先はノープラン。
とりあえず池袋乙女ロードへ向かうが、あまりの人の多さにそうそうに引き返して、カラオケにチェックインした。

あまりまとまった時間が取れない日常を送っているので、カラオケも数年ぶりだった。
昨日のストで聴いた余韻で「hail holy queen」から始まり、ジャンルごちゃまぜでやりたい放題に歌って存分に喉を潰した。

ヒトカラはどんな曲を歌っても、同じ曲を連続で歌っても、うろ覚えでも、マイク無しで熱唱しても誰の目も気にしなくていい。
でもデュエット系とか、人がいた方が楽しい曲はあるなぁと思った。こういうの↓とか。

ぶっ通しで軽く二時間半ほどジャ〇アンリサイタルをしたあと、二軒目のビジネスホテルへ向かった。

16時、チェックインと同時に仮眠。
多分このまま遊びに行くと22時くらいで寝落ちすると踏んだので、東京の夜をフィーバーするために身体のピークを夜にもっていく。

これは前回参戦したスパコミの苦い教訓だ。
出発直前まで労働してから夜行バスにて当日参戦した結果、体がもたずチェックインして即寝落ち→酒はおろか夕食も食べずに翌朝まで爆睡という勿体ないことをしてしまった。せっかくの東京なのに!!
なので、今回は絶対リベンジすると固く誓っていた。

起きたらまずは腹ごしらえ。年越しそば(広義)を食べるべく、ラーメン二郎へと向かった。どうも豚です。

イメージ図

店は閉まっていた。まぁ大晦日だし何となくそんな気はしていた。
結局年越し蕎麦(広義)は近くの横浜家系になったが、並んでいるから美味いお店というわけではないという学びを得た。味の感想はお察し下さい。

某ショーパブ鑑賞が本命だったが、店の前まで行ったのにサラリーマン数人が目の前で入っていくのを見て、何となく尻込みしてしまい撤退。
そのまま帰るのも癪だったので、検索してヒットした近くのバーのカウントダウンパーティーに飛び入りで参加した。冷静に考えればそっちの方がハードル高いのに

以前、「一人旅好きは移動型引きこもり」という書き込みを見たけどまさにそんな感じ。

考えなしに行ってド緊張していた私にフランクに声をかけてくれた常連っぽい黒人の日本語ペラペラの兄ちゃん、本当にありがとう。
カウントダウンは皆サッカー観戦か?ってくらいの音量で叫んでたので、私も倣うことにした。

「さーん!にー!いーち!」
「2024年!ハッピーニューイヤー!カンパーーイ!!Wooooooooo!!」  

うーん、普段じゃ絶対やらないノリ。でも一体になって盛り上がるのは超たのしかったです。

少ししてからバーから撤退し、歩き疲れた足を休ませるためにネカフェへ。
まんがを何冊か読み、眠気に負ける前にタクシーを拾ってホテルへ帰宅、風呂に入って就寝した。

オールナイトしてやる!!と意気込んでいたが、結局3時台には寝てしまった。徹夜苦手民にしては頑張った方だと思う。

1/1 3日目:優雅なるホテルステイからの急転直下


年末は年越しそば
なら年始はおせちというわけで、寝る前に某高級ホテルのスイーツビュッフェを飛び込みで予約した。
お値段なんと壱萬円也。正月価格半端ないって。

入口の巨大水引

会場のホテルに着くと、入口には巨大な豪華水引飾りが展示されていた。
内部は全体的に重厚感のある作りでカーペットが廊下まで敷き詰められていた。

カーペット敷きのフロア

広いホテル内を歩いてようやくビュッフェ会場に到着すると、席に案内される。私の左には老紳士、右には三世代のご家族。どちらも身なりが明らかに貴族。右側のおじさまの高そうなスーツには煌めく金バッジが見えている。ユニ〇ロの服着て座っていい席じゃない気がしてきたけど、ショバ代は払ったので許してほしい。

1万円のビュッフェ(二巡目・スイーツ以外)

ビュッフェスタイルは割と良いホテルでも微妙なことがあるが、ここのはちゃんと美味しかった。
ビュッフェでこのクオリティなら単品の満足度が窺える。

1万円のビュッフェ(その時並んでたケーキほぼ全種類+α)

ケーキの食べ比べはスーパーシリーズがいちばん美味しかった。生クリームもだがスポンジの質が違う。単品だと一切れ1500円前後の高級ケーキだ。
ちなみにその上には一切れ4000円前後のエクストラスーパーシリーズがあるらしい。

次があったら食べてみたい。

スイーツ以外だと、揚げ物は普通だったがアメリケーヌソースのドリアが抜群に美味しかった。
あとステーキ肉のサンドイッチ、パンも肉も確実に良いやつを使っていた。そして良い肉は少量で脂が胃に来る。
貧乏性なので胃袋が限界を告げるまで食べた。我がデブ活に一遍の悔いなし。ごっつぁんです。

お正月だからか、ホテル内でも至る所でイベントや出店が行われている。
高級ホテルゆえかスタッフの女性陣は着物で、特に若い女性は品のいい白振袖を着ていた。控えめに言って目の保養でした。
店内を笛の音と共に獅子舞が闊歩していて、優雅に時間が流れていく。 気分だけはセレブリティ。
のんびり庭園を眺めたり、おみやげ屋を見たりしてぶらついたあと、最後に津軽三味線のコンサートを聴いて撤退した。

帰り際に山王日枝神社に寄ろうとしたが、あまりの人混みのえげつなさに断念、その後銀座へ。
Yさんにご紹介頂いたお店で一杯くらいお茶、せめておみやを買いたいと思ったが閉まっていた。正月なので仕方ないね……

少し時間はあったが、余裕をもって羽田空港に向かうことにした。電車の乗り換えミスを防ぐため、少し高いがリムジンバスを選択。
「最後はラウンジでお茶でもしばいて締めようかな♪」とのんきに考えていた所で、Yさんからメッセージが来た。

「地震大丈夫ですか?」

2024/1/1、それは令和六年能登半島地震が起こった日。
実はこの時石川県に住んでおり(今は別の場所)、コミケに行かなかった場合、加賀・能登方面の温泉宿に一人で泊まる予定だった。東京にいたのはある意味幸運だったのかもしれない。

当時はそんな大事とは思わず、呑気に「ああ、いつものやつか……あの辺はよく揺れるけど、今回は震度4くらいかなー」と思っていた。

一応職場の同僚(ご近所さん)に個人LINEで状況を聞いてから返信したが、「被害はないけどわりと揺れたよ」という同僚の言葉に若干の不穏を感じた。

「そういえば地震の時はTwitterって聞いた気がするな」とX(Twitter)を開いたら、めちゃくちゃ騒がれている。
予想外の展開にビビりながらタイムラインを見ていると、職場のグループLINEに通知がめっちゃ来ていた。

家から数十キロくらい先にある、行ったことある施設の床が落ちたり、柱が折れたり、荷物が倒壊してる画像がガンガン上がっている。私はここでようやくヤバさを実感した。

「コレ、そもそも飛行機なんて飛ぶのか??」
しかし既にリムジンバスに乗っていたので引き返しようがない。電車乗換の手間を省いたはずなのに、何故こうも私の行動は裏目に出るのか?

そして予想通り便は欠航になっていた。延泊決定である。
ちなみに一本前の便なら地震発生前なので、その日のうちに帰れたらしい。笑いしか出ない。

羽田空港直行バスで来てしまったので、近場の宿もそう多くない。ネットで探すと羽田空港内に宿泊施設があった。
高い方の部屋しか空いてなかったが、ホテル難民したくなかったので即押さえた。 

チェックインまで少し時間があったので羽田空港をゆっくり見て回る事もできたが、もう気持ちはそれどころではなかった。

家に残って休息をとっていると思われているため、テレビを見た親族一同から次々と掛かってくる安否確認の連絡。
自業自得に胃をキリキリさせながら電話応対したあと、水だけ買ってホテルに即チェックインした。

家族は三日朝イチの飛行機で帰ってくる。
冒頭でも話したが、私はオタ活を大っぴらにしていない。詳細がバレたら面白半分でイジってくるタイプが身内にいるからだ。

私に課せられたミッション、それはいかなる手段を使っても明日中に帰って家の状態を確認し、色んな意味で「大丈夫」な状態にすること。
「したい」ではなく、「しなくてはならない」。しくじった場合の「その後」なんて考えたくもない。尊厳破壊は二次元だけでいい。大袈裟と思うかもしれないが、この時は冗談ではなく生きた心地がしなかった。

アラームNGの宿で絶対に寝過ごさないよう、眠くない目を必死に閉じてこの日は眠りについた。

1/2 予定外の4日目


寝起きがおそろしく悪い私がアラーム無しで起きられるか不安だったが、なんとか定刻一時間半前に起床できた。

復旧してない可能性もあったが、航空会社HPで欠航のおしらせが無いのを確認してチェックアウト。
朝イチの便に搭乗手続を行い、無事保安検査場をくぐって搭乗口に着いた時、心の中でガッツポーズをキメた。

しかし、現状を目視確認するまでは油断出来ない。到着後はどこにも寄らずに空港から車を飛ばして直帰した。家までの道中は幸いにも特に変わったところは見受けられなかった。

まずは家の状態を確認せねばならない。
停電のせいでエレベーターが止まっており、階段をヒールで上る羽目になったが住んでいたマンションの損壊自体はゼロだった。

玄関の扉をドキドキしながら開ける。部屋の中身はどうなっていたか。結論、インフラや扉・窓の破損等の生活に影響する「被害」はなかった。
しかし「なにもなかった」と言うにはムリがある状態で、室内は壁掛け時計が落ち、色んなモノがズレ、タンスが半開きになっていた。

帰れてよかった。家の状態を細かくチェックして、速やかに「何もなかった」状態に隠蔽していった。
その後荷解きを済ませ、家族バレ回避を確信できる部屋の状態になったとき、やっと心から安心できた。

ほっとしたらお腹がすいたので、約20時間ぶりにご飯を食べた。暖かいカップそばはおいしかった。
こうしてわたしの東京一人旅は終わりを告げたのだった。

帰ったその日にスーパーで買った卵

 帰宅後、テレビで羽田空港で事故が起きたというニュースを見てなんとも言えない気持ちになっていた。乗客全員が無事というのにも驚いたが、今回は個人的な話にスポットを。

帰路の便はどうせ一日遅れるなら午後でいいだろうと夕方便に乗ろうとしていたら、たぶん欠航になっていたのだろう。
しかし、石川をちょうど離れたタイミングで地震が起き、羽田からフライトした日の午後に事故って……そんな偶然ってある!? 

なお、31日(2日目)に送った荷物(同人誌)は営業所休止の煽りをモロに受けて、家族在宅時に受け取りせざるを得なかった。
日時指定なしにすれば宅配ボックスで受け取れたのに、帰宅予定に合わせて指定したばかりに!!
しかしスーパーラッキーなことに、全く関係ない別の大荷物が同時に届いたことで案外スムーズにごまかすことに成功したのだった。

ここまで読んでくれてありがとうございました。

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