ばいばい、わたし。

かえるです。
今日も読みたいところだけ読みたいだけ読んでほしい。

久々の文字を使っての表現。
最近までの私は、自分の気持ちを感じられて、自分の頭で少しずつ考えることもできるようになって。とても豊かに暮らしていました。

というのも、今までの私は自分の意思や感情が薄く、「かえるちゃんは、どうしたいの?」とか「どういう気持ちなの?」とかの質問に答えることができない人でした。
それは、自分の意見を主張できないのではなく、それ以前に自分がないような感覚で、探しても探しても、見つかることはありませんでした。

それが、少しづつなんだけれども、見えてくる瞬間がありました。
瞬発力はないものの、自分の感じたことが見つかり、どうしたいかを考えることができて、それを伝えることもできるようになりました。
今まで伝えることをしてこなかったので、なかなか上手くできませんでしたが、相手に伝わったと感じた時の喜びは今までに体験したことのないものでした。嬉しくて、とてもとても幸せな気持ちになりました。

その、自分の気持ちが見えてきたことのきっかけのうちのひとつ。
私の長年の習慣を、勇気を出して減らしていったという心当たりがあります。
おそらく、その紐付けは間違っていなくて。
後から知るのですが、その習慣というのは自分の「思い出す・考える・決める」をすることを脳にやめさせるというものだったらしいです。
なるほどなと、辻褄が合いました。

「思い出す・考える・決める」この能力をよみがえらせることで、私の人生はとても豊かになりました。
自分の気持ちを知り始めて、好きなものができました。逆に嫌いなものもできました。
そのどちらも、私の中では新鮮で、ザワザワすることもあるけれども、そんな新たな自分に出会うことも、とても豊かだと実感していました。
伝えることだって諦めませんでした。自分が伝えることがあるのがとても嬉しかったからです。

自分の気持ちをキャッチすると同時に、たくさん拾うものもありました。
それは、どこからも聞こえないはずの自分を責める声でした。
その声は誰が話しているわけでもなく聞こえてきます。
私が自分自身で生み出す声でした。
でもその声は、自分自身から語られるのではなく、他の人の声として私の中から聞こえてきます。
一言とかでなく、たくさん聞こえてきて、それに潰されそうになった時には、もう声が多過ぎて、聞き取れないくらいになっていました。

きっと、その声の内容も、今まで私が心に貯めてきたもので。今までの人生経験の中で私を傷つけてきた数々の声でした。
他者から言われるより前に自分の中でたくさん自分を傷つける言葉が飛び交い。
どうやらその言葉によって、自分を守っている様子でした。しかし、その言葉のひとつひとつに私は結局傷つくので、常にダメージを感じていました。今はもう息絶えた言葉を掘り起こし、ただただ自分にぶつけていました。
酷くなると、私の中だけの妄想にとどまらず、今目の前にいる相手が実際にそのように思っているように感じて、勝手な被害妄想から、相手を信じられなくなることも、毎度のことのように起きてきました。
相手がまだ話し始めないうちから、たくさんの声が聞こえてくるもんだから、会話もしていないのに返事をするなんてこともありました。

ついには、その被害妄想からの不信感で相手を責め立て始めます。
たくさん暴れて迷惑をかけて、いままでの信頼関係も全部無くしてしまい、マイナスな状態になってしまいました。
その相手はひとりではなく、いろんなきっかけでいろんな人の信用を失いました。
その相手は全員、私のことをとても大切に思う、私にとっても大切な人でした。

その信用を失った瞬間、私の中には、酷く反省している自分、傍観している自分、受け止められずにパニックになっている自分、自責を超えて他責になってしまった自分、全てを受け入れようとする自分、いろんな自分がそこにいました。
それらの自分は、やがて別の人のように自分の中で存在し始めます。
信用を無くすくらい暴れ回った自分に対して、別の自分が失望し、「やってくれたな…」と責め立てていました。

そこからだんだん自分という存在が複数に分かれているような気持ちになってきました。
それぞれの自分を受け入れられていないんだと言われるとそうなのですが、分離してしまった別の自分が言っていることや体験していることが、他人事にしか感じられなくなり始めました。

そして落ち着いた素直な気持ちでいられる人格の自分が、その自責の声しか聞こえない世界で生きる、暴れ回る自分を抑え、表面に出てくることを拒絶するようになります。何度閉じ込めても出てくるし、一度出てしまうと、なかなか素直に考えられる自分に戻ることができません。
そんな自分が嫌すぎて、1日の中でずっと心の箱に閉じ込めて、出てこないようしっかり抑えてずっとずっと見張っていました。
それは、とても疲弊するもので、余裕なんてものは消えて、心から笑うことが全くできなくなっていました。瞬きをした瞬間に飛び出てくる。そんな感覚でした。

この自分を責める声というのが私の幻聴であり、人格が分かれているのが、分離だと感じています。
そして、以前からこの私の持つ特性は、「人には理解できないものということを理解しておいてください」という言葉をもらっていました。ここに関して諦めるという行動が有効なんだろうと理解しました。

もちろん、今まで何度も責める声に向き合い続けてきました。
いろんな方法を試してみて、続けていました。
私なりに真面目にストイックにやっていたので、もう、疲れてしまった気持ちです。
対処しても溢れてくる。源に辿り着いても、どうすることがいいのか分からない。
そんな挑戦だったからです。

今日まで、どうするのがいいのか、あまり使い慣れない頭で考え続けてきました。
うるさい声をなくせばいいのですが、今すぐにとれる即効性のある手段は、習慣を戻すこと。それは感情がなくなり、考える力も使えず、たくさんのことを忘れてしまう。つまり、自分をけしてしまうことです。得られた豊かさや喜び、幸せはあまり手に入れられなくなるかもしれません。それでも、被害妄想で大好きな人が離れていくことを考えると、その選択が私はベストだと考えます。

とても悩み尽くしましたが、以前からの習慣をまた再開しようと検討しています。

私のほんとうの願いは、自分のやりたいように自由に楽しく幸せに生きること。

今の状況を変えるために、一旦その望みを手放そうと思います。
少しでも今の状態から未来が変わるなら。

また会えるといいなと思います。
ばいばい、わたし。

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