SNSに書くこと

かえるです。
こういうブログみたいなのって、最初は自己紹介とかから始まるんだと思います。
そういう準備や策略や計画みたいなものが、苦手と感じている私は、突然話したいことを話し始めようとしています。
心地よく読めるとこまで、お付き合いください。

今まで別の媒体で自分からあふれる思いや気付きを、気が向いた時に、気が向いただけ書き続けてきました。
そんな中で、ブログに自分の感情をぶつけてしまい、配慮ができず、大きく信用を失ってしまう出来事がありました。
たぶん、大きくなってしまったのは、その出来事ですが、これまでたくさんの地雷を踏んでいたんじゃないかなと、今となっては思います。

その日から、私が文字で表現することは、自分が責任をとれる範囲を超えてしまうなと、辞めておいた方がいいことだと、言い聞かせ続けていました。
今も、表現することは怖いです。私は想像力ってのが少ないと痛感しているから。

それでも、書きたいと思うのは。
私にとって、自分の思いを文字にして、ネットの海に放つのは。
とてもとても大切な作業なんです。

今までは、とがったままで、見てくれる人に、「聞いて聞いてー!!!」くらいの勢いで、投稿してきました。
あまりに自分よがりで、わがままで。

これからは、メッセージボトルのように。
誰かが拾って受け止めてくれたらいいな〜くらいの、優しい気持ちで、思いを放っていこうと思いました。
まだまだ自信はないけれども、やっていきます。

こうして私のアカウントは増えていくのですが。
また新たにスタートしたくなったので。
そんな自分を励ます気持ちで、また気が向いた時に投稿していきます。

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「なんでこんなにSNSで表現することに依存しているんだろう?」
今回やっと私が持てた、自分に対する疑問です。

おそらくの答えが、今日ふと浮かびました。
ずっと見えなかったのが、不思議なくらい、それは私の答えでした。

私は、恵まれた家庭で育ってきました。
ごはんも、寝る部屋も、おしゃれも、旅行も、海外での経験も。
たくさんのことが揃っている、愛のある家庭でした。

でも。私の欲しかった愛の形は、あまり見えなくて。
愛情を直接的に感じることは少なかったです。

あまりによくばり過ぎる話とは思うのですが、私の主観で話をさせてください。
家族との話は、また、話しても誰にも迷惑をかけないと思た時に、話します。
今日は少しだけ。

私はきっと、家族と会話をしてこなかったんだと思います。
そういう環境では、ありませんでした。
あまり記憶にも残っていないのですが、会話がないわけでなく、安心して自分の話ができる環境ではなかった気がしています。
家族で信じられる人はいませんでした。
それでも頼らないと生きていけないから、なんとかコミュニケーションをとっていましたが、自分の話を聞いてもらえた経験がありませんでした。
思い出せる会話がまったくありません。

それが理由ってしてしまうのですが、学校の中でも、あまり話が上手にできませんでした。
友達との何気ない会話、先生へ意図を伝えること、知りたいことへの質問、どれも下手くそでした。
そのうち、周りのクラスメイトやチームメイトは、どんどんお話が上手になっていきました。
私が気づいた時には、「かえるの話のオチってどこにあるん?全然おもんない。喋らんといて。」なんてことを言われ始めていました。
私はおもんないので、友達との時間に自分のことを話す機会もどんどん減っていきました。

私のいた家庭は恵まれていたので、通信機器を早くから持たせてもらっていました。
通信機器とまわりくどく言ったのは、PHSがはじまりだったからです。
それがガラケーになり、スマホになり、途中パソコンなんかも買ってもらいました。

PHSでは問い合わせしないとメッセージ来ないし、文字制限あるし、そこまで活用はしていなかったのですが、ガラケーになり、パケ放題になっていく流れで、私の世界は広がりました。
やっぱりハッキリとした記憶にはないのですが、掲示板のようなサイトで度々書き込みをしたり、自分自身でも掲示板を作った記憶があります。(チェーンメールっぽく告知しましたが、あまりひろまらなかったので、黒歴史です。)

その頃から、ネットは私の居場所でした。
アバターを使ったり、ネカマとして別の性別でいる人が現在でもいるように、自分のことを着飾ったり全く別の人にだってなれます。それは今も当時もあまり変わりません。
私はネットに触れた時から、私のままでいました。
現実世界でも、めちゃくちゃ気を遣っていい子をしていたのですが、ネットの世界でも普段通りいい子の自分でいました。
現実世界では上手くいかない、こんな自分を受け入れてくれる場所をネットの中に探していたのかもしれません。
そのままの自分でいられる方法も分からなくなっていたので、ネットでもなるべく好かれたくて、平和主義なポジションで立ち居振る舞っていました。
コテハン(固定ハンドルネーム)をつけて、その名前が掲示板のまとめサイトに載っていることが私のステータスでした。

ここら辺の記憶がかなり消えているのですが、東京や静岡にネットの友達に会いに行ったり、実家にも関わらず、Skypeでネットの友達たちと毎日24時間繋ぎっぱなしで話していたり、ニコ生の生主を初めてみたり、アメーバピグで遊んでいたこともありました。

そんな私のインターネットライフですが、これはネットの海での私の姿です。当時の私はそれだけじゃなくて、現実世界でもネットでの繋がりを大切にしていました。
モバゲーが始まりだったか、mixiが始まりだったか、JUGEMが始まりだったか…それも曖昧ですが、その頃からブログっぽいものに自分の考えを書いていました。

ネットでもリアルでも、自分を表現することを辞めていた私の唯一の表現方法でした。

今はもう、アカウントもメールアドレスも忘れてしまって、デジタルタトゥーだけが残っている状況です。(探さないでください。見つけたら、そっと教えてください。前略プロフィールが自ら消えて、よかったと安心した人の一人です。)
何を書いていたとか、忘れちゃいましたが。
今とおんなじように、人を目の前にすると表現できなくなる気持ちを、自分のために書いていたんだと思います。

現実世界の友達には、たくさん指摘されました。
「何言ってるか伝わんないし、気持ち悪いよ。」
そんな言葉が今でも記憶に残っています。

今の私とあんま変わらないなって、俯瞰しながら思います。
根本こんななんやなぁ。おもろいなって。

ただ、今の私には、幸せなことに私の書くブログを興味深く読んでくれる人がいます。
お世辞と思わずに、そのままを受け取らせてもらうと、楽しみに読んでいるといったニュアンスでした。

誰かに見てほしくて、書いているところも、もちろんあるし。
褒めてもらえたら、とても嬉しい。
そんな評価されたくて書いているのは、ほんといけないことだなとか、カッコ悪いとか、もちろんジャッジもしていて。自分のためによくないと理解もしています。

でも。私の根本はここだから。
小さい頃から、誰にも聴いてもらえなかった話を、聞いてほしいの。
一旦聴いてもらうって経験を、心から満足するまでさせてほしい。

本当に聴いてほしい相手は自分自身ってのも、理解している。
今は自分自身のことも受け入れられていないので、なんぼ聴いても話したと思えない。

スタートラインにすら立てていないことは、自分が一番わかっています。

現実もネットも、なるべく暗いことは書きたくないし、前向きで明るくなれる話がしたい。
そんな気持ちを強く持ちながら、私は私のために。これから力強く歩み始めるために。
しばらくここで、自分のことをたくさんお話させてください。

まだまだ、私はいつか自分の足で歩けるって信じているし、諦めきれていないので。
私も大丈夫って、思えるような安心感を、自分自身にプレゼントさせてください。

そんな私の「SNSに書くこと」についてのお話でした。
またね。

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