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最近、仕事についてあらためていろいろ考えていて、
そんなことで、昔からいろんな面でお世話になっている灯台屋さん、まるおかよしこさんの連続コーチングを受けてみています。
https://todaiya.com/
連続なのでまだ途中です。

コーチングの時間では、とにかくまるおかさんにたくさんのお話を引き出してもらう感じです(これはきっと今回のわたしの場合)。
テーマは自分で決める。基本。

その中で、
自分は「陰キャでコミュ障で人と関わるのが下手でオタクなところがネックだと思う」、というお話をしたのかな?
ほんと占い以外、あるいは好きなドラマとかアイドルのこと以外ではぜんっぜん人と話せない人間です。

で、
わたし自身は、仕事って、人とのつながりがすごく影響すると思っていて、
それなのに、自分がこんなだから人とのつながりができない、みたいな流れだったのかな?
このようなお話をしたのは。
そう思っているのはこれまでの経験から。

さらにはだから自分は成功できない、って思ってるのは、
そういう部分がナチュラルにできて成功しているように見える(勝手に自分が思ってる)対象がいたりするのです。
コミュニケーションが上手でいろんな人と平等に関われる方。
ほんとうにすごい。

ナチュラルに人とのつながりを広げることができて、仕事も広がっていく。
そんなふうに自分には見える、です。
これ、本当のところはわからないんですけどね。そう見えたって、見えないところで本人がすっごく努力されているのかもしれない。
…と、ここで、そういう努力できない自分がだめなんじゃないか的思考が頭をもたげてくる。

そこで問いかけられたんです。
「そういう人になりたいの?」と。

自分が止まるのがわかりました。
そういう人になれたらそりゃあいい。
でもなんだか、どこか気持ちが曇るんです。
曇ったまま帰宅して、なんとなくぼーっと考えていて、
気づいたんです。

「なりたい」はなりたい。なれるといいなあ、とは思う。
だけど、わたし、
「陰キャでコミュ障で人と関わるのが下手でオタク」な自分のことも大切にしたいんだ、
…てことです。

そして同時に、
わたしこれまで西洋占星術やタロットで占うことにかかわっていて、
お客さんを見ていて
「自分のままで生きること」というのが、一番その人にとってストレスのない、納得のいく生き方ができるんじゃないか、と思うようになりました。
(どちらかというと「そうしちゃいけない」、「なんらかのまぼろしの『世の中の基準』的なものに合わせて生きなくちゃ」と思っている方が苦しんでいる気がする。)

それはたとえば、
「モテたい」として、全方向に明るくほがらかに振る舞うのがグッドだと思ったとして、本人がそれができるタイプじゃないのにやろうとしてできないとストレスになる。
けれど、そうじゃなくても自分なりの魅力や振る舞い(明るくほがらかにの対極なら、たとえば落ち着いて思慮深くとか)をしていった方が、最初にイメージした「モテ」ではなかったとしても、その人なりの「モテ」に近づくことができるんじゃないか、みたいな。
…こんな例えでごめん。

なので、自分がこれまで学んで、そしてお客さんの話を伺いながら培ってきたことと反するとも思ったんです。

それでも自分のこととなるとついつい忘れがちで、
だけれど問いかけられて、自分自身で確認できたことで、ひとつ心が決まった感じがしました。

「陰キャでコミュ障で人と関わるのが下手でオタクな」自分を大切にしていく。
その自分のままで、仕事を考えるならば、自分なりの工夫をしていくことだってできるのではないか、ということです。

いやまだここについてはいろいろ試行錯誤中なんですけど。

ひとつの問いかけで、なんかばーっと変わりはじめた感じがあったというか…。
だからコーチングっておもしろい。
わたしひとりがなにか訴えつづけるでも、「あなたはこう」と言われるのでもなく、その場でのかかわりがあることで自分の中にあるものに自分自身で気づいていく。触媒的なものでもあるのかもしれない。

そういえば、自分自身が占いの講座を続けているのも、
自分自身で自分のことを(知識をつけることによって)理解できること。
それがすごくいいことなんじゃないか、と思っていることがひとつあります。
自分にとっては、レッスンって知識を身につけるレッスンでもありつつ、セッションとも近いと思っているんです。
自分自身で気付けることが強み。
世の中でスムーズに生きていきやすいルールらしきものはあるとして、それとは別に自分らしきものが見えてくること。
違う人になるのでなく、その自分のままで、工夫しながらどう生きていくか。
目指すことは近いのかもしれない。

こんなことを考えてたら、
たまたま20年ぶりの友人と会う機会があって、
米津玄師の曲に「いびつなままで生きる」という歌詞があるんだよ、と教えられて
会ったこともそんなに曲も知らないはずの米津玄師とそもそも20年ぶりの友人ふたり、「友達かっ」みたいな気持ちになったのだった。
なんかありがとう。

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