なぜ米をとぐのか
なぜ米をとぐのか分からない。
ふだん、会社の後輩たちに、「目の前の作業には、それをなんの目的でやってるのか、理解して取り組まないといけないよ(笑顔)」って言ってるけど、なぜ米をとぐのか分からない。
元来、なんのためにやってるのか腑に落ちないルールを遂行するのが、ものすごく苦手だ。
たとえば洗濯物。たたむ道理がまるで分からず、長袖のヒートテックは、丸めてくくって、かごにポンポン入れている。あとは全部ハンガー。
哲学科で真髄に学んだ「当たり前を疑う」の基本姿勢が、まったく教育的でないかたちで染みついてしまっている。チュ、がさつでごめん。
「自分の頭で考える」の集大成が『ひねくれ女の、ちょっと大胆な生活』として、毎日連続放送されていて、まともな人間が見たら、ほとんどがチャンネルを変えたくなると思う。
洗濯物をたたんだり、タンスに服をしまったり、季節がめぐったら衣替えをしたり、そういう当たり前のことを当たり前にできる人のことを、ほんとうに尊敬している。ほんとうにできない。
が、そんなひねくれを煮詰め尽くした女も、米はなぜかといでしまう。
なぜ米をとぐのか分かっていないのに、といでしまう。
現代の米は、とがなくても、味になんの影響もないかもしれないのに、といでしまう。
その曖昧さが、ちょっとおまじないめいていて、「いま、めっちゃ日本人だな〜」って思いながら、うすら笑いでといでしまう。
1度目はすぐに水を変え、2度、3度、ていねいにといでしまう。
なぜ米をとぐのか。とがないとどうなるのか。
気になったことはすぐにインターネットで調べる性分なのだが、なんとなく、その繊細な"おまじない性"を壊してしまいそうな気がして、なぜかいつも調べる気になれない。
気になったときにはいつも手が濡れている、というのも、実際は大いに関係があるんだと思う。
ふと、白黒つけない方がいいこともあるみたいです、って友だちが教えてくれたことを思い出す。
わたしの場合、物語の重要なセリフは、だいたい友だちに割り当てられている。
おまじないを続けよう
ほんとうのことは、だれも教えてくれるなよ
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