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【ネタバレ感想】「イヤーツー」の『ザ・バットマン』

『ザ・バットマン』(以下、本作)。冠詞としてtheを付けることで固有名詞としてでの「バットマン」ではなく日本語訳では通称(というか渾名)としての「コウモリ男」のような意味だろうか。劇中、バットマンがその名で呼ばれるシーンはほぼ無い(口に出すのはアルフレッドだけで、後はリドラーの手紙と新聞記事に載っているだけだった、と思う)。バットマンは謎に満ちた、劇中のブルース・ウェインの独白を借りればまだ名前のない「影」のような存在なのである。

本作はバットマンが活動し始めて2年目である(ゴードン警部補が知り合って2年と言っている)ことが明示されている。バットマンのコミックスのタイトル風に言えば(すでに各所で言及されているが)、『イヤーツー』の物語である。

過去の作品で『イヤーツー』ものというか、第2作が評価が高いのがバットマン映画の特徴である。すなわち『バットマン リターンズ』と『ダークナイト』である。厳密に言えば前者は『バットマン』(89年)から何年後かは不明だし、後者は『バットマン ビギンズ』から約半年後の物語であるのだけれども。

ただ本作と上記2作には共通点が多い。「バットマンの活動が周知され始めている」「バットシグナルが効果的(悪人への警告的)に用いられている」「バットマンの活動を懐疑的に思い始める者(警察など)もいる」「ブルースはバットマンとしての活動にやや倦んでいる」そして「バットマンの存在が結果的にヴィランを呼び寄せてしまう」といった所だろうか。『イヤーツー』はバットマンを描くのに適した時間設定なのだろう。

いちばん最後の『バットマンの存在が〜』ということに関して言えば『リターンズ』ではペンギンがゴッサムシティの光のような存在であるバットマンを妬み市長として表舞台に立とうとしながらバットマンの抹殺を企てる(本作のリドラー=エドワード・ナッシュトンのようにペンギンは孤児である)。

『ダークナイト』は言うに及ばずだろう。ジョーカーは「バットマンこそが犯罪者としての自分を完全なものにしてくれる」という妄執を抱きどこからともなく現れゴッサムを混沌に叩き落とす。

そのためか本作と『リターンズ』『ダークナイト』で似たシークエンスは多い。そもそもペンギンとキャットウーマンは『リターンズ』のヴィランであるし、警察に追われるバットマンが飛行して逃げる(コミックス『イヤーワン』や『バットマン ビギンズ』にも似たシーンはあるが)。

『ダークナイト』はジョーカーがゴッサムに爆弾を仕掛け州兵が事態を収拾するまでの事態となるが本作のリドラーによる人為的な洪水発生とその顛末に酷似している。なお『ダークナイト』では市民(と囚人)がその「正しさ」で爆発を回避するのに対して、本作は対照的に市民が最後の敵となる(このあたりSNSで扇動された市民による2021年の合衆国議事堂襲撃をイメージさせなくもない)。

細かいところでいえばセリーナ(ゾーイ・クラヴィッツ)が「猫には9つの生命がある」という台詞は『リターンズ』のセリーナ(ミシェル・ファイファー)のものだし、ペンギンがバットマンとゴードンに向かって「いい警官と悪い警官か?」というのは『ダークナイト』のジョーカーの取調べシーンの台詞と同じである。

結末の話になるがバットマンは白昼に初めて身を晒し市民を救助する(映画でバットマンが白昼に現れるのは66年の『バットマン オリジナル・ムービー』を除けば『ダークナイト ライジング』の最終シーンのみ)。それを報じるニュースはバットマンのことを「正体不明のマスクの人物が人命救助を…」と言っている。これ以降、市民は彼を固有名詞を持ったヒーロー「バットマン」として認識するようになるだろう。極めて上手く構成されたストーリーだった。

最後は余談になるがウェイン家の物語がケネディ家の因縁を思わせるシーンや、冒頭の白塗りのギャングと最後に登場するリドラーとともにアーカムに囚われている患者との関係(「カムバックすればいい」と言っているのは以前彼が外で彼らを率いていたのでは?と思わせる。ちなみにその患者が出す謎々の答えは「トランプで1枚しかないカード」のことではないかというのは穿った見かただろうか)など、まだまだ語りたいことは多いのだが別の機会にしたい。

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