見出し画像

昭和30年代の58枚の写真

「まぁ、いいか・・・後でで・・・」と、全く思わない性質の人間が起こした、不思議な話を書き残しておきます。


今週の頭に二泊三日で帰省をしてきました。帰省理由は、いつもの通りです。滞在中、母親のケアにプラスして各所の掃除も・・・。上京する直前まで使っていた部屋は今は使えず、床の間のある居間で寝泊りをしています。週に一度、補助の方が入ってくれている関係で、以前よりも掃除の頻度は減っているものの、その方々が出来ない場所は私が掃除をしています。

今回・・・床の間の汚れが気になり「そっか、ここは掃除出来ない(しない)のか」と思いながら初日を終えました。二日目、どうしても床の間が気になり、いつもは掃除をしないところも「綺麗にしよう」と思い、プチ大掃除を。

親父が好きだった日本人形の裏を掃除していると、焼き海苔の缶が出てきました。私もそうだったのですが、昔は缶に何を入れたり・・・ちょっとした宝箱のように扱っていました。「缶?・・・分かりやすいというか・・・」と思いつつも、ワクワクしながら開けてみると、昭和50年代の謎の領収書や、京都 大原 三千院のパンフレット・・・さらに昔の写真が大量に出てきました。さすがに驚いたので、母親を呼んで「この写真って?」と聞くと「見たことがない・・・初めて見た」と。そう考えると、母親と出会う前、結婚前の写真ということが分かり、逆算してみると、おそらく、昭和30年代、1960年代の写真ということに・・・。親父は20代前半・・・。

同級生の結婚式の時の写真と思われる1枚ですが・・・これが20代とは思えませんでした(笑)。しかも鳥居の前で・・・煙草を片手に記念撮影・・・。

今の母親の脳の状態を考えると・・・まるで親父に「床の間の日本人形の裏を見てみろ」と・・・罠を仕掛けられたような気分になりました。その缶の中には、昭和59年(1984年)の母親の写真も入っていました。バレーボールの大会後の集合写真が2枚・・・。それはそれで謎ですが(苦笑)。他は、親父が友達と旅行に行った時の写真などが・・・計58枚。

サイズ感も昔ながらの小さいサイズの写真も沢山・・・。率直に驚いたのは、そんな保存状況の中でも、60年前のプリントは・・・生きていました。もちろん劣化している写真もありましたが、ほぼそのまま。

親父が撮ったであろう写真も・・・。

悔しいですが・・・いい写真です。

デジタル社会になり、写真もデジタルになり、何枚でも撮れて、嫌な写真はすぐに消去・・・。保存方法もデータ・・・。色々と考えさせられました。と、同時に・・・やっぱり写真は凄いですし面白いです。親父が亡くなって、今年で12年。その間に色々な発見はありましたが、今回のこの58枚の写真は衝撃的でした。


サングラスを愛していた親父・・・

若い時から煙草が大好きだった親父・・・そして謎のポージング。

コートに袖を通さない親父・・・。それが逆に”今っぽい”。

身長を誤魔化し・・・足を少しでも長く見せようとするテクニック・・・これも”今っぽい”。

「お父さんは、オシャレだったよ〜本当に」と笑いながら言う母親。床の間を掃除して良かったと心の底から思った瞬間でした。「まぁ、いいか・・・後でで・・・」と思わず、自分の直感を信じて本当に良かったです。

母親に内緒で隠していたところを考えると・・・あの集合写真に、その当時の彼女が写っていたのでしょう。母親の脳は、そろそろ限界です。完全に記憶を失う前に導いてくれて、ありがとう。

おそらく、前回帰省した時に、お墓を大掃除したことのご褒美なのでしょう。ありがとう。

私は、あなたと似ていて、神経質で綺麗好きです。(でも、ここ数年・・・例の騒動中は、それが生かされました。おそらく初めて生かされました。今までは、神経質で綺麗好きは、普通に嫌われていました)そのそのお陰で写真を発見することが出来ました。厳しく仕付けてくれたこと・・・今では感謝しています。

ありがとう・・・親父。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?