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続・今年最後の己巳の日

二日前に書いた『今年最後の己巳の日』の続編です。

今年最後の己巳の日当日、予定が二転三転して横浜市港北区の『菊名池弁財天』ではなく、新宿方面に行ってきました。

新宿区余丁町の『厳島神社 抜弁天』と、新宿区河田町の『金(こん)弁財天』へ。

まずは・・・『厳島神社 抜弁天』。

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小さな弁財天ですが、綺麗に集約されていて抜弁天と言われるだけ、ス〜っと心地良い空間でした。

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綺麗な池からの龍。全体像が印象的でした。

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三つ鱗も。

※『厳島神社 抜弁天』の詳細は、是非こちらで。


そこから歩いて『金弁財天』へ。

少し分かりにくいところとは聞いていましたが、大通りから路地に入って、すすす〜っと抜けたら目の前に。

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狛犬ではなく”狛巳”です。

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綺麗な鏡も・・・。

『金弁財天』の詳細は、是非こちらで。

共にお初のエリアでしたので、散歩も楽しく、新宿に昔懐かしい住宅街が広がっているとは知りませんでしたし、歩いたお陰で、気になるカレー屋さんや洋食屋さんを発見することも出来ました。散歩の醍醐味です。

最後の〆に以前からどうしても行きたかった焼き鳥屋さんへ。いつもより少し高級な焼き鳥屋さんでしたが、驚きの美味しさで。

タワーレコードでCDを買い、『はやしや』でオムライスを食べ、レシートキャンペーン中とのことで下の階で人生初ダーツ、弁財天をハシゴ参拝し、『喫茶 PONY』で一服し、『store a』で茶色のパンツを買い、『とり仟』で一杯。

平日休みを十分に堪能させて頂きました。

1万6千歩弱・・・歩いたそうです。いい運動にもなりました。


最後に蛇信仰の話を少しだけ。

栃木県栃木市にあります『太平山神社』HPから転載させて頂きます。

▽ 蛇と水神のはなし

太平山神社には蛇神を祀るお社があります。日本の蛇信仰は広汎に渉りますが、まずは水神信仰との関係についてお話ししたいと思います。もともと日本には、縄文時代の地層から「蛇を頭に巻き付けた女性」を象った土偶が発見されているように、蛇に対する信仰は古くからありました。日本の蛇である「地ムグリ」は、鼠を捕らえ穴にもぐるのが好きな蛇です。「山カガシ」は水辺に多く蛙や淡水魚などを補食し、「青大将」は鼠が好きで山村に多いのが特徴です。一般に、蛇が「田を守る神」とされるのは、蛇が男根への連想から種神(=穀物神)として信仰されたからであり、田の稔りを荒らす野鼠を補食するからと考えられています。水田稲作を中心とする日本の農耕においては、農耕神は水神ととても密接な関係にあります。古来「雨乞い」が重要な祭祀の一つであった所以です。そして蛇神は、蛇と龍との習合、および湿地を好んで生息する習性にもとづき、水神の使い、もしくは水神そのものと考えられるようになりました。これに加え、命の再生の象徴のように見なされる脱皮という生態やその生命力の高さが、蛇に対する畏怖の念を強め、さらにそれが「蛇信仰=水信仰」を根強いものにしたと考えられます。また一方で、水神としての蛇は、弁財天(べんざいてん)や宇賀神(うがじん)の神使としても信仰されています。宇賀神というのは穀霊であり、弁財天には本来水の神の特性があります。これらの神が中世以降、習合して各地に流行し、海辺や川・池の畔に祀られるようになったのです。弁財天の縁日(巳待講)が巳の日に行なわれるのは、そうした由来によるものです。太平山神社の境内には、江戸時代まで弁天社があり、その社殿は池の近くに建てられていました。明治以降、弁天社は無くなりましたが、水神信仰そのものは残りました。現在の蛇神社は、江戸時代の水神信仰の名残を僅かに留めているのです。

※転載元 http://www.ohirasanjinja.rpr.jp/info/detail.php?n=0031

余談ですが、太平山と言えば、焼き鳥も有名です。以前撮った写真が見つからず、こちらのリンクで。

画像を見ていたら、お腹が鳴ってしまい。

そろそろ昼食にします。


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