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自由が丘『熊野神社』夫婦松・良縁松と参道の岩

昨日、2022年3月27日(9)で例のお参りも三十日目(3)となりました。まだまだ争いは終わりそうにもなく・・。そのキナ臭い理由の一つに・・こんな○○な話があるそうです。

ズベルバンクとかあるいはガスプロムなんかの株価が落ちている。急激に株価が下がっているらしいですね。それは経済制裁があったから下がったということにはなるんでしょうけど、しかし、アメリカのゴールドマンサックスとかモルガンスタンレーとかがそれを今買い漁ってるということなんですよ。どういうことですか・・。その超安値でそういうロシアの一流企業の株を買い漁ったらどうなりますか。それがそのまま紙くずになると彼らは予想していないわけですね。その株が上がると見込んでいるから今買い込んでるわけですよ。ということはどういうことかということです。ひと儲けしようとしているわけですよ。

※転載元 
https://www.youtube.com/watch?v=sG17JcrRqSY

参考記事も貼っておきます。

これも所謂・・xxビジネスです。

この手の話はまた後日Blogに書くとして、今日は昨日参拝した自由が丘『熊野神社』の話を少し。

一般公開された『夫婦松』『良縁松』

何度も何度も訪れている『熊野神社』ですが、あの松を間近で見られるようになっていたことを数日前に偶然知りました。別件をあれこれ調べているうちに、こちらのBlogでそれを知り。

その松に関しては、こんな話も。

「自由が丘熊野神社」の本殿の真ん中あたりに見える松の木も由緒ある松の木です。その昔紀州、吉野大神宮から運んだ苗が、自由が丘で育ったという伝説の松です。松苗は移植するとなかなか育たない場合が多く、松がの苗が無事に育てばその土地は神様が宿ると言われているそうです。自由が丘熊野神社では、その松が立派に成長し、自由が丘が繁栄したようで、神社はこの樹を大事に守っています。参拝してご利益を賜りましょう。

※転載元 https://travel-star.jp/posts/18972

以前、この話を知り、参拝の度に頭だけ見える松を社殿越しに眺めていました。それが今は近くまで行けると。確かに『熊野神社』のInstagramをチェックすると、今年の1月10日にその事が書かれていました。

1月10日以降も何度か参拝へ行っていたのですが、全く気付きませんでした。そこで、昨日は”三十日目”という事もあり「”三”と言えば、三本足の八咫烏・・・」と。松も見たかったので行ってきました。

社殿右にあります、稲荷神社を前に立つと左にこんな表示が。

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確かにありました。そこから奥へ。

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思わず「お〜〜〜っ」と声をあげてしまいました。左に写っている石造りが本殿になります。本殿は明治四十二年(1909)に造営されたものとのことですが、倉のような石造りは珍しいです。

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なんとも形容し難い空間。

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これが遠くから見えた松。

こちらが本殿。

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本殿と二本の松・・。昨日撮った中で、一番お気に入りの写真です。
↓ ↓ ↓

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「ここが本当に自由が丘なのか・・・」と感じます。もっと敏感な方なら、さらに何かを感じ取れるかも知れません。それにしても、凄い空間でした。いつも感じるのですが、やはりどの神社も”本殿の真裏は・・・”と。

参拝を済ませ、以前からど〜しても気になっていた参道にある大きな岩のことについて、神社の方に聞くことにしました。

あの参道の岩は・・・

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私:「あの〜ちょっとお聞きしたい事がありまして。三之鳥居のところにある、あの大きな岩は、どんな意味があるのでしょうか?」

神社の方:「あの岩は、造園関係の方々が寄贈してくださった物でして。岩の裏にお名前などが彫られています」

私:「では、富士講とは関係ないのですね」

神社の方:「はい」

正面から見ると・・・

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ちょっと富士山っぽい三角形だったので、富士講と関係があるのかなと思っていましたが、違っていたようです。それにしても・・この形。

「裏?」

岩の周辺には立ち入りが出来ないようになっているので、横から無理やり写真を撮ってみました。

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確かに『奉納』と。その下には・・・

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さらにズームをしたらピンボケ写真になってしまいましたが『奉納』の下に『自●庭●』と彫られ、その横には名前らしきものも見えました。

この岩の詳細や画像などはネットを調べても全く見つからず、現時点ではこれが限界。でも、ちょっとスッキリしました。

※何かご存知の方がいらっしゃれば是非教えてください。


松の話に少しだけ戻りますが「木が無事に育てば」というキーワードで、去年訪れた『弥彦神社』の御神木を思い出していました。

伊夜日子大神様が弥彦の地に宮居を御定めになる折に、携えられていた椎の御杖を地面に立てられて「ここが永住の地に相応しければ、根を生じ、芽を出して繁茂するであろう」と御告げになると、御杖は大樹となって彌彦神社の位置が定まったと伝えられています。

一風変わったお百度参り。その『百日目』を調べたところ、2022年6月5日(日)でした。「この日、再び『弥彦神社』へ参拝に行く事が出来れば・・」と、ぼんやりと考えてしまいました。もちろん、それまでに争いが終わればこのお参りを一旦終わりにしてもよいのですが、その後の双方の国のことを考えると、争いが終わったとしても、百日目まで参拝を続けることに意味があるような気がします。


最後にオマケの数字遊びを。

昨日2022年3月27日(9)、お参り三十日目(3)、百日目は2022年6月5日、2+0+2+2+6+5=17、1+7=8。しっくりこなかったので、ちょっとずるい変換をして、令和4年6月5日で。4+6+5=15、1+5=6。出ました!『6』。『9』『3』強引な『6』。

『9』『3』、『6』。

出ました? 出しました(苦笑)。自己満足のスッキリ感。

令和4年1月10日と八咫烏

「”三”と言えば、三本足の八咫烏・・・」。『熊野神社』が松を一般公開したとInstagramにポストした日付は、1月10日。令和4年1月10日(6)。『3』と『6』・・。三本足の八咫烏の指の本数は、3x3=9。

『3』『6』『9』

数字は・・・面白いです。




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