外国と比べた日本の母性と父性。

正しく情報を得て、じぶんをもつために。

の記事では、

何か方法を教えるではなく、

一緒に考えていきたい

という、これからfrom now onの活動のことを書きました。


今回はその続きで、日本の母性社会と父性社会について書きたいと思います。


日本の家庭では母親が育児においても権限を強く持っていることの方が多いです。

それは出産は女性だからできるものであったり、

育児も赤ちゃんの頃は、母親との結びつきが性質上も強いこともあるのかもしれません。


育児をする中で、なんで気持ちをわかってくれないの?と思うお母さんも多いと思います。

でも命を授かる上で、

奥さんだけが通院をがんばるかというとそれも違う時代であると思いますし、

女性だけが栄養に気をつける、健康に気をつける時代でもなくなってきていると感じます。


しかし、それでも、産婦人科に男性が行くということがなぜか理解できない男性やなんとなく恥ずかしいという男性もいるのは確かです。

それでも、子どもが大きくなる上で、

父親だという意識や、

目の前にいる子どもが我が子だということを実感する方はその方によるとは思いますが、

また女性と違う責任の負い方であったり、

感動を覚える瞬間もあるのは確かです。


でも、かといって、母親だって、

すぐに母親になるわけでもなく、

女性は性質上、そうならざるを得ない状況になるだけで、

最初から母性が生まれているかというと、

それも人によってばらばらだと思いますし、

それでいいと思っています。


何人子どもを産んでいようが、やることや予測がついて慣れることはあっても、

その子、その子は違うし、

すべて母親だから、

その子のことがわかるわけでもないのは、

母親であっても父親であっても一緒です。

そこが、なぜか母親には負ける、

できないことも多いから父親は距離を置いてしまう理由なのかもしれないですね。


今は、父親も育児に参加することが社会的にも認められていて、

育児をすることが体裁が悪いとか、

理解されないなども少なくなってはきてはいるのかもしれませんが、

かといって、それがすべての社会において通用すると言えば、

実際は、そうではないと思います。

責任を負う職務についていれば、やらないといけないこともあるし、

みなが仕事と家庭の切り替えがうまいかと言えば、

そうではなく、

男性であっても、女性であっても、

同時進行に物事を考えながら仕事ができると言えば、できるものでもありません。

だから仕事と家庭の両立は難しいのです。

そしてほとんどは家事や育児を

子どもが小さければ小さいほど、女性が抱え込んでしまう状況が多い。

気質上もあると思います。


そこは夫婦であるならば、

夫婦で役割分担をする、

片親ならば、何かしらサポートを利用するなどをしないと、

どれだけ丈夫なからだがあっても、

全然足りないくらい、

育児はとても大切であり、大変な仕事であるのは確かです。


それは、育児には正解がないから。

育児には答えがないのです。

だから、いくらでもしようと思えばできるし、

いくらでも情報を集めて、お金をかければ十分な環境は用意できるでしょう。

しかし、それは反対にいくらでも手を抜こうと思えばできるわけで、

時間やお金があれば、楽する環境が用意できるとも言えます。


けれど、そうではない家庭がほとんどです。


育児方法や教育方法も、他の家庭はこうだから、これで良かったから、こうしていると言えど、

同じことを自分の家庭でしても、うまくいかずに子どもは泣き叫んだり、

余計に過ごすことが難しくなってしまい、育てる親の自身のからだや気持ちの許容範囲を超えて、

いつの間にか、自覚もなく、

余計にストレスに感じることも起きてしまう。


それで良いのか?

というと、

そうではないです。


さて、今回の記事では、外国と比べた日本の父性と母性について書こうと思っていました。

なぜ、日本がこんな状況なのでしょうか?


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