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創造主じゃない神様の孤独

私は遊ぶのが下手だ。(この出だしからどうにかタイトルまで繋げるので、何卒よろしくお願いします)

幼稚園の時から「輪の中に入る」ということがとことん苦手だった。シンプルに「馴染めない」感じだ。私と人は違うのに、人は人と連帯感を持って話せている。それに絶望した。
なので、鬼ごっこができなかった。人からタッチされたらある人格になり、走って追いかけ、タッチし返して人格を渡す。このルールを守った上で生まれる美しい流れについていけなかった。

そうやって生まれた勝手な疎外感から、ひたすら絵本を眺めて綺麗な世界を一方的に見ることにした。いわゆる現実逃避だ。人に何かすることで跳ね返ってくる影響が怖かった。

水をさわれば波紋が広がるように、私たちは日々の動きで自然に誰かに影響を与え、また与えられている。
その循環に巻き込まれるのが恐ろしく、ただ1人で窓から景色を眺める。いつも他人事でいたいのだ。

遊ぶことは、ルールに縛られ、相互に影響を与え合うのを楽しむことだと思う。
その楽しさが分からないので、ただ苦しい。
かと言って、1人遊びも苦手だ。自分で美しい世界を作っていく、その創造性もない。
こうやって私は、何かの生みの親になれないまま世界を俯瞰的に眺める神様の視点を持った人間になった。

でも、この生き方をしてる私はすごく今退屈しています。誰にも影響を与えられない、与えたくない人生に、私は寂しくなってしまいました。
そしてここまで書いてきて、私の傲慢さに少しうんざりしてしまいました。

だから何かを創造する、もしくは人と楽しく遊べることのどちらか、もしくは両方を目指したい。
下手くそでも良いから人間をやっていくモチベーションを見つけたい。


ここまで辛抱強く読んでくれた方、もしいらっしゃったら、ありがとうございますと伝えたい。

私が創造主じゃない神様を辞める様を頑張って発信するので、これからもご縁があったら見ていてほしい。

おわり。

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