掲げた腕はまだ上げたまま

僕を結婚式に呼んでくれ!

そう願ってやまない日々があった。20代半ばのころだと思う。周りが友達の結婚式に行ってきたという話とともに、そういう写真をSNSにアップするたびにそう思っていた。友達の話を聞いてというのもあるけど、何より、友達が人生のひとつの章を終え、新たなフェーズに入る、そういう場に立ち会えるのは素晴らしいんだろうなぁと妄想すらしていた。全く自分に関係ない人はそこにはおらず、新郎新婦を祝うという目的を共にしている空間には憧れしかなかった。結婚式にいきたい、それはもはや夢だった。

そんな夢をかなえてくれたのは、大学時代の友人で、ちょっと、そうくるかという人だった。最初がそれかい、実際に声に出していたと思う。でも、嬉しかった。まさか呼ばれるとも思っていなかったし、僕を呼ぶようなこともあってほしくないと思っていたから。つまり、僕を結婚式に呼んだのは昔好きだった、大学時代の1コ上の先輩からだった。

学年は違っても、年齢は同じなので、先輩というより気の合う友人のような感じだった。大学で文化祭の実行委員で彼女を見かけ、何の授業をとっているのかつきとめ、授業終わりに声をかけた。その時はまだラインがなかったから、僕がメールアドレスを書いた紙を渡したと思う。メールがくるか、くるわけないよな、送ってきたら変な人だよ、だってあんなタイミングで声かけて送るか普通?メールアドレス間違ってるかもしれない、ああ、キモいな俺は、と部屋でぐるぐる考えていた。結果、メールはきた。そして、変な人だった。それが好きだった。

見た目の好みはあれど、やっぱりどんな人間かということで、僕と彼女はタイミングや大事にしたいものが合ったと思う。それがわかったのは、何度かメールや電話をするうちに、好きな映画のDVDを貸すことになり、それを返してもらった時だ。

返ってきたDVDはかわいい紙にくるまれ、中にはCD-Rと手紙が入っていた。僕が貸したDVDは僕の人生において大事なものだったけど、他人からすればただの映画で、それを気に入るかは別の話なんだけど、彼女は真摯に手紙で感想を伝え、暗いともとれるその映画を面白がった。そして、彼女が大事にしている音楽を送り返してくれた。こうして少しずつ距離は近づいていった。

1コ上の彼女は先にゼミが始まっていて、ゼミ仲間の家に集まっているときに連絡してきたことがある。朝6時くらいだった思う。

徹夜をしていた僕は、すぐにメールに気づいた。

「起きてる?」

「起きてますよ」

「いま駅の近くなんだけど、ちょっと散歩しようよ、朝の散歩気持ちいいよ」

「いいですね」

あの日の空気が一番澄んでいたかもしれない、

この後僕と彼女が付き合うことはなく、手紙のやりとりに変わっていった。

思えば映画の返事をくれた時から、途切れることはない。だっていつ返事を書いてもいいんだから。

そして、たくさんの交歓をしたところで、その招待状が届いた。

結果的に本当にいけて良かった。呼ばれた大学時代の友人は僕ともう1人の女の子で、それ以外は職場の人や地元の人が大半だった。

変な人だな、わざわざ呼ばなくても空席は目立たないだろうに、と、最後の最後に僕のことを呼んでくれたことが不思議な幸福だった。

これも幸せの結末だと思う。

#また乾杯しよう

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