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娘と朝食。

父の手術の日、当然として無事の成功を祈りつつも、およそ7時間もの待ち時間の中で祈り続けるのも難しく、スマホで対応できる仕事をこなしつつナースステーションの様子を眺めていると、脳裏に12年ほど前の記憶が甦ってきた。


12月の深夜、妻の陣痛が始まり通院していたマタニティクリニックに行き、分娩室の前で妻と産まれてくる子どもの無事を祈っていた。
夜が明けてもふたりは姿を見せず、心配になってきたところで看護師さんが現れて状況を説明してくれた。

どうも、いざいきむ時に赤ん坊の心音が下がってしまうらしく、医師の出勤を待つということらしい。

報せをうけた医師の方は早速駆けつけててくれて、手術をすることが決まった。
速やかに同意のサインをすると、妻は分娩室から手術室に運ばれ、僕は妻が入る予定だった病室に案内されて待機することになった。

不安が募る中、病室で待ち続けること数分、ノックとともに看護師さんがやってきた。

「あの、奥さまに出す予定だった朝食があるんですが、食べますか?」

「はぁ」

と、イエスともノーともとれない曖昧な返事をしてしまうと、僕の前にラップで保護された朝食が運ばれてきた。

残してしまうのも失礼なので、仕方なく口をつけ始める。
当然、すっかりと熱は逃げてしまい冷めた味噌汁を啜っていると外からカートを引く音が聴こえてきた。

もうこの食事を下げに来たのかと、少し慌てておかずに手をかけたところで、ノックとともに現れたのは配膳車ではなく、産まれたばかりの次女だった。

無事に手術が終わり、妻のケアをしてもらっている間に、看護師さんが僕に娘を見せに来てくれたのだ。そして、少ししたら戻りますと言い残し、僕と娘の2人だけの時間が生まれた。

長女が産まれたばかりの時の顔にうりふたつな次女はスヤスヤと眠っている。
ただ、僕はこの愛おしい娘の無事によろこびを感じつつも、どうしても取り残された朝食のことが頭から離れなかった。

そして僕がとった行動は、産まれたばかりの娘を見守りながら冷めきった朝食を食べるという、側から見てもとてもシュールな行動だった。

今、冷静に考えれば、朝食はあとにすればよかったのだ。もちろん残そうが誰にも咎められなかっただろう。しかしあの時の僕は判断力を失っていた。目の前にいる次女から目を離すことも、箸を置くこともできなかった。どんな感情で赤ん坊を前に食事をとっていたのだろうか。もう思い出すことも難しいが、デザートのみかんの酸味だけは今でも舌に残っている。

そんなことを思い出していると、医師が手術の完了と父の無事を報せに来てくれた。

今度は食事は出なかった。

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