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谷川温泉のこと

水上温泉から北へ少し奥まったところにある谷川温泉。

古く谷川岳が山岳信仰の象徴として崇められていた頃、訪れる人々は谷川温泉の最奥にある富士浅間神社から延びる古道などをたどり頂に立った。

落ち着いた雰囲気のある谷川温泉は、老舗高級旅館が軒を連ねる。また、おしゃれな雰囲気のペンションが複数軒あるペンション村があり、幅広い層に人気がある。

更に、岸田劉生の麗子像をはじめ、ピカソ、ルノワール、マチスなどの絵画が収蔵されている「天一美術館」(建物は建築家、吉村順三氏の遺作)や太宰治の小説「姥捨」の舞台としても紹介されている。

実際、川端康成から療養のため、当地を紹介された太宰は、旅館たにがわの前身である川久保屋に逗留している。(昭和11年・1936年)

旅館たにがわのギャラリーには、太宰治本人の定期券など太宰ゆかりの貴重な品々が展示されていて、太宰ファンにはたまらない。

太宰治碑 谷川温泉 (2)

谷川温泉入り口にある石碑には姥捨の冒頭が紹介されている。

谷川温泉の泉質:単純温泉

いわれ・・・

天授年間の頃、 或る夜、谷川岳に白光が輝き虹のように天に映えて美しく色どった。

 麓の村人達は驚いて集り、この不思議を対島という祈者にたずねたところ、これは富士浅間大菩薩がこの山に飛来され、このあたりに福徳をお授けになる前兆であると告げた。里人たちは争って岩を登り、いばらの道をかき分けて行くと、一条の清流のほとりに古い桜の樹があって、その花の下に輝くばかりに美しい姫が立っていた。

「われこそは木立花佐久夜昆売なり、汝等の心ばせを嘉みし、永く富み栄え神の恵みを垂れるであろう」と宣言され、爛漫と咲く桜の花をちぎって静かに岩の間に落とすと、岩間より沸々と霊湯が噴出したという。

 神姿は忽ち消えたが、霊湯ばかりはいまもなお湧きつづけ、谷川温泉の源泉となっているという佐久夜姫の衣の裾のあたりから温泉が湧き出たところより、御裳裾の湯(みもすそのゆ)とも呼ばれていた。

この温泉も往時は薬師信仰と結びついていることから、谷川岳を薬師岳 (トマの耳) とも呼んでいる由縁であろう。

《湯質銅気ヲ以テ混成ス。癌飲、 痛気、虫気、癌、打身、切疵、腫物、寸白ニ宜シ。浴場二ヶ所、逆旅 一戸。浴客風四百人(年) 大久保通 斉殿検査相済。明治十年谷川村誌》

上州路・特集「新水上紀行 山と水とひかりの温泉郷」あきを社出版より抜粋引用

 このように、谷川温泉は木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)と言う女神にに由来するようだ。

一説には、姫はかぐや姫とも言われ、日本神話にまで遡る。姫の名前は桜の語源とも言われ、更に富士山信仰の浅間神社にも関連していくようで、谷川温泉にはとても神秘的な趣がある。

谷川富士浅間神社では、毎年春(4/29)と秋(10/29)に御祭禮が行われており、春には神楽奉納も行われている。

また、温泉宿の近くにある栃の木薬師堂でも、毎年春(5/8)と秋(10/8)に御縁日が行われている。

美術館をはじめ、神社、文人にまつわる場所、谷川岳・マナイタグラを一望できるおいしいレストラン、国内でも数少ない尺八工房がある宿、ホワイバレースキー場など、動と静が満喫できる温泉地。

2泊3泊と連泊でゆっくりと楽しみたい。

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