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30年後を担う子供たちへの教育は今のままでいいのかな?(短縮版)

こんにちは、narinoのファーマー 筒井です。

もう6月でも終わりですね。梅雨、やはり年間で一番嫌な季節です。雨は「恵の雨」であるのはわかっているものの、ジメジメ、ムシムシは気持ちもすっきりしませんね。
今回はいつもと趣が異なり、食や農業、環境などではなく、何を学ぶことが必要なのか最近を思う事が多いので、あくまで私見としてつづります。


本当に英語の勉強は必要なのか

最近は、「そんな英語教育ならやめてしまえ」と思ったりしますが、今や中学どころか、小学校や幼稚園でも英語をやっているではないじゃないですか。

でも、本当に必要なの? 
インターネット時代になりテキストでもやり取りが増えました。日本語でのコミュニケーションも微妙なことありませんか?
私の伝え方が悪いのか、相手の読解力が足りないのかはわかりません。同時に「emoji」が世界的に通じる言葉となり、さらに動画で伝えることも増えてきました。言葉がいらないとも言える状態にもなりつつあったりもします。

こうしたテクノロジーの進化などある中で本当に小学校から英語を学ばせる必要があるのか、もっと他に学ばせる必要があるのではないかと心底思います。
今の小学生が社会で中心的に活躍するまでには30年前後先のことです。更なるテクノロジーの進歩などを考えるとやはり疑問です。

英語を学ぶことを否定することはしませんが、日本を立て直していくための次世代の人材にはもっと他に学んでほしいことってありませんか? ゼロとは言わないまでも英語は縮小していいのではないか、そう思います。

プログラム教育も新たに入ってきた

一気に学校教育では進んだ感じのあるコンピューターの導入、小学校でも1人一台です。

IT担当教員はわずか、誰が教えるのか

どこでも学校関係は未だに紙が中心なのではないでしょうか? なんと「子供に手紙を持たせました」ってメールが来た時には驚嘆しました。

コロナ禍となって2年以上となりましたが、未だにオンライン活用もできていません。つくづく今の学校関係者に次世代の原石を託していいものかと思ったりもします。

だいたい子供たちは、興味が湧けばどんどん触ってこなします。ゲーム機もどんどん進化していきますが、教えなくても使いこなしています。つまり慣れが必要ですよね。日頃から使うことが必要です。
ですのでパソコンの導入して親しむ機会を増やすことや、オンラインの活用など大賛成です。子供たちは教えてもいない使い方もしているようですし。

そしてここ数年は、「ノーコード」というものがあります。プログラミングをしないでも、ホームページやECサイトを作ることができます。スマホのアプリも作れるものもあります。

先ほどの英語と同様に、プログラミング教育の言語の部分についてはテクノロジーの進化によって、一般的な人が必要なる程度は言語そのものを意識する必要性がなくなって来るのではないでしょうか。

国語や算数もこのままでいいのか?

実は、以前「ゆとり教育」という言葉使われたころに「理科」がなくなり「社会」と統合して「生活科」となりました。1989年から「生活科」がスタートしています。
さらに新たな学習指導要領により「総合的な学習の時間」が、小学校で2002年、中学校では2003年より創設されています。

「総合的な学習の時間」は、「教科横断的・総合的な学習や探究的な学習を通して…

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