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【浜野弥四郎】一途に走り続けた土木技術者の生き様〜土木スーパースター列伝 #23

本日6月1日から6月7日まで水道週間です。
今回は「水道」にちなんだ偉人をご紹介します。


プロローグ

その胸像がある山上水源地の植物園エリアには、白玉蘭や琉球松など熱帯地域独特の植物たちが訪問者を迎えてくれる。台湾南部の台南市にある台南山上花園水道博物館だ。水源地には、手つかずの自然が残り、様々な動物、昆虫にとっての絶好の棲息地となっている。 
そこに一人の日本人技術者の胸像がある。

2016年に台南市政府農業局により山上花園となった台南山上花園水道博物館。
そのエリアに台南水道送水加圧・火力発電機室もある

この地の水道事業に貢献した日本人、浜野弥四郎(はまの やしろう)だ。その台座に刻まれていたのは「飲水思源」(いんすいしげん)の文字。水を飲むときはその井戸を掘ってくれた人に感謝して永遠に忘れないという思想をあらわしている。
八田與一は、水利事業によって水不足にあえいでいた嘉南平野15万haを穀倉地帯に蘇らせるという井戸を掘って語り継がれているが、はたして浜野弥四郎は、どんな井戸を掘って、台湾の人たちに感謝されているのだろうか。

八田與一に敬愛された技術者の胸像


台南市山上水源地の浜野弥四郎銅像

現在の胸像は2005年、実業家の許文龍氏の寄贈により復元された。
それ以前、その台座の上にあった胸像は失われてしまっていた。第二次世界大戦中、金属類供出令により行方不明となり台座のみが残っていたのだ。
その台座の上にあった浜野の胸像建立を周囲に提案して資金を募った人物こそ、台南水道建設で浜野から教えを受けた八田與一だった。

八田にとって浜野は帝国大学工科大学土木工学科の先輩だった。八田は、卒業後台湾総督府土木局に勤め、大正3年浜野のもとで衛生工事に従事する。師弟関係にあった。
そして、浜野による台南水道が完成した明治11年、烏山頭出張所所長となった八田は、嘉南大圳事業を推し進め、その難関である烏山隧道工事に着工する。

八田は、台南水道で教えを受けた浜野の人間性、浜野の信念、仕事ぶりを敬愛していた。大いに影響を受けていた。やがて、浜野が台湾で大きな仕事を終えて帰国後、八田は、浜野の胸像建立を押し進めた。多くの関係者が賛同して胸像は建てられた。
そして、その失われた胸像が復元されて今、芝生がきれいに整備された中庭にある。

師・バルトンの遺志を継いだ技術者の一途


コレラが日本国家を滅ぼす。
当時、死者が10万人を超えるほど流行っていた。危機に直面した明治政府は、上下水道の整備こそ悪疫を撲滅してくれる切り札だとして、その先進地・ヨーロッパから専門的な水道技術者を招聘した。それが、スコットランド人技術者ウィリアム・ K・バルトンだった。ヨーロッパでも下水道導入のきっかけはコレラだったからだ。

スコットランド人技術者ウィリアム・ K・バルトン

「都市計画の根本は、上下水道の改良にある」。バルトンの信条だった。
上水道では水源の汚染に妥協を許さず、下水道では汚水管にし尿は流さず、雑排水のみ流す分流式とした。水道専用ダムとして指導した布引五本松ダムは日本最古のコンクリートダムであり、神戸の水源として阪神・淡路大震災にも耐えた。

東京の上下水道設計の後は、地方の23都市で衛生状況調査を行い、計画、設計、指導した。そうした功績を残して在日9年、ようやく明治政府との契約期間も終えてイギリスへ帰国しようとした矢先、台湾総督府民政長官となった後藤新平から、風土病の蔓延する台湾で衛生問題の解決を頼まれた。バルトンは帰英を延ばし、台湾へと駆けつける。「自己の天職を尽くし、全うする」ことはスコットランド人の心意気でもあった。

当時、台北、古都・台南もしかり、街の排水溝は汚水があふれるほど不衛生だった。多くの民衆は飲み水も雨水か河川に頼ることから、とうぜんマラリアやペストなど伝染病がまん延していた。上下水道の整備が不可欠であり、バルトンはまず、辺鄙な山野での水源・水質調査をはじめたが熱帯密林の歩行さえ困難をきわめた。川の上流にある水源林を確保したり、汚水が生態系などを乱さないように苦心惨憺した様子が想像できる。同行してきたのが帝国大学工科大学での教え子・浜野弥四郎だった。浜野は大学卒業式の翌日、師・バルトンに台湾への同行を頼まれて受けた。浜野は、懸命に師を助けた。

しかし、台湾に渡って3年目の明治32年、バルトンは伝染病に罹って倒れる。東京に帰って治療するも故郷のロンドンに帰ることは出来なかった。43歳の生涯だった。

バルトンの計画と実践は弟子の浜野が引き継いだ。「台湾に上下水道を整備して風土病をなくしたい」。師弟の思いは一つだった。浜野は師の偉業を23年かけて達成。その後、台湾における大小133ヵ所の上下水道が整い、台北は東京、名古屋よりも早く完成した。そのことによって、台湾の衛生環境は大きく改善され、近代的な都市基盤と暮らしに貢献した。

浜野は、淡水から基隆、台北、台中、台南など主要都市の上下水道を建設していった。特に、浜野が計画・設計・施工した台南水道は、当時の最新技術である急速濾過(ろか)法を採り入れた大規模な浄水場だ。当時人口3万人の台南市に対し、10万人分の飲料水を送った。

台南水道のパスファインダー(台南山上水道花園博物館)

台南水道は、2010年土木学会選奨土木遺産に認証された。八田與一による烏山頭ダムに次ぐ海外で2場目の選奨土木遺産である。台南県山上郷の台南水道は、取水、導水、浄水、配水といった施設が残る貴重な歴史資産として国定古蹟に指定されている。

急速濾過法という当時最新の技術を採用した台南水道は、それら施設の機能だけでなく建築物としても楽しめる。鉄筋コンクリートと煉瓦造りで構成された堅固ながらアンティークな建築群だ。建物によってそのタイプに工夫が見られる。濾過室の入り組んだ屋根構造も他に例を見ない。英国製濾過ポンプ、電動機といった機具も保存されている。台南市と台南県が合併して直轄市になった台南市にとって、台南水道と烏山頭水庫という新たな歴史的景観スポットが台湾で注目されている。

浜野は、台南水道建設を最後の仕事として台湾総督府を辞め、神戸市の都市計画に携わった後、昭和7年、東京で生涯を終えた。一途なまでに走り続けた土木技術者の人生だった。

台湾土木遺産視察ツアーのお知らせ

台湾土木遺産視察ツアー(2024/12/5-8)では、浜野弥四郎の手掛けた台南水道を巡ります。全行程、土木広報センター土木リテラシー促進グループ長の鈴木三馨さんと私でアテンド予定です。是非、台湾の地でご一緒に浜野弥四郎の功績を体感しませんか。
詳細はこちら↓
「台湾土木遺産視察ツアー」のご案内 | 土木広報センター (jsce.or.jp)

文・緒方英樹
土木学会土木史委員会副委員長。一般社団法人アメノヒボコ土木サロン理事
毎日新聞オンライン連載中。中央FMラジオ「ドボクのラジオ」土木偉人シリーズ出演中。著書『大地を拓く』で令和4年度土木学会出版文化賞。