最果て

耳鳴りが止んだ。
ノートから顔をあげると十分程前から視えていた、幽霊は視えなくなっていた。
小さく安堵の息を吐きつつ、黒板に焦点を合わせた。

幽霊が近くにいると耳鳴りがする。
幼い頃からそういう体質だった。
普通は視える視えないに関係なく幽霊と目があっていると、耳鳴りがするらしい。
私は随分と幽霊に対して敏感な体質なようだ。
慣れてしまえばどうということはない。
ただ、視えている以上、目があってしまうと厄介事に巻き込まれてしまう。
だから、気を付けてはいるのだが回避しきれないこともある。
そう。まさに今が回避しきれなかった瞬間なのだ。
授業中のを回避できたと気を抜いたのがいけなかったのか、下校途中にばっちりと目があってしまった。
ヤバイ、と思った時には既に遅し。
幽霊はにっこり微笑んで、私に近付いてきた。

「久しぶりにみえる人にあったよ」
幽霊はそれは楽しそうに話しかけてくる。
スマホを耳にあて、私は適当な相槌を打つ。
このまま幽霊を家に連れて帰る訳には行かず、人気がなさそうな場所を探して歩いていた。
「おねーさん、何処行くの?」
「これなしで貴方と話していても怪しまれない場所」
スマホを軽く振って答える。
「そっか。おねーさん、怪しい人になっちゃうもんね」
解っているのか解っていないのか幽霊は大袈裟に頷いている。
というかその「おねーさん」呼びは止めないか?
見た目年齢的にはほぼ同じだから違和感しかない。
「それなら良いところがあるよ」
現実逃避しかけていた意識を引き戻したのは幽霊の一言だった。
「ここからそんなに遠くなくて人があんまりいない場所、知ってるよ」
「ああ、うん、そう」
「案内してあげるね」
私の意思は無視らしい。
目的の方向に向かった幽霊の後を追うしかなかった。

「ついたよ」
到着したのは小さな神社だった。
「こっちこっち」
幽霊が手招きする方に歩いている。
本堂から脇に逸れた所にある大木の下が目的地らしい。
「ここなら誰もこないよ」
「よくこんな所知ってるね」
「小さいころ、よく遊んでたんだ」
「なるほどね」
私はスマホを鞄に放り込んだ。
幽霊が嬉しそうに笑った。
「これでゆっくりお話しできるよ」
「そうね」
「あのね、ぼく、事故で死んだんだ」
自分から話し出すとは思いもせず私はじっと幽霊を見た。
「横断歩道渡ってたらさ。信号無視したらしい車が突っ込んできたんだ。あ、ぶつかる、とか思ってたら全身急に痛くなって。気付いたらこうなってたんだ」
口調も顔色も一つも変えずに幽霊は話した。
私は、と言えば違和感を覚えていた。
淡々としすぎている。
今まで視てきた幽霊はもっと負の感情が強かったのに、この幽霊は底無しに明るいし、何より自分が死んだ時のことを世間話と同じ感覚で話している。
本当に幽霊なのか、疑いたくなった。
「おねーさん、聞いてる?」
「貴方、本当に死んでるの?」
「え? なんで?」
「あまりにも今まで視てきた幽霊と違いすぎるから」
「あ、そうなの? 他の幽霊のこと知らないからわからないや」
幽霊はケラケラ笑ったかと思えば不意に口を閉じた。
空を仰ぎ、考えるように首を傾げた。
「未練とかないからかな」
「は?」
予想外の告白に変な声が出た私はおかしくないだろう。
幽霊は気にした様子もなく、私を見た。
「考えてみたんだけどさ。未練なにも思いうかばないんだよね」
「本当に小さいことも?」
「うん。やりたいことはやりたいって思った瞬間にやってきちゃったからさ。ないんだよね」
眉を下げて困ったように笑う、あまりに幽霊らしくない幽霊。
こんな変わりものもいるんだな。
「あ、おねーさん笑ってる」
幽霊が私を指差し叫んだ。
慌てて口元に手をやれば、口角があがっていた。
そうか。私、まだ笑えるんだ。
「おねーさん笑うとかわいいんだね」
「……うるさい」
「なんかいいね、こういうの」
やけにはしゃいでいる幽霊に肯定するのは何だか癪で、私はそっぽを向いた。
しばし一人ではしゃいでいた幽霊だったが、不意に声が消えた。
あまりに急すぎて心配になり、幽霊を見ると打って変わって真面目な顔で私を見ていた。
「どうしたの?」
「ううん。なんでもないよ」
「そっか」
「うん。おねーさん、そろそろ帰った方がいいんじゃない? 真っ暗だよ」
幽霊が空を指差す。
確かに、つられて見上げた空は大分紺色に染まっていた。
「帰り道わかる?」
「大丈夫」
「よかった。じゃあね」
立上がり、薄暗い神社を歩く。
石段を降りる直前、振り返れば幽霊がまだ手を降っていた。
私も小さく降り返す。
「じゃあ、ね」
呟きは幽霊に届いたのかは解らない。
石段を一歩一歩踏みしめながら降りる。
先程、喉元まで「またね」と出かかってのみ込んだ。
またね。これは次に会える確証がある時にだけ使える言葉だと私は思っているから。
石段を降りきり、最後に振り返る。
幽霊の姿はもうみえない。
「さようなら」
本来言うべきはずの言葉を口にし私は再び歩き出した。

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