文化がヒトを進化させた―人類の繁栄と〈文化-遺伝子革命〉

Henrich, Joseph (2016). The Secret of Our Success: How Culture is Driving Human Evolution, Domesticating our Species, and Making us Smarter.

ジョセフ・ヘンリック (著), 今西康子 (翻訳) 白揚社 (2019/7/13)

文化が人間を進化させ、そうして進化した人が文化を高度化し、高度な文化がさらに人を進化させる――「初めに文化ありき」とする斬新な視点から、人類進化・人類史の長年の謎につぎつぎと答えを出していく本書は、『サピエンス全史』『銃、病原菌、鉄』の読者にオススメの人類本。大部な本ですが、興味を引く事例と読みやすい文体に引っぱられ、すいすい読み進められます。読み終えるころには、世界の見え方が変わってしまうこと請け合いの一冊です。(出版社からのコメント)

ジョセフ・ヘンリック 2016

著者紹介:ジョセフ・ヘンリック(Joseph Henrich)
アメリカ合衆国の人類学者。現在、ハーバード大学のヒト進化生物学科(Human Evolutionary Biology, HEB)の学科長兼教授を務める。ヘンリックが関心を持つ問いとは、「数百万年前には比較的目立たない霊長類の一種にすぎなかった」人類は、いかにして「地球上で最も成功した種へ」と進化したのか、そして文化はどのように我々の遺伝的発達に影響したのか、という問題である。

ウィキペディアより

目次
はじめに
第1章 不可解な霊長類
第2章 それはヒトの知能にあらず
第3章 遭難したヨーロッパ人探検家たち
第4章 文化的な動物はいかにして作られたのか
第5章 大きな脳は何のために?――文化が奪った消化管
第6章 青い瞳の人がいるのはなぜか
第7章 信じて従う心の起源
第8章 プレスティージとドミナンス、生殖年齢を過ぎたあと
第9章 姻戚、近親相姦のタブー、儀式
第10章 文化進化を方向づけた集団間競争
第11章 自己家畜化
第12章 ヒトの集団脳
第13章 ルールを伴うコミュニケーションツール
第14章 脳の文化的適応と名誉ホルモン

紀伊國屋書店サイトより

※特に断り書きがない限り、下記は本書からの部分引用


あなたを含めた五〇人と、コスタリカのオマキザル五〇匹とがサバイバルゲームで競ったらどうなるか考えてみよう。両チームを落下傘で中央アフリカの奥地の熱帯雨林に落とすのである。二年後にまた行って、各チームの生存者数を数える。そして生存者の多いほうを勝うとするのだ。もちろん、両チームとも装備品の持ち込みは一切許されない。マッチ、水容器、ナイフ、靴、眼鏡、抗生物質、鍋、銃、セーブはすべて禁止。ただし、ヒトチームにだけ、服の着用を許可する。このような条件のもとで、両チームとも二年間、生き残りをかけて、慣れない森林環境に挑むのだ。頼れるのは、自分の知恵とチームメイトのみ。

さあ、勝つのはどちらだろう? サルチームだろうか、それともヒトチームだろうか? では尋ねるが、あなたは矢、網、シェルターの作り方を知っているか? 有毒な植物や昆虫(ものすごい数にのぼる)を見分けられるか? その毒抜きの方法を知っているか? マッチを使わずに火を起こせるか? 鍋を使わずに煮炊きできるか? 鉤針をこしらえられるか? 天然接着剤の作り方を知っているか? 毒蛇を見分けられるか? 夜間に獣に襲われたらどうやって身を守るか? どうやって水を手に入れるか? アニマルトラッキング(足跡、食痕、糞などからその動物の重類や行動を探ること)の知識はあるか? 

人類の成功の秘密は、生まれつき備わっている知能にあるのではない。…そもそも、地球上のありとあらゆる環境で生存し、繁栄することができているのは、個々人の知能によるのではない。…私たち人間は、文化として受け継いできた知的スキルやノウハウを奪われてしまうと、どうにもならなくなる。

…私たちはこれまでに何度も、ヒトがさまざまなサバイバル試験を受けるのを見てきている。不幸なヨーロッパ人探検家たちが、カナダ北極圏やテキサスのメキシコ湾岸の苛酷な環境の中で、生き延びようと奮闘しながら、にっちもさっちもいかなくなってしまった事例がそうだ。…どの場合もみな、同じような結末を迎えている。探検隊が全滅するか、あるいは、そのうちの何人かが地元の先住民に救出されるか、のいずれかなのだ。こうした先住民は、何百年、何千年も前から先祖代々、その土地の「苛酷な環境」にうまく適応して生きてきた人々だ。

もうおわかりだろう。ヒトチームがサルチームに勝てないのは、ヒトという種が文化への依存度を高めながら進化してきた種だからなのである。そんな動物はヒト以外にはいない。ここで言う「文化」には、習借、技術、経験則、道具、動機、何値観、信念など、成長過程で他者から学ぶなどして後天的に獲得されるあらゆるものが含まれる。

生存や繁殖に有利な情報が人々の頭脳に貯えられていくにつれて、ヒト社会には、それまでになかった新たな社会的地位が生まれた。ブレスティージ(信望・名)に基づく地位である。ヒトの社会では現在、祖先のサルの時代から引き継いだドミナンス(抗力・推力)に基づく地位と並んで、プレスティージが力をふるっている。

社会的地位以上に、ヒトの遺伝子を取り巻く環境を変化させたのが、文化が生み出した社会規能だった。親族関係、結婚、食物分配、育児、助け合いなど大昔から最重要だった領域も含め、広範囲にわたるヒトの行動が社会規範の影密を受ける。人類の進化史を通してずっと、社会規範はヒトの行動を規制してきたのだ。食のタブーを無視する、儀式をないがしろにする、姻戚に狩猟の分け前を与えないといった規能破りを犯すと、評判を落とし、陰口を叩かれ、結婚の機会や仲間を失うはめになった。たびたび規範破りを犯すと、村八分にされ、場合によっては村人の手で処刑されることもあった。このようにして、文化進化によって生まれた自己家畜化のプロセスが、ヒトの遺伝的な変化を促し、その結果、私たちは向社会的で、従順で、規範を迎守する動物になっていった。共同体に蓄視されながら社会規範に従って生きることを、当然のこととして受け入れるようになったのだ。

人類は、何百万人もの集団で生活できる、最も社会性に富む営長短になったが、同時に、最も身内びいきで好戦的な動物にもなった。それはなぜなのか? 

人類の成功の秘密は、個々人の頭脳の力にあるのではなく、共同体のもつ集団脳(集団的知性)にある。この集団脳は、ヒトの文化性と社会性とが合わさって生まれる。つまり、進んで他者から学ぼうとする性質をもっており(文化性)、しかも、適切な規範によって社会的つながりが保たれた大規模な集団で生きることができる(社会性)からこそ、集団脳が生まれるのである。

社会的学習を除く三つの領域のサブテストでは、チンパンジーと二半の幼児との間にとんど差が見られなかった。幼児のほうがはるかに大きな脳をもっているにもかかわらずである。チンパンジーよりも脳がわずかに小さいオランウータンの場合は、やや成績が劣るが、それほど劣るというわけではない。適切な道具を選べるか(因果モデルを構築できるか)に注目したサブテストでさえ、正解は、幼児71%、チンパンジー61%、オランウータン63%だった。道具を使うとなると、幼児23%、チンパンジー74%で、チンパンジーが幼児に勝っている。

図2.2 チンパンジー、オランウータン、および幼児に実施した4種類の認知機能テストの平均正解率

それとは対照的なのが、社会的学習能力を評価するサブテストだ。図2・2には平均値が示されているが、実際には、二歳半の幼児のほとんどは100%正解し、類人猿のほとんどは0%だった。以上の結果から総合的に判断すると、幼児と二種類の類人猿を比較した場合に、幼児がずば抜けているのは社会的学習に関する能力だけだ。

北緯七五度線よりもさらに北方の氷に閉ざされた海。ポーラーイヌイットは、この凍てつく海に囲まれながら、グリーンランド北西部で孤絶した暮らしを営んでいる。…一八二〇年代のあるとき、疫病がこの狩猟民たちを襲い、豊かな知識や経験をもつ高齢者がおおぜい命を落とした。その結果、代々受け継がれてきたノウハウが突如失われ、この狩猟民集団は生活に欠かせない複雑な道具を作ることができなくなってしまった。魚を突くやすや弓矢を作れる者もいなくなった。イグルーの入口と居室とをつなぐ防寒性に優れたトンネルの作り方もわからなくなった。何よりも致命的だったのは、カヤックを作れなくなったことだ。カヤックを失ったことで、ポーラーイヌイットは孤立状態に陥り、失われたノウハウを他のイヌイット集団から学び直すことできなくなったのである。

…人口は減り続けるばかりだった。ところが一八六二年のこと、バフィン島周辺で暮らす別のイヌイット集団が、グリーンランド沿岸を旅しているときに偶然、彼らに遭遇したのだ。こうして再び文化とつながることのできたポーラーイヌイットは、バフィン島スタイルのカヤックなど、ありとあらゆるものを模倣して、失っていたものを急速に取り戻していった。

それから何十年かして、彼らの人口は減少から増加へと転じた。そして、グリーンランド内の他のイヌイット集団と常に接触しているうちに、ポーラーイスイットのカヤックのスタイルも少しずつ、パフィン島民から学んだ大型幅広タイプから、元のグリーンランド西部の小でスリムなカヤックヘと変化していったのである。

北陸地方で生きるのに必須の技術であっても、いったん失ってしまうと、ポーラーイメイットはそれを取り戻すことがなかなかできなかった。だれもが子どものときに、こうした技術が活するのを見てきているはずなのだが、その技術を担っていた人々が突如いなくなると、老いも若きもまったく対処できなくなってしまった。

…この単純明快な歴史的事例からは、人類の成功の秘密の一端が、さらにはそのアキレス腱までもが垣間見えてくる。

人類が高度なテクノロジーを発達させることができたのも、地球生態系で圧倒的な優位を獲得することができたのも、幾世代にもわたって受け継がれてきた集団脳のおかげであって、生まれつき個々人の脳に備わっている発明の才や創造力の働きではない。…私たちの集団脳は、個人間の情報共有によって生まれる、さまざまな相乗効果によってつくられていくのだ。では、それにはどんなものがあるか、一番単純なところから考えてみよう。ヒトは、ごく幼い頃から、自分が属する共同体や広い社会的ネットワークの中から、能力やスキルに優れ、実績や名声もあるメンバーを選んで模倣しようとする傾向がある。したがって、従来よりも優れた技術やスキルや方法が現れると、必ずや集団全体に広まっていく。成果が上がらない人々や若年者がそれを模倣するからだ。

古代の文学作品を見ても、比較文化研究の結果と一致している。旧約聖書、ホメロスの叙事詩、そ してヴェーダの詩は、色の表現が何ともはっきりせず、色彩描写をまったく欠いていることも少なく ない。空も海も「青」くはないのだ。これらの文学作品の世界はほとんど黒と白と赤で彩られている。 これらの社会の文学作品に、基本色名として、緑、青、黄を表す色彩語が登場するのは、もっと後の時代になってからなのだ。詩情豊かな古典文学の至宝に色形がほとんどないとは、まったくの驚きである。

言語共同体が大きくなるほど、単語数、音素数、そして文法ツールの種類が多くなる。つまり、大きな言語共同体の言語ほど複雑になる傾向があるのだ。歴史的な証拠から、 数や文法ツールの種類は何百年、何千年という年月の間に増加してきていることがうかがえる。また、心理学的な証拠から、語彙内容や文法規則が、記憶や知覚といったヒトの認知能力を変化させうるこ とが明らかになっている。それは、色名や整数を表す言葉がそれらに及ぼす影響で見てきたとおりだ。 このような事実から考えると、現代世界の諸言語は、人類の進化史を通して話されてきたさまざまな 言語とはかなり異なるものになっている可能性がある。

実社会で使われる自然言語を話す子どもたちの研究によって、言語のもつ規則性が言語の習得を容易にしている事実が、よりいっそう確認された。規則性の高い言語を話す子どもたちのほうが、規則性の低い言語を話す子どもたちよりも、「馬が牛を蹴った」といった文の意味を明確に理解するのだ。具体的にいうと、トルコ語や英語を話す子どもたちのほうが、不規則なセルビア・クロアチア語を話す子どもたちよりも成績がよかった。もちろん、成長するにつれてこうした成績の差はなくなる。しかし、このような研究から、子ども(もしくは大人)にとっての習得しやすさは言語によって異なり、どれも同じではないことがうかがわれる。

類人猿との比較研究から、ヒトの頭は低い位置にあるので、その分、声道が長く、発可能な音域が広いことが明らかになっている。また、ヒトの舌は、左右にも上下にも自由に動かせるようになった。その一方で、類人猿の喉頭の周りにある喉頭葉は、ヒトでは退化していった。しかし、こうした変化は大きなコストを伴うものだった。ヒト以外の哺乳類とヒトの赤ん坊は、呼吸と嚥下が同時にできるので、食物を喉に詰まらせて窒息することはめったにないが、成長するとそういうことが起きてくる。

本章では、広い視野に立った見方を提示してきたが、これは新旧さまざまな主張に異を唱えるものである。従来の見解では、人類進化の途上での言語の出現こそが、進化のルビコン川であって、それを越えたとき、ヒトは他の動物と一線を画すことになったのだとされてきた。言語の出現によって文化伝達が可能になり、さらに、悪評の力で協力問題が解決されたというのだ。人類にとって言語が逸方もなく重要なものであることは明らかだが、言語を重視しすぎるこうした一般的な見方には大きな問題点が三つある。
第一に、この見方は、言語がなくても、かなりの文化伝達や文化進化が可能だということを認識していない。道具製作、火起こし、危険な動物、食用植物、調理法、食物選択などに関する文化的情報はすべて、言語を使わずとも、かなりの程度まで獲得できる。食物分配のような社会規範でさえ、言語なしでも伝達が可能だ。文化遺伝子共進化が始まってまもなく、本格的言語の出現にはまだほど遠いころに、指差し、顔の表情、即席の身振り手振りなどを文化伝達のツールとして利用するようになったのではないだろうか。これらは現在でも、共通の言語をもたない者同士のミュニケーションツールとして使われている。まがりなりにも言語と呼べるものが出現したのはおそらく、文化進化がかなり進み、純なミュニケーションレパートリーが出そろった後だったのではないかと思われる。
第二に、言語それ自体が文化進化の産物であって、言語が文化をもたらすわけではない。もちろん、冒語は、文化伝達(文化的情報の流れ)を容易にしてくれるし、物語伝承、カテゴリー分類、詩歌など、まったく新たな道筋を築いてくれたりもする。しかし、こうした新たな道筋も、その端緒を開いたのは、言語によらない文化進化なのだ。そのずっと後に、言語から文字や読み書き能力が立ち上げられ、文化進化の新たな道を築いたのと同じだ。
第三に、言語は、その根本に、協力行動にとっての深刻なジレンマを抱えている。壁、欺き、誇張などである。少なくとも短期的には、言葉で簡単に相手を騙すことができるので、人を利用したり、操ったりする格好の手段になりうるのだ。そして、コミュニケーションシステムが複雑になればなるはど、嘘をつきながらを免れるのが容易になってしまう。 この協力上の問題に対処できなければ、言語の進化は、遺伝的にも文化的にも限られたものになる。理由は明らかだ。もし他者が自分を騙すために言葉を使ってくるのなら、何を言われても信じなければ、あるいは完全に耳をふさいでしまえばいいからだ。騙されたくないからという理由で、だれもが聴くのを止めてしまったら、そもそもコミュニケーションをとろうとする意味がなくなる。そうなれば、言語は消えてなくなるか、そうでなくても、嘘や偽りは言えないような状況でしか使われなくなるだろう。

文字を読み取る能力は、文化進化の産物である。ヒトの脳の神経回路を配線し直すことによって、認知の特殊化が進み、瞬時に図形を言語に変換するという、ほとんど奇跡に近い能力が生み出されたのだ。ほとんどのヒト社会には表記体系などなく、つい数百年前まで、大多数の人々は読み書きができなかった。ということはつまり、文字を読み取るという高度な能力を身につけている現代人は、人類史上の多くの社会の人々とはいくぶん異なる認知を行なう異なるをもっているのである。 …文化的差異は、遺伝的差然ではないが、生物学的差異である。脳を含めたトの生物学的特性は、遺伝子以外のさまざまな要因によって決まるのだ。にもかかわらず、十分な見識があるはずの科学者や科学ジャーナリストまでもが、文化的差異を、生物学的ではない、実体のないもののように扱うことが珍しくない。こうした混乱が生じるのは、「脳内」で起きることやホルモンの作用を受けるものは、遺伝的なものでしかありえない、と信じ込んでいるからなのだ。それは大きな誤解である。…最近の研究から、文化には脳の構造や、体の形態、ホルモンの分泌を変えることによって、ヒトの生物学的特性そのものを変えてしまうだけの力があることが明らかになっている。文化的な進化は、遺伝的な進化ではなくとも、生物学的な進化の一種なのである。

神経科学者たちは、以上のような実験に脳スキャン技術を加えることによって、人々が学習の影響を受けて顔の魅力度の評価を変化させるときに、脳内で何が起きているのかを調べてきた。たとえば、こんな実験がある。男性参加者たちが180枚の女性の顔写真について、「まったく魅力的でない(1)」から「非常に魅力的(7)」まで七段階で評価した。一枚評価するごとに、その顔写真に対する「他の男性たちの評価平均値」が示された。しかし実際には、ランダムに選ばれた60枚については、回答したその男性の評価よりも二~三点高め、または低めの値を、コンピューターが「評価平均値」として示す仕組みになっていた。それ以外については、参加者自身の評価に近い頃が「評価平均値」として示された。
それから三〇分後、参加者たちは脳スキャンを受けながら、もう一度180枚すべての熊写真の評価を行なった(ただし、今回は平均値は示されなかった)。注目されるのは、他者の評価を見たことが、同じ顔に対するその後の評価にどう影響したか、そのとき脳内ではどんなことが起きていたか、ということだ。
例によって参加者たちは、他者の評価平均値がもっと高いと知ると、自分も評価を上げ、他者の評価平均値がもっと低いと知ると、自分も評価を下げた。脳スキャンの結果から、他者の異なる評価を見たあとは、その顔に対する主観的評価が変化することが明らかになっている。他の類似の研究から得られたデータと組み合わせて考えると、他者に同調して自分の評価を変えると、脳内報酬系が活性化されるらしい。その結果、神経回路に永続的な改変が加わり、選好や評価が変化するようだ。要するに、他者の選好に基づく文化的学習が、顔に対する感じ方を変えてしまうのである。このような感じ方の変化は遺伝的な変化ではないが――あくまでも生物学的な変化であり、神経学的な変化である。
既存の研究から、ワイン、音楽、その他の好みについても、同様の現象が起こることが示されている。とくにワインは格好の例を提供してくれる。ワインの価格には、大勢の他者の評価が集積されている。したがって、舌を肥やそうとする者は、著名な専門家の選好に加えて、その価格にも注目するはずである。
脳スキャンをしながら、参加者たちに五種類のワインの飲み比べをしてもらった実験がある。五種類のワインのボトルにはそれぞれ、5ドル、10ドル、35ドル、45ドル、90ドルの値札が付中られていた。しかし実際には、飲み比べに用いられたワインは三種類しかなく、そのうちの二種類に、5ドルと45ドル、10ドルと90ドルの値札が付けてあったのだ。ご多分にもれず、実際にはまったく同じワインであっても、高額なワインのほうを、参加者たちは美味しいと評価した。
では、このときの参加者たちの脳内はどうなっていたのだろうか? 価格の異なる同一のワインを味わっているときの脳スキャンデータを比較した結果、高額なワインを飲んでいるときのほうが、内側眼窩前頭皮質がより活性化されていることが明らかになった。内側眼窩前頭皮質は、飲食物を味わったり、においをかいだり、音楽を聴いたりしたときの心地よい気分と関連のある脳領域だ。つまり、この研究から、脳の一次感覚野は価格の影響を受けないが、そこから送られてくる情報に対する評価が、価格次第で変化することがうかがわれる。感覚入力はそのままで一定だが、それをどのように知覚するかが文化的学習によって変化するのである。
ワインの場合には、とくにそれが顕著で面白い。一本1.65ドルから150ドルまでのワインについて二重盲検法で(実験者と被験者にも品格を伏せて)飲み比べ実験を行なうと、何度やっても、ワインのテイスティングの訓練を受けていないアメリカ人は、実際には安いワインのほうを美味しいと評価する。ワインの価格と味を正しく関連付けられるようになるのには、訓練が必要なのである。

ロンドンのタクシー運転手になるためには、ロンドン中心部にあるチャリングクロス駅から半径六マイル(九・七キロ)以内のエリアのどんな道でJも走れるよう、地図を頭に叩き込んで難しい試験に合格しなくてはならない。合格するにはたいてい三~四年かかる。ンドン中心街は、二万五〇〇〇以上の道が、まるで迷路のごとく、複雑かつ不規則に張りめぐらされているからである。ロンドンのタクシー運転手に注目した研究がいくつかあるが、その報告結果はどれもみな同じだ。訓練を積んで試験に合格した人たちは、脳の背側海馬の白質が増加しているのである。ヒトやその他の動物の海馬には空問記憶が蓄えられている。タクシー運転手として経験年数を経るうちに、海馬のこの部分の灰白質が増えてくるのだ。こうした脳構造のリノベーションのおかげで、運転手はロンドンの街中のランドマークを記憶したり、ランドマーク間の距離を判断したりといった認知機能が高まる。しかし、こうした新たな認知能力には必ずコストが付きまとう。ロンドンのタクシー運転手の場合、複雑な幾何学的図形を記憶する能力が若干低下するのである。社会規範に支配され、世評が大きな影害力をもつ社会に生まれたヒトは、幼い頃からもう、秩序を乱さず規則に従い、ローカルな社会で重視される分野で秀でようとする。それがゴルフのこともあれば、経理、読書、そろばんのこともある。あるいは、吹き矢での狩猟だったり、先祖の霊を呼ぶ儀式だったりする。基本的に、社会規範が生み出した教育体制のもとで、すべての子どもが教育を受ける。子どもたちは、ローカルな規を内面化し、その規範に従って心身を鍛え、その社会で重視される身体技能や知的能力を身につける。タクシーの運転はほんの一例にすぎない。

こんな場面を想像してほしい。あなたがオフィスの狭い廊下を歩いていくと、書類キャビネットの引き出しから何かを出そうとしている大柄の男が道をふさいでいる。あなたが近づくと、男はしぶしぶ引き出しを戻して、あなたを通してくれた。ところが、彼の背後を通り過ぎる瞬間に、尻をあなたにぶつけて「こんちくしょう」と暴言を吐いてきた。あなたはどんな反応を示すだろうか? どれくらい侮辱されたと感じるだろうか? それはたぶん、あなたがどこで生まれ育ったかによって遼ってくるだろう。もし、「名誉の文化」をもつ地域の出身なら、(男性であればだが)それを「男らしさ」への挑戦と受け止める可能性が高い。すると、テストステロンやコルチゾールの血中濃度が急上昇することになる。テストステロンは攻撃性と関連のあるホルモンで、コルチゾールはストレスと関連のあるホルモンである。その濃度が上昇することで、あなたの身体は戦闘態勢に入る。…このような名誉の文化をもつ社会では、複雑な一連の社会規範が男性親族に、暴力に訴えてでも自分の財産や妻子を守りぬく義務を負わせ、動機付けを行なう。こうした規範のある社会では、自分や家族が侮辱されたり、財産を奪われたり壊されたり、あるいは親族が危険にさらされたりしたときは、即座に暴力で仕返しをしなければ、その男性の評判はがた落ちになる。それゆえ、私たち名誉の文化をもたない社会の者には法外と思えるほどの過激な暴力でやり返してくる。名誉文化をもつ男性の妻や恋人といちゃつこうものなら、顔面にパンチが飛んでくるだろう。それ以上の行為に及べば殺されてしまうかもしれない。正式な警察機構がなく、牛、馬、羊、山羊のような家畜が簡単に盗まれてしまう社会では、このような規範には大きな適応的意味があるのだ。

さらに最近、経済学者のボーリン・グロージャンがこの現象の重要性に注目し、最南部の殺人発生率がいまだにアメリカの他地域の二倍にのぼる理由を、移民の人口分布によって説明した。殺人発生率が高い郡トップ2はテキサス州とジョージア州にある。また、州単位で比較した場合、ノースカロライナ州とサウスカロライナ州の段人発生率が最も高い。…移民たちの故郷であるスコットランドには、暴力性の高さも名誉の文化も残っていない…。

ポーリンは、一七九○年の第一回アメリカ合衆国国勢調査のデータを用いて、一五〇の郡について、アイルランドとスコットランドからの移住者の数を調べた。一八世紀にはこの国勢調査が実施されるまでの間に、アイルランドのアルスター地方やスコットランドのハイランド地方から大量の移民が流入していた。ディープサウスについて分析した結果、一七九〇年時点でアルスター地方やハイランド地方からの移民の多かった部ほど、二一世紀の現在でも殺人発生率が非常に高いことが明らかになった。統計的に補正をかけて、貧困、不平等、人重差別などの影響を取り除いても、である。荒涼たる大地が広がっている辺部な地方ではとりわけ、こうした傾向が端部に見られる。移民やその子孫が、新たに発足した国家の機構に組み込まれることなく、そのまま牧畜生活や名誉の文化を引き継いでいくからである。

アメリカ合衆国の一部地域では、正規の警察力が及ばない社会で文化的に生み出された社会規範がその後も根強く残った。こうした社会規範は男性のホルモンを巧みに利用して、「名誉」が傷つけられるような状況では、暴力的手段で家族や財産を守り抜くという行動を形成していった。こうして文化的に形成された生物学的反応が、アメリカ南部社会における暴力犯罪の発生率を高めているのである。これは生物学的差異だが、遺伝的差異ではない。

ブラシーボの作用や効果は通常、患者がその薬や治療法をどれだけ信じているかによってまったく違ってくる。この薬は効くと信じる気持ちが強いほど、実際に大きな効果が発揮されるのだ。それだけではない。本物の薬の薬理作用もどうやら、動くと信じる気持ちの影響を受けるらしい。つまり、モルヒネを注射すれば痛みが和らぐと信じる気持ち(これはモルヒネの偽薬を使って測定できる)が強ければ強いほど、本物のモルヒネが高い鎮痛効果を発するのである。患者に知らせずに投写したのでは、まったく効かない薬もある。つまり、薬が薬理作用を発神するためには、効くと信じる気持ちがある程度必要なのだ。ここでもやはり、文化が少なからず格んでくる。なぜなら、私たちの信念や期待は、自分の直接体験(プラシーボ研究者の言うところの「条件付け」)か、他者から得た情報(文化的学習)のいずれかによって形成されるからである。すでに信念が形成された状態でクリニックを訪れることもあれば、訪れたクリニックで、医者によって信念が形成されることもある。さらに、文化によってフィードバックループがつくられることもある。

薬効成分は含まれていなくても、本人が有害だと信じている「薬」を飲ませると、生体反心が生じて、実際に有害作用が現れることが多い。痛みを誘発するノーシーボ(反偽薬)は、脳内のコレシストキニンの生理活性を高め、ドーパミンの分泌を抑えるとともに、視床下部 - 下垂体 - 副腎系(HPA系)を介して不安を引き起こす。すると、単に痛みが悪化するだけでなく、不安を増加させ、何でもない触覚刺激まで痛く感じるようになる。他者から強い負の感情を向けられたり、呪いを掛けられすると、病気や怪我をしたり命を落としたりすると、大昔から信じられてきた。現在でも、アフリカからニューギニアまで、世界の至る所でそう信じられている。妖術や邪術と呼ばれるものだ。とりわけ、他者から蝶妬の念を向けられることは、チリから中東まで多くの地域で「邪視」として恐れられている。理由は単純で、人から妬まれると健康や運を損なうと信じているからだ。嫉妬心を恐れるがゆえに、人々は成功を隠したがり、周囲から抜きん出て目立つのを避けようとする。もちろん、ノーシーボ効果を考えるならば、妖術の力を信じる彼らがそのように振る舞うのは、きわめて理に適ったことだった。秀でている者に対しては当然、周囲が嫉妬の感情を抱くだろう。妖術を信じているところにもってきて、周りから嫉妬の視線を浴びれば、当然、身体に生物学的な反応が起きてくる。それがもとで病気になったり、衛生環境の悪いところでは死に至ることもあっただろう。妖術の力を信じている場合には、その力が本当に肉体に、生体反応を引き起こしてしまう可能性があるのだ。

二〇〇万年余り前の人類の祖先の脳について、ある推測が可能だ。オルドワン石器を分析してみると、これらの道具製作者の九〇%が右利きだったことがわかる。これはちょっと意外だ。というのは、サルに利き手はなく、ヒトに利き手ができたのは、大脳両半球の機能分化の結果だからである(ちなみに、現生人類の多くは、道具使用や言語の中枢が左半球に局在している)。利き手の出現と符合するかのように、初期ヒト属の頭蓋骨では、言葉、身振り、道具使用に重要とされる領域がやや拡大しており、右脳と左脳の役割分担が生まれつつあるのがわかる。食物加工などに道具が使われるようになり、食物加工技術などのツールとコミュニケーションのツールが相乗作用をもたらすなかで、現生人類の脳の特徴である大脳半球の機能分化がすでに現れ始めていたのかもしれない。

実験の結果は、石器の作り方を身につける上でヒトは文化伝達の機会に大いに助けられていることを示すものだ。といっても、十分な時間と動機さえあれば、あなたは自分の力ですべて発見できるのではないかと思う。それくらいの技術は、少なくとも私たち現代人にとっては累積的文化進化の産物などではない。累積的文化進化の産物というのは、個人が一生の間に独力で考え出すのは不可能なほど複雑なものだからだ。しかし、脳の小さな人類の祖先が、そのような道具や技術を独力で発見するのは、現代人よりもはるかに難しかったはずだ。となるとやはり、文化の蓄積が関与した可能性が高いと思われる。

しかし、現境の変化は同時に、累積的文化進化を妨げたり、消し去ったり、場合によっては後退させる要因にもなったと思われる。文化進化によって居住地の環境や資際に適応した能力が形成されても、頻繁に環境が変化すると、入手できる植物や動物も違ってくるし、気候パターンも変わってくるために、せっかくの文化的適応が役に立たなくなってしまうのだ。数百年にわたって同じ土地に住み続け、さまざまな文化的適応を成し遂げてきた集団であっても、環境が変わってしまえば、どこか別の場所に移住するか、さもなければ、新たな環境に再適応するほかない。

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