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 相田家の葬儀から一週間経った。

 その間に、自分の誕生日がやってきた。流石にケーキを用意して盛大に祝うなんてことはしなかったが、網屋はいつにも増して大量に夕飯を作ってきた。それで十分だった。

 大学側には家族の死亡ということで忌引届を提出していたが、忌引の期間は七日間だ。実際、いつまでも自室に篭っていては気が滅入る。ちょうど良い頃合いだと思っていた時だった。


 中川路から電話があったのは、土曜の昼だ。

『相田君さ、今夜空いてるか?』

 唐突な問いに、相田は「え、まあ、はい」と半端な返事を返す。

『大事な話を聞いてもらいたんだが、長丁場が予想されるんでね。一晩潰す覚悟で、俺の部屋に来てもらえないか。ああ、網屋君も一緒にね。何かつまむものと、酒も用意した方がいいかも』

 大事な話、という言葉には何か重い響きが混じっていて、その後に続く軽い内容とはどうもそぐわない。であるから、相田は素直に中川路の言葉に従ったのだった。

 通話を終えるとすぐに網屋の部屋に顔を出したが、網屋の方にも塩野から話が来ていたようだ。二人で揃って「何だろう」「何だろうな」と首を傾げながら支度をし、スーパーに寄って適宜つまめるものを買い込んでから中川路のマンションへと向かう。
 中川路が住んでいるマンションへは一度赴いたことがある。深谷市の小さな飲み屋に行った時だ。その際は敷地内に入ることはなかったが、今回は中の来客用駐車場へと突き進む。主要駅にそこそこ近い高級マンションというやつで、若者二人は「ああ、中川路先生が住んでそうな所だ」という訳の分からない感想を抱いた。
 当然のことながらオートロック。やけに豪奢なエントランスで到着を告げ、最上階の十階へと向かえば、ラフな格好をした中川路がドアを開けて出迎えた。

「はい、お疲れさん。入って入って」

 中も広い。一人暮らしには手に余るのではなかろうか。が、それには理由があった。

「あのぅ」
「ん? なんだい相田君」
「すっげ失礼なこと言ってもイイっすか」
「う、うん」
「この部屋、間接照明が無い! 何て言うかこう、ドラマとか映画とかで金持ってそうなイケメンの部屋には必ずある間接照明が!」
「あぁーそれ、俺も考えた! 妙に薄暗い感じ! あとさあ、水槽! でけぇ魚が泳いでる水槽!」
「それ! 先輩それな! あと、謎のオブジェ! こう、細長いガラスの筒状のやつに水が入ってて、気泡がポコポコしてるやつ」
「あれだ、光の色が変わるやつだろ! 俺はええと、アレ何て言うんだろ、振り子みたいなのが五個とか六個くらい並んでてさ、端っこの振り子がカチカチ動いてるやつ」
「分かる、先輩の言いたいこと分かる! アレでしょアレ! アレなんて言うんだろ、振り子?」
「君達は俺を何だと思ってるんだ?」

 嘆く中川路。リビングの真ん中に置かれている大きなソファーの上で、先に来ていた目澤と塩野が大笑いしている。

「そりゃあイケメン独身貴族ですよ。ねえ先輩?」
「ヒューッ! 独身貴族! あとワインセラーとかバスローブとかありそう。イケメン独身貴族だから」
「……小さいのなら……あるよ……バスローブも持ってる……」
「やった、やっと来た独身貴族アイテム! のんちゃんさん一安心しました」
「先輩、あとホラ、エアロバイクとかも忘れちゃダメ」

 ここで目を逸らす目澤。

「……そっちかい!」
「あのねえ、目澤っちの住んでるマンション、トレーニング部屋があるんだよお! すっごいの、バーベルとかあんの!」
「うっわすげえ!」
「塩野は余計なことをベラベラと!」

 馬鹿な会話はさておき、確かに中川路の部屋は、いわゆる金持ち独身貴族の部屋とは言い難い状態であった。家具や電化製品はひとつひとつが品よく選ばれており、そこだけ見ればイメージ通りだ。が、リビングの壁面を埋め尽くす本棚、そこに収められた大量のファイル。この圧倒的な物量が「オシャレなイケメンのオシャレな部屋」という印象を全て打ち消している。それほどまでに、多い。この大量のファイルを収めるための広い面積なのだろうか。

「に、しても、ますます増えたねぇー研究資料の束。やっぱさあ、僕んちに持ってこうか?」

 目澤のゲンコツを逃れ、ソファーの上で胡座をかいて本棚を見上げる塩野。

「いや、お前んちはご家族いるだろ。家の中狭くしてどうすんだ」
「じゃあ、俺の部屋に持ってこうか」
「目澤は黙らっしゃい。ただでさえトレーニングジム生成しちまってるくせに何言ってんだ。彼女にドン引きされるぞ」
「そうそう彼女! カノジョ! ごめんねぇ目澤っち、折角のサタデーナイトフィーバーだというのに、ごめんねぇ」
「そうだなぁ、他にいいタイミングが無かったとは言え、折角の二人きりに水差しちまったな。もうさ、いっそのこと呼べば?」

 顔が赤くなる目澤。残念ながら相田と網屋も状況を把握しているため、その場にいる全員から好奇の視線を向けられる羽目に合う。何か反論しようとして何度か口を開閉するが良い言葉は咄嗟に浮かばず、目澤は大きな体を小さく丸めてしまった。

「いや……みさき君を呼ぶのは、ちょっと……」
「冗談だよ。まあ、別に、この場でお前さんの彼女自慢大会を開催してもいいんだが」
「う」
「それは次の機会にな。今日は、目的が違う」

 空気が緊張する。相田と網屋はそれを敏感に察した。言葉を放った中川路はと言えば、あまり使用感のない対面キッチンへ移動してバーボンの瓶を取り出している。

「潤滑油があったほうがいいだろ? 口の滑りが良くなるぞ」

 おどけて笑う中川路に、目澤と塩野も笑って返す。目澤は大吟醸、塩野は酒の代わりに妻が作ったというペンネアラビアータをタッパーに詰めて持ってきていた。
 それら全てをソファーの前にあるローテーブルに広げ、臨戦態勢を整える。

「さて、と。じゃ、本題に入るか」

 中川路と目澤と塩野、三人は互いに目を合わせて頷く。口火を切るのはやはり中川路だ。

「二人に、俺達の昔話を聞いてもらおうと思う」
「昔話、ですか」
「ああ。俺達が狙われる原因になった組織、災害対策機構の話だ」

 今度は相田と網屋が顔を見合わせる。

「……先生方が所属していた、DPSというところですね」
「そうだ網屋君。Disaster Prevention System、通称DPS。口の悪い奴はDepthなんて呼んでたな」
深淵Depth……」

 手酌で注いだバーボンに口をつけ、中川路は小さく息をつく。

「これを知れば、君達も市村に狙われる身になる。それでも、君達には話しておかなければならないと思ったんだ。君達、特に相田君は知る権利がある。知ったということを市村に悟られなければ大丈夫だろうが……どうする。聞くか、聞かないか。今ならまだ間に合うぞ」

 中川路の警告に、二人は顔を見合わせた。頷くでもなく声を出すでもなく、彼等が取った行動は、中川路が注いでくれたバーボンのグラスを手に取って乾杯することだった。そしてそのまま、勢い良く呷る。

「はい、これで帰れない。検問引っかかったら一発アウト」
「人の金で飲む酒は美味いなぁ。今のうちに飲めるだけ飲んでおかないと」

 にやりと笑ってみせる若者二人に、医師達は安堵したのか呆れたのか、苦笑のかたち。特に塩野は心配が拭いきれないらしく、胡座をかいたまま前のめりになって「大丈夫?」などと聞いてくる。

「相田君はね、頑張りすぎなくてもいいんだよ?」

 故意的に明るく振る舞おうとしている事を見抜かれている。見抜いているという態度をさらけ出している事自体が、塩野の優しさなのだと相田は知っている。

「大丈夫っすよ。ホントに駄目だと思ったら、遠慮なく言います」
「……ん、そっか。じゃあ、シズキン安心。あ、ペンネ食べてね。美味しいんだよーナスも入ってるんだよー! ナスとトマトとベーコンの組み合わせは安定感に満ちてるよね!」

 空気が少し弛緩して、相田もペンネに手を付ける。うまいうまいと食べ始める彼に、網屋が「一人で食いすぎるなよ」と釘を差した。

「さて、と。どこから話すかね」
「どこからかなぁー……あ、そうだ! 僕さ、前から聞きたかったことがあるの」
「は? 何だよ聞きたいことって」
「二人はさ、誰にスカウトされた?」

 中川路と目澤は同時に言う。

「CTIUの朝霧(あさぎり)」
「僕もー! でもさ、僕ら、スカウトされた時期って同じだよねぇ? 同時に三箇所潜入してたってこと?」
「そうなるな。正体を知るまでは恐ろしく存在感が無かったし、流石に日替わりでそれぞれの所にいたんじゃないか?」

 ごく普通の世間話のように喋っているが、聞いていた網屋の顔は険しいものになっている。

「先生方、それって、アレですよね。『内閣戦術諜報ユニット』」
「うん」
「マジかよ……話には聞いたことがあるけど」
「国連から要請を受けて、国内で該当する人物を探していたんだそうだ。そりゃあビビったさ、話の規模がデカすぎてな」


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恵みの雨に喜んだカエルは、三日三晩踊り続けたという。 頂いたサポートは主に創作活動の糧となります。ありがとうありがとう。