ヘッダ二章

個人情報保護方針 1)「ご相談はいつでも受け付けております。」

 仁王のようであった。正にそれは仁王であった。事務所のホワイトボードの前に腕組みして立つ禅の姿は、怒髪天を衝かんばかりの仁王。

「吹雪さん」
「……ひゃい」

 冷たい床の上に正座させられた吹雪は、ひたすら頭を垂れて身を縮めている。

「三回目です」
「ふぁい」
「僕は、既に二回、注意しましたね?」
「しみゃした」
「覚えているのはよろしい。ならば……」

 ツカツカと歩み寄り、吹雪の頭を鷲掴む。

「どうして! 同じ! ことを! 繰り返すのか!」
「痛い痛い痛い痛い!」
「この頭蓋骨の中身は何ですか? 綿でも詰まっているのですか? 一応貴方も人間なのでしょう? せめて脊椎くらいはあるのでしょう? だったらその脊椎でもいいからフルに使って学習なさい!」
「あばばばばばばばばば」

 掴んでガクガク揺らすものだから、吹雪は返事どころではない。

「ぜ、禅くん、その辺にしておいてあげたら……?」
「社長は黙っていて下さい」
「あい」
「いいですか吹雪くん、もう次はありませんからね。次やらかしたら、減給です」
「ヒイッ」
「実際ね、禅くんが経理担当してるから。ホントにやるよ彼、怖いよ」
「社長は、黙って、いて、下さい、ね」
「あい」


 こんなコントを繰り広げている一方、事務所の片隅では真面目な顔をしている連中もいた。パソコンに張り付いて難しい顔をしているのは、十鬼懸組の非合法カジノに潜入していた三人と、保だ。保のデスクモニターに映し出されているのはとある私立学園のサイト。よくある、面白みのない内容である。理事長のにこやかな笑顔写真と簡単な経歴。

「ホントに、この人がいたの?」
「間違いねぇ。な、貴士」
「ああ、確かにこいつだ」

 二人揃って頷いてみせるので、保はそれ以上の疑問を投げつけるのをやめた。

「二郎ちゃんはこの人、見た?」
「僕は後から会場入りしたからなあ、残念ながら見覚えはない」
「まあ、そりゃそうだろうなあ。こいつ、早い時間に来てさっさと帰っていったから」

 その時に鉄男と貴士が聞いたという、学校の名前。その検索結果がここだ。

「ああいう場だと、大概の客は鉄男に興味を示すんだけどな。でもこいつは眼中にナシって感じだった。だから尚更目立ったんだ」
「最初からさっさと帰る気だった、ってやつだな。仕方ないから顔だけ出して、挨拶して帰ろうとしてた。だけど変に引き止められて、で、揉めた」
「その挙句に、ひとり投げ飛ばした、と」
「そういうこったな」

 画面に映る笑顔を見ている限りでは、いわゆる好々爺とかいうやつにしか見えない。精悍といえば精悍な顔付きなのかもしれないが、それはそう見ようとして導き出された結果である。余計な前知識がなければ、どこまでも普通のオジサン。しかも少し痩せ型の。
 そんな人物がヤクザの非合法カジノパーティに顔を出し、ヤクザを投げ飛ばして帰った。これで気にするなという方が難しい。

「こりゃ調べるしかないね……おーい禅ちゃん、お説教終わったー?」
「お説教とは何ですか! 僕は然るべき注意をですね」
「注意でも尿意でも何でもいいよ、手伝って」

 保の声色は随分と真剣味を帯びており、それを察した禅はすぐにデスクへと向かった。ここでグズグズとごねる程愚かではないからだ。

 そんな彼等の様子を、少し遠巻きに見つめている、伯。彼の顔は青い。それなのに、表情は何かを決意したような顔。
 逡巡はあったのだろう、彼の中で、十分なほどに。ぎゅうと両手を握り締めると、突如大きな声を出した。

「……社長!」

 足の痺れた吹雪をつついて遊んでいた社長が、伯の声色の硬さに気付いて顔を上げる。

「あ、あのっ……僕……僕…………」

 彼女は待つ。彼が言葉を絞り出すまで。

「……皆さんに、お話ししても、いいでしょうか」
「伯くんはそれでいいの?」
「……はい。今こそお話ししないといけないんじゃないかって、思うんです」
「伯くんが決めたなら、私は良いと思う。知られて困るようなことはないから」
「分かりました、ありがとうございます」

 深々ときれいなお辞儀をすると、伯は先程のカジノの話題を出していた連中へと体を向けた。

「その男性の方、確かに十鬼懸組内では見たことがありません。ただし、本部施設内では、という条件がつきますが」
「伯ちゃん、どうしてそう言い切れる?」

 保が椅子ごと伯へと向かう。低い位置から見上げる形になるが、彼の視線は恐ろしく鋭かった。しかし伯は怯まない。決意を固めた伯はもう揺るがない。

「僕が、元を正せば十鬼懸組の人間だからです」

 はっきりと言い切った。事務所内に小さく走る動揺の波。だが、見上げる保は微動だにしない。彼はただ、じっと伯の言葉を受け止めている。

「僕は十鬼懸組の本部で尖兵として育てられた人間です。役目を果たす時以外は、本部から外に出たことはありません。ですが、その時以外は常に本部内にいたとも言えます。それを踏まえた上で聞いて下さい。僕は、この人物を見たことがありません。先日のカジノパーティーで初めて目撃しました。ですから、本部以外の部門で関わりがあるか、もしくは僕が産まれるよりも前に関わりがあったか、どちらかでしょう」

 ここまで一気に喋ってしまうと、伯は大きく息をついた。未だ緊張が抜けきっていない体を少しだけ屈めて、ようやく吐き出すことができたという安堵と、大丈夫なのだろうかという不安とに挟まれている。
 ぽん、と頭に温かい感触。二郎が黙って、伯の頭を撫でていた。撫でると言うにはいささか乱暴ではあったが。柔らかい髪を、まるで犬でも撫で回すかのようにぐしゃぐしゃにしてしまう。
 保がその辺にあった適当な椅子を引っ張り出し、伯に座るよう勧めた。次に腕組みを解き、組んでいた足も元に戻す。膝に肘を乗せて身を乗り出し、腰掛けた伯の視線と位置を合わせた。

「一度も、ない?」
「はい。会っていたとしても記憶がありません。都合の悪い記憶を消されている可能性もあります」

 伯の言葉を聞きながら、既に禅は調査を開始していた。この時点でそこそこに情報は絞りこめる。膨大に広がってしまう可能性より遥かに有用だ。

「育てられてた、つったよな」
「はい。僕は十鬼懸組の中で育てられました。教育機関に通ったこともありません。一応、年齢相応の教育は施されていると思うのですが……」

 一瞬、保が顔を上げて誰かを見る。相手は事務所の隅にいたみどりだ。前に出た話題が正解であったことを無言で確認し、視線を戻す。代わりに口を開いたのは、キーボードを叩きまくりマウスをクリックしまくっていた禅である。作業の手を止めないまま、顔も上げずに。

「伯くんの教育レベルは高卒に匹敵します、最低でも。専門技術や知識に時間を割いてしまった節がありますので、それがなければもっと上まで行っていたでしょう。年齢にそぐわないレベルと言った方が正しい。ただの尖兵を育てていたにしては、随分と大掛かりであるような気もしますね」
「何を育てていたのやら……で、社長。今更、伯ちゃんが十九歳なんて言わないですよね?」
「……十九ってことにしないと、色々マズイのよぅ」

 口を尖らせて反論を試みる社長であったが、その時点でもう全てが終わっている。確認が取れたも同然であるので、話題としてはあっさりと終わってしまった。それよりも他に考えなければならないことが山程ある。

「うーん、どうしよっか。どうよ禅ちゃん、何ぞか繋がりはあったー?」
「いいえ、全く見つかりません。そこそこに遡って調べているつもりなのですが、今のところは感無しと言ったところです」

 禅が調べられる範囲は広い。というより、根本的に素人が手を出せる範囲のものではない。何せ彼の『本来の職場』から拝借している上に、その職場とあまり仲がよろしくないお隣さんのデータベースも覗き込んでいるのだ。お隣さんとの仲も、そのお隣さんの内部も、それはもう色々あるらしいが、情報の精度に問題はない。使えるものは何だって使う。

「鉄ちゃん貴ちゃん、その人は奴サンがたと仲悪そうだったんだよね?」
「あれで仲が良いってんなら、俺らなんて恋仲か何かだぜ」
「組の奴等はそうでもなさそうだったけどな。つうか鉄男さあ、きっしょいこと言わないでくれる?」
「なら問題ないかな……社長、その学校とやらに潜入の許可を。こりゃもう、直に調べた方が早い」


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恵みの雨に喜んだカエルは、三日三晩踊り続けたという。 頂いたサポートは主に創作活動の糧となります。ありがとうありがとう。