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『貴方の名前は?』
『神の仔』
『それは貴方の名前じゃない。本当の名前があるでしょう? 貴方の名前は?』
『……神の仔』

 録画された映像は、白衣を着た男と、虚ろな目をした青年を映し出している。

『貴方は、何人家族でしたか』
『沢山』
『何人?』
『沢山、沢山。皆、神の仔なのです』
『お父さんやお母さんは?』
『私の父は神。私の母は神。私は神から産まれた』

 青年は優しげに微笑む。幸せそうな表情だ。その幸せを、何人たりとも邪魔することはできない。

『貴方には妹さんがいたでしょう』
『沢山いる。神の仔全てが私の兄弟。私の姉妹』

 その映像を、研究生達が眺める。彼らに表情はほとんど無い。あえて名付けるならば、学者の表情だ。

『妹さんと、遊んだ思い出とか』
『私に思い出など無い。私に必要なのは未来だ』

 ここで突然、映像は途切れる。あまりに短すぎると誰もが思った。それが、教授の意図によるものだと分かっているから尚更だ。
 教授はモニターを切り、研究生達の顔を一人ひとり眺め回す。

「さて、挑戦者はいるかね?」

 あまりにも判断材料が少なすぎた。微動だにしない研究生達の中、しかしそれでも、ためらいなく手を上げた人間が一人だけいる。

「……他には?」

 返答はない。教授は再びモニターのスイッチを入れて満足げに微笑んだ。出遅れた時点で、他の研究生達は負けたのだ。

「シオノ、君以外誰もいないから、君に頼もう」

 鎮鬼は黙って席を立ち、隣の部屋へ向かう。そこには先程の青年が座って待っていた。
 教室のモニターはその青年と、小さな机と、もう一つの椅子が映るようになっている。ドアを開ける音がモニターから聞こえてきて、画面の中に鎮鬼が登場する。

「こんにちは、初めまして」

 鎮鬼は青年に笑顔で話し掛けた。青年の反応は鈍い。それでも鎮鬼は笑顔を崩さない。椅子に座って青年と対面すると、机に両肘をついて身を乗り出した。

「貴方の名前は?」

 研究生達は息を飲んだ。同じ台詞をそのまま持ってくるなんて、余程の馬鹿か、それとも自信があるかのどちらかである。前の人間と同じ轍は踏まないと公言しているようなものなのだ。逆を言えば、「前の奴は自分より馬鹿だ」。

「……神の仔」

 返答はやはり、全く同じものだ。
 鎮鬼はもう一度笑った。楽しそうに。

「神への冒涜者が、神の仔を名乗ってはいけない」

 青年の体が僅かに強張った。鎮鬼はそれを見逃さない。もう、獲物は罠に足を踏み入れている。

「貴方には妹さんがいましたね」
「私の兄弟は沢山いる。神の仔全てが、私の兄弟なのです」
「妹さんを悪魔にしたのは貴方でしょう?」

 揺るがなかった視線が、ずれる。相手と正面から目を合わせられない「何か」が彼の中に生じたのだ。

 鎮鬼の持ち味は「速度」だ。誰よりも早く崩壊点を見つけ出し、誰よりも早く実行する。その崩壊点を見つけるために、彼は材料を選ばない。今回のように挙手という形で実行者を募ったという時点で、彼はこの講義が「判断速度を問われている」と気付いていた。
 その事実を、研究生の何人かは悟ったらしい。自分もできたはずなのに、と悔しさが顔に滲み出ている。

「貴方がどこに行っても、名前を変えても、妹さんにしたことは消えない。変わらない。それでも逃げ続けるつもりですか? 逃げるという行為自体が、自ら妹さんに束縛されようとしている……」
「違う」

 初めて、青年から反応する。教義にはない言葉が口から漏れたのだ。

「何が、違うのですか?」
「……違う」
「貴方は、どうして入信したのですか? 何のために修行を重ねてきたのですか?」
「それは、神の仔……」
「神の仔にならなければならない理由は?」
「それは……」
「神の仔として認められる必要性は、どこから発生したのですか? 貴方はどのように考えたのですか? その考えが浮かんだのは何故? 何が切っ掛け? いつ頃から考えていたのですか? 貴方はそれらを明確に覚えていますか?」

 青年は黙り込んだ。呼吸をするのも忘れるほどに。いや、鎮鬼が黙らせたと言った方が正しい。
 だが、鎮鬼はここで言葉を切り相手の顔を覗き込む。今度はゆっくりと、言葉を紡いだ。

「妹さん、今頃、どうしているのでしょうね」

 青年の表情が大きく歪む。無表情のまま鎮鬼はしばらくそれを見つめて、待つ。
 壁は全て崩した。青年の「言葉」が流れ出してくるまで、あと数秒。右手がそわそわと動いて、シャツの裾を掴む。
 少しだけ視線を逸らして背を丸め、僅かに隙を与えてやる。

「……許される、訳がない」
「そうですね。このまま逃げ続けていれば、何も変化は起こらない」

 このまま突き崩してやりたい衝動に駆られるが、きちんと再構築の余地を残さねばならない。これはデモンストレーションだからだ。

「少しでも、妹さんに何かしてやろうと思いましたか? 謝るとか、償うとか」

 口調のテンポをさらに落とす。言葉は柔らかく、表情も相手が受け入れやすいように。
 青年は下を向いて、首を横に振る。

「妹さんに、何かしてやりたいと、思っていますか?」
「……分からない」
「何が?」
「俺はあいつに関わっちゃいけない。何をしてしまうか分からない」
「だから逃げた?」

 誘導されるままに青年は頷く。だがこのケースの場合、望むままの答えを出しているだけでは解体はできない。

「言い訳にしては上出来」

 短い言葉を叩きつける。青年は逃げ場を失い、硬直した。

「なじられるのが怖い?」

 瞳は恐怖に竦んでいる。恐怖は勿論、自分の過去に対するものであるのだが、その他にも要因はある。何も知らないはずの初対面の人間が全てを暴くからだ。その恐怖が水面下に潜み、掻き乱す。

「誰かに、悪魔と呼ばれたことがあるでしょう」

 さらに身を乗り出して、体勢を低くする。顔を下に向けてうつむいている青年に、声が届くように。

「妹さんに? それとも、別の人?」

 乾いた唇が、開く。しかし声は出てこない。まだ、否定している。


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恵みの雨に喜んだカエルは、三日三晩踊り続けたという。 頂いたサポートは主に創作活動の糧となります。ありがとうありがとう。