積ん読なんてしないなんて(もう)いわないよ絶対

Amazonが定額読み放題のAmazon Unlimitedを始める。いろいろあるけど、思ったのはあんまり関係ない話だった。だから、この際書いてしまおうと思う。

「紙の本は生もので、欲しいと思った瞬間買っておかないとなくなる」とか「あとで買おうとか、覚えてられない」とか、いろんなことをいってきたけど、もういいだろう。そろそろ認めてしまおう。

私はもはや物欲のために、マンガを買うためにマンガを買っている。

そう、積ん読の話だ。積ん読、つまり買ったけれども読まずに積み上げてしまっている本。本棚の、枕元の、そして床に生み出されたタワーの肥やしだ。ときどき年に1000冊を優に超えるマンガを買って、かつ基本的に全部読んでいるというモンスターみたいな人がいるのだけれども、多くの「よく読む人」は「たくさん積んでいる人」でもある。もう偏見で断言してしまうけれど、大量にマンガを読んでいる人は多かれ少なかれ積ん読を抱えている。「あとで読む」とタグ付けしたまま何か月もそのままになっている屍の山とともに人生を送っている。しかも、「いつか」と思っているから墓標すら立てない。虚無の山だ。

そういう暮らしをしていると、家族や友人に必ず言われる。「読む分だけ買えばいいのに」「読み終わってから買えばいいのに」と。金の無駄だし、住居を圧迫するし、あげく買ったことすら忘れてもう1冊買ってきたりするわけだから、家族にこういうのがいた日にはさらし首待ったなしとなるのも致し方ない。

とはいえ、マンガを大量に買うという理由で打ち首獄門、河原に晒されるとなる世界はとんだディストピアなので、我々は申し開きをすることになる。曰く「紙の本は放っておくと想像以上にすぐに店頭から消える。初版のみで重版がかからない作品は山ほどある。いつでも買えるものではないのだ」「一期一会だから」。

どれも何度も口にしてきたし、実際嘘ではない。一見無駄に見える積ん読をいとわないことで、「ああ、何も考えずとりあえず買っておいてよかった」という領域をカバーできているというのは実感としてある。戦いは数なのだ、兄貴。

しかし、だ。もういい。ゴタクは終わりだ。他の多くの人はともかく、こと私に関しては、すでに積ん読を前提で買っている。とりわけここ数年はもう積ん読を減らそうという気持ちも薄らいできている。シュリンクも剥がさないまま積み上げたマンガたちが、そこかしこに罪の山をつくりあげ、物言わぬマンガからプレッシャーを感じながら見て見ぬ振りをしている。それでも、買っている。袋に入りきらないということで書店で段ボールに詰め込んで渡されるくらい買っている。

それはもう理屈ではない。そんなこと知ったことではない。私はマンガを買うこと自体が好きなのだ。もちろん読むのが好きだから買うのだけれども、それとはすでに別として、好き放題面白そうなマンガを買うのが好きなのだ。

書店の新刊コーナーに行ってカゴ一杯に新刊を詰め込むのが好きだ。帯コメントにまんまとのせられるのが好きだ。カバーデザインに誘われるのが好きだ。明らかに棚担当者の趣味と情熱で平積みされた作品を見れば買いたくなるし、ひっそりと棚差しされたところに何か光っているような作品を見つけたら嬉しくなる。

買い物中毒の一種といえばそうなんだろうとは思う。けど、そんなことはもう知らん。買うのだ。気になったら、一瞬琴線に触れたら何も考えずに買うのだ。ほかの何を犠牲にしても構わないと決めてしまっているのだから。

もちろん、買って読まないというのは描いた人からすれば気分のいいものではないだろう。カレー沢薫師のように「読まなくてもいいから買え」と高らかに宣言する人もいるけれど、基本的には誰だって読んで欲しいから描いている。私だってそうだ。一銭にもならないような文章をここまで1503文字も書き連ねてきたのは、そうはいっても読まれたいからで、「5文字しか読んでないけど気に入ったから3億円ほど送る」といわれても釈然としない。それはそれとして3億円はいただくけれども、納得はしない。

だから、具体的に何を積んでいるという話はおおっぴらにはしない。だれも嬉しくないから。それに、読もうという気持ちはあるのだ。読みたいから買ったのだし。

さて、それはそれとして。Amazon Unlimitedは悪くないサービスだと思う。今さらいうまでもなく電子書籍は便利だし、ぼちぼち使っている。Unlimitedの現状のラインナップを見た印象としても、傑作がけっこうある。自分が大学生のころにあったら、重宝していたんじゃないかと思う。今だって悪くはない。年に数冊くらいは読むという人が、加入して元を取ろうと知らなかった作品に手を伸ばしてくれるという仕組みは大事だ。人はそうやって沼に落ちていく。

だけれども。こと今の自分の話をするなら、私は買うこと自体が好きなのだ。貧しいんだから予算は抑えられるに越したことはないけれど、どうせ普段から好きなだけ買っている。ここに金をかけないで、わずかに貯金が貯まっても、使いたいのはマンガなのだ。だから、「オトク」よりも「好き放題買える」方を選ぶ。

そして、書店を選ぶ。電子も使うけれど、電子書籍を大量に買っても満たされない。実際に無尽蔵に蔵書が並んでいるのはAmazonだけれども、大きな海のように見えるのは書店の棚だ。そこから思いっきり選びたい。「あの作品はどこだ」と探し回りたい。見つからなくて「在庫ありますか?」と問い合わせたい。「在庫なしですね」と、電子では基本的にあり得ない答えにがっかりして書店をハシゴしたい。

それはたぶん、見つけ出したいんだと思う。出会いたい。思いもかけずに手にとって、片っ端から詰め込んで、「見つけたぞー!」と騒ぎたい。それはマンガの面白さの本質ではないけれど、本質ではないからこそ、神様の宿っている場所だと思う。

この先も飲み屋で聞かれたら、こんな退屈な話を長々聞かせるわけにいかないので、「買えるときに買っておかないとなくなっちゃうんで」とか「忘れないうちに買っちゃうんです」とか答えると思うけれど、本当のところは買うのが好きなのだ。あー、スッキリした。

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