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【過去記事】キャッキャリアブログ:偶然も機会。人と会って話そう。意思。意志。選択。そして委ねる。

**この記事は2018-08-25にフロカレHPにアップされたものを再掲載しております。**

こんにちは!渡邉規和(ワタナベノリカズ)と申します。
フロカレ代表・成田さんには旧インテリジェンスでご縁をいただきまして、
今も高尾山まで歩く企画(ブログ参照)をご一緒いただいており感謝です。
↓この珍妙な企画です(笑)
・イベントレポ:キャッキャした大人に会いに行く!珍妙な高尾山ツアー&ミニ四駆の聖地えのもとサーキット
http://frocolle.dip.jp/?p=734

トップの写真はこのツアーの帰り道、そういえば行った3人で写真撮ってないね、ということに気づき、焦って写真を撮りました。電車の中で(笑)
一番左が私、一番右が成田さんです。

少しだけ自己紹介をば。
☆Who am I(自己紹介)
41歳、9月から4社目。クリスチャン(プロテスタント)です。

☆趣味、
①学生自治寮の理事。6月に就任し、学生に遊んでもらっています。
②パワーリフティング(初めて2年目。9月に東京都大会出ます)
③Instagram(こんなおっさんの写真、見る人いるんですねぇ、フォロワーさんが増えるのがうれしい)
④コーチング(Points of You🄬認定トレーナーとして活動してます)

☆職歴
1社目:旧インテリジェンス 15年5か月(銀座→丸の内→仙台→新宿→石巻→新宿→豊洲→大阪→出向で新宿
2社目:JIN-G(組織・人事コンサルタント)
3社目:アグー(豚ではなく、トビウオの学術名、飛魚出汁(アゴダシ)等)、体育会アメフト部員の就職支援。
4社目:富士ゼロックス総合教育研究所:トレーニングパフォーマンスコンサルタント(要は研修講師)

ちなみにキャリアのはじめ、なぜ、その一社目を選んだのか。

私が世に出た2000年、まさに就職氷河期真っただ中でした。
就職氷河期は13年あった、と言われていますが、その中で最も谷が深かった時です。
唯一の新卒の求人倍率が1.0倍を割った年ですから。
リクルートが新卒採用を始めてから唯一新卒採用しなかった年、とも聞いています(募集はしたが採らなかったと伝聞)
のちに旧inteと経営統合する学生援護会も新卒採用がなかった年です。

要は、就活する人の数よりも求人の数が少なかった唯一の年。

選択肢が少ないわけです。

でも、どこでもいいわけではない。

なのに、「何をやりたいのか、わからない」
しかも「サッパリわからない」

というのも、私には特殊な事情がありまして。
私は学生時代、政治家になりたかったという極めて珍妙な学生でした。

なもんで、夜学のメリットを存分に発揮し、ひたすら選挙の手伝いしてました。(8戦 4勝4敗)
選挙がない平時には、秘書として議員会館でフツーに働いていました。
キャリアが長いので、秘書の名刺を持っていて、あとから入ってきた社会人を辞めて来た人が
秘書名刺もらえなくてうらやましがられたりもしていました。(要はキャリアの年功序列)

そんな学生が、
「社会を知らない教師と、経済を知らない政治家はダメだ」と思い至るようになり、
ひとまずそのまま政治の世界に入ることを辞め、就職する、そして4年後28歳の選挙にでる、
と考えた上での就活でした。

政治漬けの3年間だったので、就活始めるときも、別にやりたいことがあるわけではない。
やりたいこともわからない。

そこでインターネットを活用して情報を集めてみました。
今では当たり前のこの手段、当時は画期的でした。
今でいうみん就の前身であるみんなの就職活動日記は、私の一つ上の世代の人が手なりで作った個人のサービスでしたし。

今まで政治の世界に閉じこもり「情報鎖国していた私」にとって、そりゃもう、なんだかわからんくって、
学内ですれ違ってもなんとも思わなかった(むしろ、政治に興味がないやつら、と見下していた)奴らが
就活ではすごい。今風に言えば、意識が高い。
そして、話すと自分の無知を思い知る。
悔しいから調べる。
すると情報と知識は増える。
しかし、やりたいことは定まらない。

とはいえ、なんだかんだで、興味持った業種なり会社なりにリクルートブックの「はがき」でエントリーしたり、
電話かけて応募を告げたりしていました。

そんななか、私の就活期間中、私を激しく苛立たせる、無視できない会社がありました。

その名も「インテリジェンス」

この(当時)無名な設立12年目の人材サービス会社から、DMが郵便で届くのです。
しかも、DMのサイズがデカい。
どのくらいデカいかというと、郵便ポストに入らない。
すると、郵便屋さんは「郵便局に取りに来てくださいねー」という通知をポストに入れていくわけです。
で、取りに行くと、inteからのDM。

しかも、それが、3回。(失笑)

なんなんだ、と。

よく見ると威勢のイイことがたくさん書いてある。
「電通とリクルートを超える」
「コンサルティングからはじめる」
「上司を選び、プロジェクトに参画」
「業界成長率3年連続No.1!(ただし業界53位)」

なんだか、年功序列の政治の世界とは異なるな、と。
この夜学生に3回もDM送ってくるくらいなんだから、よほど私が欲しいのだろう、

と思いあがって説明会に電話申し込み。
さらにそこから面接が8回。
(当時は、入社します、と言わないと、内定を出さなかった)

こんなご縁で1社目を決めました。

正直、なにをやっているか、はあまり理解できないままに。。。

そして何をやっているかよくわからなかった会社に入り、
10日間の新人研修。(うち3日は飛び込み訪問&名刺獲得CP、うち3日は貸し切りホテルで3日間寝ない研修・・・)

そんな会社に15年5か月もいました。
フィットしたからです。
居場所を見つけられたからです。

というのも、何度も、多くの方と会って話して、
「合う」ことが確信できたからです。
機会としては、
8回の面接、内定後、毎週の内定者懇親会(という名の朝までの飲み会)
内定者研修(という名の自己紹介ビデオ作製→優勝)
がありました。
これらの機会を通じて、「合う」ことが確信できたからです。
(とはいえ、私は社員のほうでは珍妙寄りと自覚)

そりゃ、親からは反対されましたよ、
非上場のドベンチャーに行く、とか、なんで?!って。

特に父親。
安土桃山時代から続く会社で管理職の父には、理解できない進路で。
そんなベンチャーに行くために大学行かせたんじゃねー!的な。
てか、お前政治家目指すんじゃねーのかよー!とか。

でも、氷河期で選択肢少ないし、社員も内定者も優秀で面白いやつ多いし、
ここでも頑張りたい、と意志を認めてもらいました。

■まとめ
【偶然も機会】
何がどうツナガルか、わかりません。
知らないだけで、選択肢から排除するのはもったいない、と思います。
私にとっては3回も郵便局に取りに行ったDMが、それでした。

【人と会って話そう】
話を聞いて、感じることを大切にしよう。
フィーリングって結構重要です。

【意思】は「なんとなく」でよいよ。
やりたいことなんてわからない。変に・妙に作文しなくていい。
でも、「こうしたい」「こうしたくない」などの【気持ち】は大切
→「【意志】は大切」(なぜやるか、すなわち「WHY」)

【意志】が大切
「なんとかなる」ではなく「なんとかする」
決めたのならば、やろう、がんばろう。
私、入社1年目、同期の中で最も初受注が遅かったのです。
まわりは「なんとかなる」と励ましてくれましたが、
当時の私には「どうやったらできるのか(HOW)」が足りなかったのでしょう。
でも何とか成果出せたのは、決めてたから。意志があったからだとも持ってます。

【選択】が大切
キャリアとは「選択」である。
「自分の選択は正解か?」ではなく、「選択した道を正解にする」

でも、一番大切なのは、
【委ねる】こと。
自分の力だけではどうにもならないことも、ある。むしろ多い。その時に、どうするか。
自分の【気持ち】と【意志】で【選択】を正解にする。
そしてそれでも、どうしてもうまくいかないときは、
【委ねる】
これは、投げやりに一任する、ということではなくて、「人事を尽くして天命を待つ」的な考え方ですな。
私の場合、クリスチャン(プロテスタント・メノナイト)なので、神に委ねます。
もう神は無敵です。
神に委ねることを覚えると、平安(シャローム)が来ます。
どんな状況でも、です。
これは状況は変わらないが、心のありようが変わる、という意味で。
(もし可能なら、今度、「知っておいたほうが良い、リベラルアーツとしての聖書・キリスト教」語りたいです)

参考になれば幸いです。ちなみにこちらは第1話。
近日第二話、「自分の気持ちを大切に。『何をやるか」よりも『誰とやるか』も寄稿させていただきます。
どうぞ宜しくお願いいたします。

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