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はじめまして?始めました、長文。

こういうのは酔った勢いで始めるしかないんですよ、あるいは深夜テンション。二十歳になって酒を覚えてからは酒でこんな気分を意図的に作り出せるようになった。良いのか悪いのかは知らない。すぐ寝ちゃうけど。

承認欲求というよりかは自己顕示欲のほうが強い、承認欲求が無いといえば嘘になるかもしれないが。反応はあると嬉しいけれど、いいねとかよりはリプでの反論だとか自分はこう思っただとか、見た人の思考や感情がわかるものだと嬉しい。自分が人間の思考や感情に対して興味があるから。

他人…というか人間って(自分含めて)よくわからない得体の知れないもので、気持ち悪くって、でもだからこそ気になるし知りたい。言語化できている部分ではそれだけ?でこうしてネットをやっているのかも?無意識の部分は知らない。多分これだけじゃない。わかんないけど。

別にX(Twitter)だけでもいいんだけれど、Twitterで長文っていうのは違う気がする。課金しないとだし。この使えるサービスは使おうかなぁってだけ。多分ネットが無い時代に生きていたらノートか何かに書き溜めていただろうな、今もそうだけど。

もしかしたらリアルで会ったことがあったりする人も見ているかもしれない。でもリアルで対面したときに誰であろうと無意識で封印する人格(多重人格とかではなくてペルソナ(某作品ではないです)みたいな話)が書いているから、新鮮味はあるのかな?どうでもいいか。

軽い自己紹介をすると、そのへんの地方国立大で哲学のゼミに入りたてなそのへんの大学生、なんだかんだ流れで中学生から今も部活動で箏弾いてます。ネット上では絵を描いたりXのスペースで喋ったりしています。まあでもどうでもいいか、ネットには要らない情報だし。

最近スランプな話

絵が。何も思い浮かばない。元々精神的な?理由から描いていたというのと、最近メンタル状態や感情の言語化が以前よりできるようになってきたというのとで、絵として吐き出す前にどうにかなってしまう。自分の絵は全体の30%くらいだけど好きだし描く事自体は好きだから描きたいんだけど、描いてもなんか違うなってなってしまう。以前はどうやって描いてたっけ…このまま描き続けても多分自分が納得できる絵は描けないけれど、このまま描き続ける以外は筆を折ることしか選択肢がないから、描き続けるしかないんだけれども。

大学(学部)で哲学を専攻することにしたから、言語化による理解というのをどうしても大事にするしその営み自体哲学なんだろうけれども、本当にこれでいいのかわからない。精神から絵を描くのであれば、言語化という訓練はしないほうが多分良い。言語化できないからと言って描いていたしその頃の絵が好きだから。(今回の画像が丁度その頃です)

元々絵は描く事自体が目的ではないんだけれども、どうにか人間社会を生きていくための息抜きというかガス抜きというか毒を吐く作業だったんだけれども、他で代用可能だし他の方が絵よりも即効性があるし時間もかからずすぐに終わるしで、最近は描く事自体が目的になりつつある。でも考えながら描いたのは何か納得がいかないものばかりで。だったら描かないほうが良いのか?

でもあれだ、無駄に人目について人気にならなくてよかった。期待という枷を負いながら描かなくて済む。活動を続けなければいけないという強迫観念は余計に描けなくなる。描けても良いものではない。あわよくば売れてこれで生活できればとは思っているけれど、社会性が無いゴミがただ働きたくないだけの怠惰な理由でしかない。

言語化ができるのであれば音楽はどうだ?とは思ったけれど、生憎メロディーが思い浮かぶ能が無い。頭に流れるのは既知のメロディーばかり。楽器も今できるのは箏しかないし箏自体は持っていないし(ずっと学校の物を使っていたので)。歌えば?とは思ったけれど吐くだけなら別に一人でカラオケとかで歌っていれば良い。手間を掛けてわざわざネットに晒さなくても良い。

そしたら結局こんな形になった。最初に書いた通り、わざわざこうしてネットの海に流すのは自己顕示欲から。奇跡的に共感や疑問や反論の言葉が貰えるかもしれないというちょっとした期待から。書く場所を変えただけで何も手間ではないし、短文という制約の中今までTwitterでやっていたことを、長文を解禁してここでやっているだけ。

こうやって書いて放流したいことは沢山あるから、深夜テンションだったり酔っ払っていたり気が向いたりしたらまた書くと思う。Twitterに小分けに流したものを、だらだらと長文にするだけのものを書くと思う。

最後に

もしもここまで読んでくれている人がいたら、お疲れ様です。ありがとうございます。自己顕示欲由来のくせに読ませる気のない文章なもので。何かしら反応をしていただければ、次も書こうという気が向きやすいと思います。それでは、またいつか。


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