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バックナンバー 40歳からはじめる論語 八いつ第三 1〜26


はじめに

40歳になっちゃた私がこれまで縁のなかった「論語」にチャレンジしようと一念発起。メルマガで私のチャレンジを公開することにしました。

すでに論語に親しんでいるあなたは、私の見当違いを修正してください。まだ論語を読んだことのないあなたは、一緒に学びましょう。

手元にはこれらの本を用意しています。

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0041 八いつ第三 その1

(「いつ」が機種依存文字のためひらがなにしてます)

こんにちは! 関係ファシリテーター桑原です。

週末のたびに体重が増え

金曜日までに元に戻ります。


知人の名言

「趣味ダイエット、特技リバウンド」

(^^ゞ


では早速、今回の一節に入りましょう!


(ここから)


孔子、

季氏を謂(のたま)わく、

八いつ、

庭(てい)に舞わす、

是れをも忍ぶべくんば、

孰(いず)れをか忍ぶべからざらん。


(ここまで)


八いつ、というのは

「八列」くらいな意味だそうですね。


踊りを披露するときの隊列、かな?

王様なら八列、偉い人なら六列、

そこそこで四列、ペーペーで二列、

みたいなことが岩波に書いてあります。

これ、

誰のことを言っているのかで意味違ってきますよね。

李さんの非礼を王様が我慢するのか、

李さんの非礼を李さん自身が頓着しないのか。

広い心を持つことなのか、

はたまた

厚かましく振る舞うことなのか。


論語って「戒め」なイメージがあるので

前者なのかなぁ。

どう思います?


(クワバラ意訳)


恥を知れ。


(意訳ここまで)

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0042 八いつ第三 その2

(「いつ」が機種依存文字のためひらがなにしてます)

こんにちは! 関係ファシリテーター桑原です。

先日、高尾山に登ってきました。

生まれて初めての高尾山です。

すごく気持ち良かったので

春が来たら再訪しようと思います。


では早速、今回の一節に入りましょう!


(ここから)


三家者、

雍(よう)を以て徹す。

子の曰わく、

相(たす)くるは維(こ)れ辟公(へきこう)、

天子穆穆(ぼくぼく)と。

奚(なん)ぞ三家の堂に取らん。


(ここまで)

見たことない漢字連発です(^^ゞ

漢字のみならず

イマイチわけがわからないので

岩波本の助けを得ます。

冒頭の「三家」というのは

魯の皇室の一族、

孟孫、叔孫、季孫の三家を指すのだそうです。

ついでに「魯」ですが

Wikipediaによると

「王朝としての魯(紀元前1055年 - 紀元前249年)は、

 中国大陸に周代、春秋時代、戦国時代に渡って存在した国」

とのこと。

孔子は

「紀元前551年9月28日‐紀元前479年4月11日」

とありますし(これもWikipedia)

「孔丘は実力主義が横行し身分制秩序が解体されつつあった周末、

 魯国に生まれ」

とのこと(これまたWikipedia)。

雍(よう)というのは

「詩経」の中の一部分で

「頌」のパートがあり

この「頌」は天子が先祖を祭るときなどにうたわれるもので

「周頌」ほか2つのパートで構成されているそうな。

この「天子が」という点が重要なようで、

では天子ってなんなのさ、ですが

平たく言えば「王様」くらいでいいのかな、と。

で、

どうやら魯という国の中で

身分をわきまえず

「やらかしちゃった」

実力者について孔子先生が小言を言っているようです。

(クワバラ意訳)


身の程を知れ。


(意訳ここまで)

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0043 八いつ第三 その3

(「いつ」が機種依存文字のためひらがなにしてます)

こんにちは! 関係ファシリテーター桑原です。

平成25年、今年も宜しくお願い致します。

どんなお正月でしたか?

私は例年になくお餅をたくさん食べました。

雑煮、のり巻き、きなこ餅。


では早速、今回の一節に入りましょう!


(ここから)


子の曰わく、

人にして仁ならずんば、

礼を如何。


人にして仁ならずんば、

楽を如何。

(ここまで)


「仁」

TBSでしたっけ? ドラマ。

JINってのがありますよね。

見たことないんだけど。

あと

仁義なき戦い。

これは何度も見ました(^^ゞ

「仁」

いろいろ調べてみたところ

たとえばwikipediaでは

『主に「他人に対する親愛の情、優しさ」を意味』

とあります。

ちなみに儒教の五徳は

「仁、義、礼、智、信」

だそうです。

これもwikipediaから。

何かをなそうとするとき、

自分だけのためになすのか、

誰かのためになすのか、

によって

プロセスも結果も違ってきそうです。

「人生が180度変わる幸せの法則」

という本にもそのように書いてありました。


人生が180度変わる幸せの法則 [単行本]木下 晴弘 (著)
http://www.amazon.co.jp/dp/4862802672/ref=nosim/?tag=friscomag-22

他人を思いやること。

それって愛なんじゃないかな、と。

(クワバラ意訳)


ALL YOU NEED IS LOVE


(意訳ここまで)

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0044 八いつ第三 その4

(「いつ」が機種依存文字のためひらがなにしてます)

こんにちは! 関係ファシリテーター桑原です。

糖質制限はじめたら

2週間弱で体重4キロ減りました。

そしてまたひとつ年を取りました(^^ゞ

では早速、今回の一節に入りましょう!


(ここから)


林放(りんぽう)、

礼の本(もと)を問う。

子の曰わく、

大なるかな問うこと。

礼は其の奢らんよりは

寧ろ倹せよ。

喪は其の易(おさ)めんよりは

寧ろ戚(いた)め。

(ここまで)

ひとつ前の項で

仁がない礼なんて…ヽ( ´ー)ノ フッ

みたいなことが出てましたよね。

おぼえてますか?(^^ゞ

私の中で「礼」というのは

装いや所作などを指しているような

イメージがあります。

身だしなみとかもそうですね。

相手に失礼がないように

きちんとした格好で出かけよう

といったことに敏感な人と

そうでもない人っていますね。


また、

フォーマル? んなこたぁ関係ねー!

とあえて我が道を行く人もいれば

どうよ、これが正しいフォーマルってものよ( ̄ー ̄)ニヤリ

と、なんだかご自慢な感じの人もいます。


関係ありませんが、

後者(ご自慢さん)ついて伊丹十三は

「田舎者」

と一喝していますね。

なんの話でしたっけ。

そうそう、礼でした。

形は大切。

たしかに大切なんだけど、

形だけの礼は礼と言わない感じでしょうね。

何に対しても、感謝と愛情をもって

接していくことが大切だなと

そんな風に感じました。

忙しいのはいけませんね。


(クワバラ意訳)


ボロは着てても

心の錦

どんな花より

キレイだぜ

(意訳ここまで)


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0045 八いつ第三 その5

(「いつ」が機種依存文字のためひらがなにしてます)

こんにちは! 関係ファシリテーター桑原です。

糖質制限、まだ続いています。

開始時から6キロ減、現在73キロです。

娘からバレンタインのチョコもらいました。

一生懸命自作してくれたそうです。

娘にとっては初めての自作チョコバレンタイン。

父としても初めて娘からもらったバレンタイン。

ありがたいなー、と

糖質制限を一時解除しました(^^ゞ

では早速、今回の一節に入りましょう!


(ここから)


子の曰わく、

夷狄の君あるは、

諸夏の亡きに如かざるなり。

(ここまで)

「諸夏の亡きに」というのは

中国に君主がいない、の意味だそうです。

Webをいろいろ調べてみると、

今回の項の解釈に大きく2つあるようです。


1つは

野蛮な国に君主がいたところで

君主のいない中国の足元にも及ばないよ

もう1つは

野蛮な国にすら君主がいるのに

中国に君主がいないとはなんと嘆かわしい


というもの。

1つめのはいわゆる中華思想ってものだそうです。

私は中華料理が大好き。

関係ありませんね(^^ゞ

中華思想って単純に言えば

「俺が世界の中心だぜ!」

って感じでしょうか。

だからどうした、って感じですが

中心であるという自覚が

世の中全体に対して

よい影響を与える場合と

よくない影響をあたえる場合が

ありますよね。

中心にいるからこそ、

背筋を伸ばして

恥ずかしくないふるまいを、

と期待します。

日本の環境技術、

どの程度受け入れられているのでしょうか?

黄砂や有害物質が飛んでくるのを

ただ迷惑がるだけではなく

自分にも何かできるかもしれないと

辺境に立ちつつ考えたいものです。


(クワバラ意訳)


センターの自覚をもとうぜ。

(意訳ここまで)


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0046 八いつ第三 その6

(「いつ」が機種依存文字のためひらがなにしてます)

こんにちは! 関係ファシリテーター桑原です。


新しい月が始まる幕開け感と

週が終わる終末感と

頭の中がややこしいことになってます(^^ゞ

では早速、今回の一節に入りましょう!


(ここから)


季氏、泰山に旅す。


子、冉有に謂いて曰わく、

女救うこと能わざるか。


対えて曰わく、能わず。


子の曰わく、

嗚呼、

曾ち泰山を林放にも如かずと謂えるか。

(ここまで)

今回のはちょっと手ごわいですね。

いちいち言葉の意味がわかってないと

なんのこっちゃって感じになります。


李さんという人が

自分の身の程もわきまえず

なんかやらかしそうになっている。

お前、それを止められるか、と先生が問うと

止められませんと弟子が答える。

先生はためいきと一緒に

お前の仲間ですら身の程についての考えを持ってるのに

神さまがそれをわかってない言うのだね、と言いました。

いかがでしょう?

大間違いは早めにご指摘くださいね。

身の程、とか、身の丈、という言葉

どんな印象を持っていますか?

TPOという言葉や

空気を読むという言葉にも

何か共通項のようなものを感じます。


自分が、全体の中で

どのような位置にいるのだろうか、

どのような状況にあるのだろうか、

ということを

相対的に認識することが

「身の程を知る」の始まりなのでしょうかね。


それとも、絶対的な何か、

という感じでしょうかね。


あらゆるものが相対的なものであるなら

そこには比較という概念が生まれます。


比べると、差を見つけます。


その差をどう消化するか、

その差をどう活かすか、

そもそも差なんてあるのか、

いろいろなことが思い浮かびます。

(クワバラ意訳)


「正しさ」を遠慮すんな。

「正しさ」をあきらめんな。

(意訳ここまで)


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0047 八いつ第三 その7

(「いつ」が機種依存文字のためひらがなにしてます)

こんにちは! 関係ファシリテーター桑原です。


今年もシーズンに入りました。

何の?

「ねむい」

一年中ねむいって説もありますが(^^ゞ

では早速、今回の一節に入りましょう!


(ここから)


子の曰わく、

君子は争う所なし。

必ずや射か。

揖譲して升り下り、

而して飲ましむ。

其の争いは君子なり。

(ここまで)


ラグビーの

「ノーサイド」

を連想しました。


アメリカ人は

激しい議論を戦わせるが

議論が終わってしまえば

にこやかに乾杯する、

みたいな話も連想しました。


自分の価値を高めたいからなのか

やたら他人や環境を悪く言う人、

ふと頭をよぎります。


何かにつけ

「敵」が現れると

ものすごくイキイキしちゃう

喧嘩上等な光景もイメージします。


争う、って何なんでしょうね?


強さを証明するための手段でしょうか。

ってことは

争う人の自意識って

「自分は弱い」

といったところでしょうか。


争って何かいいことはありますか?

どんないいことがあるでしょう。

持っている力を発揮しやすくなる?


いわゆるモチベーションが高まる?

それって争わなければ手に入らないものでしょうか。


(クワバラ意訳)

思い浮かべよう、

争う必要のない人

争う必要のない世の中


(意訳ここまで)


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0048 八いつ第三 その8

(「いつ」が機種依存文字のためひらがなにしてます)

こんにちは! 関係ファシリテーター桑原です。

新入社員研修シーズンが終わって

ちょっと気が抜けた感じです。


連休返上で仕事頑張ります!

(ごめんね家族)

では早速、今回の一節に入りましょう!


(ここから)


子夏問うて曰わく、

巧笑倩(こうしょうせん)たり、

美目はん(「目」へんに「分」)たり、

素以て絢(あや)を為すとは、

何の謂いぞや。

子の曰わく、

絵の事は素を後(のち)にす。

曰わく、礼は後か。

子の曰わく、

予(わ)れを起こす者は商なり。

始めて与(とも)に詩を言うべきのみ。

(ここまで)


小学校4年生の頃。

担任は吉本先生という

若い女性教諭。

長い黒髪、ボブスタイル。

先生が私に言いました。

ダイヤもね、磨かなければ光らないのよ。

私は先生が何を言っているのか

さっぱりわかりませんでした。

小学校の頃の私は

大げさに言うと「神童」。

控えめに言うと「デキる子」。


勉強など一切しなくても

テストはことごとく100点。

黒板をパッと見たら全部覚えちゃう。


それについて特に何も感じていませんでした。

よほど勉強する姿勢が見られなかったのでしょうね。


今思えば、

ダイヤもね、磨かなければ光らないのよ。


と言う前に

あなたはダイヤよ。

しかも規格外のとてつもないダイヤ。

と言ってもらえてたら

気がつくこともあったかな。


いや、なかったでしょうね。


吉本先生元気かな。

今日の意訳は素直な感じで。


(クワバラ意訳)

「美人ってメイクなしでもイケてるよね」

「美人がメイクするとさらにイケちゃうんじゃない?」

「中身がちゃんとした人間が学べばすごいのと同じだね」

「お前、なかなか冴えてるねぇ」


(意訳ここまで)

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0049 八いつ第三 その9

(「いつ」が機種依存文字のためひらがなにしてます)

こんにちは! 関係ファシリテーター桑原です。

スーパー糖質制限第2弾開始しました!

では早速、今回の一節に入りましょう!


(ここから)


子の曰わく、

夏の礼は吾れ能くこれを言えども、

杞は徴とするに足らざるなり。

殷の礼は吾れ能くこれを言えども、

宋は徴とするに足らざるなり。

文献、足らざるが故なり。

足らば則ち吾れ能くこれを徴とせん。


(ここまで)


なんでしょう、これ。

昔は良かったのに、な感じでしょうか?

孔子先生なので

もっと複雑なことを言っていると思えるのですが

実のところどうなのでしょう?

あるいは、

代々受け継がれるべき大切なものが

今となっては疎かになっていると

嘆いているのでしょうか。

ネットでいろいろ見てみると

孔子先生の教えを裏付ける

証拠が残ってないのが残念だ

とかありますが

私にはどうもしっくりきません。

孔子先生自身が

あらゆる証拠よりも優れた存在である

そんな気がしています。

買いかぶりすぎでしょうか(^^ゞ


(クワバラ意訳)


広商野球だ、カープ野球だとよく言うが

今の広商やカープを見てごらん。

ただの妄想かもしれないよ。


(意訳ここまで)


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0050 八いつ第三 その10

(「いつ」が機種依存文字のためひらがなにしてます)

こんにちは! 関係ファシリテーター桑原です。

ついに50号です!

これからも亀の歩みで参ります。

宜しくお願い致します。

暑がりの私にはツライ気温になってきました。

バテないように気をつけます。

では早速、今回の一節に入りましょう!


(ここから)


子の曰わく、

テイ、既に灌してより往は、

吾れこれを観ることを欲せず。


(ここまで)


テイというのは祭事、

しかも結構大きな祭事のようです。

論語にはよく祭事が登場しますね。

読みながら、

祭事は大切なものなんだから

手順だの段取りだの疎かにせず

しっかりやりなさい、的なイメージと

祭事は大切だけど、

見てくれや動きよりもその中にある目的を

見失ってはいけないよ、的なイメージと

大きく分けて2つの印象を持っています。

その人の人となりは見た目でわかる

とか

人は見かけによらぬ

とか

言われますよね。

本当のところどうなんでしょうか。

私は、

人間の表面は、内面の一番外側

という表現が好きです。

表面に気を配ることが内面を豊かにし

内面を充実させることが表面を磨く

そんな感じじゃないかなと

今、あらためて思いました。

(クワバラ意訳)


心込めてるか知らないが

そんな風に見えないから帰るわ。


(意訳ここまで)


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0051 八いつ第三 その11

(「いつ」が機種依存文字のためひらがなにしてます)

こんにちは! 関係ファシリテーター桑原です。


東京は好天が続きます。

おでこが日焼けでヒリヒリしてます。


では早速、今回の一節に入りましょう!


(ここから)


或るひとテイの説を問う。

子の曰わく、

知らざるなり。

其の説を知る者の天下に於けるや、

其れ諸れを斯に示るが如きかと。

其の掌を指す。


(ここまで)


論語って、

ときどきびっくりするぐらい

シンプルな一節ってありますよね。

ひねってるの?

ひねってないの?

裏を読め?

そのまんま?

今回のもそうです。

そのまんまでいいのでしょうか?

安岡正篤の本などには

「論語読みの論語知らず」

といったくだりで

読み手の浅い解釈を戒めていたりします。


読めば読むほど

まだまだ勉強が足りないという感じです。

論語を読むだけでなく、

現実社会を見つめるまなざしも

磨いていかねばなりませんね。

(クワバラ意訳)


見てわからんもんは

聞いてもわからん

(意訳ここまで)

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0052 八いつ第三 その12

(「いつ」が機種依存文字のためひらがなにしてます)

こんにちは! 関係ファシリテーター桑原です。


東京はようやく梅雨らしくなってきました。

台風の行方も心配ですね。


では早速、今回の一節に入りましょう!


(ここから)


祭ること在すが如くし、

神を祭ること神在すが如くす。

子の曰わく、

吾れ祭に与らざれば、

祭らざるが如し。


(ここまで)


お祭りって

よくよく考えたら

妙なものです。


収穫を祝う秋のお祭り。

感謝したり大騒ぎしたりするのは

人間。


神様に感謝を伝えたり

未来の豊作をお願いしたりする

その相手は

神様。


神様に会ったことがある

という人間は、

たぶんいない。


会ったことない

いるかいないかもわかんない存在に

感謝したりお願いしたり。


ご先祖様は

おそらくこの世に生きていたでしょう。

私の祖母も一昨年まで生きてました。

なぜ私は

先祖に手を合わせるのでしょう?


あるいは


目の前にいる人に

手を合わせないのはなぜだろう?


(クワバラ意訳)

ご先祖様も

神様も、

私やあなたの中に住んでいる

(意訳ここまで)


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0053 八いつ第三 その13

(「いつ」が機種依存文字のためひらがなにしてます)

こんにちは! 関係ファシリテーター桑原です。

8月です。早すぎます。

毎月同じ事を言ってる気がします(^^ゞ

では早速、今回の一節に入りましょう!


(ここから)


王孫賈問うて曰わく、

其の奧に媚びんよりは、

寧ろ竈に媚びよとは、

何の謂いぞや。

子の曰わく、

然らず。

罪を天に獲れば、

祷る所なきなり。


(ここまで)


冒頭の「王孫賈」というのは

なかなかの実力者だそうです。

国の王様(と言っていいの? 主君のこと)

より俺のところに挨拶に来たほうが

いいことあるよベイビー、

ってなあてこすりを孔子先生に

聞こえるように言ったわけです。


「とりあえず俺を通せよ」

という人、身の周りにいるかもしれませんね。

あれはなんなんでしょう?

寂しいのかな?


少し考えてみましたが

私の周りにはいないようです。

空想上の人物ってところです。

権力って、なんかヤだな。

(クワバラ意訳)

手を合わせる相手を間違えんなよ。

(意訳ここまで)


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0054 八いつ第三 その14

(「いつ」が機種依存文字のためひらがなにしてます)

こんにちは! 関係ファシリテーター桑原です。

やっぱり大阪のうどんはおいしいですね!

さぬきうどんも大好きですが、

大阪のやわらっこいうどんが大好きです。


(ここから)

子の曰わく、

周は二代に監みて

郁郁乎として文なるかな。

吾は周に従わん。

(ここまで)


周という国は

文化的(ムダを愛する)な夏王朝

実用的(ムダのない)な殷王朝

という対称的な2つの王朝から

それぞれいいとこどりしたような

感じだったようですね。


人間にも

理屈っぽい人や

芸術家っぽい人や

あるいは

理系や

文系や

そういった対比で

語られる場面があります。


どちらかに偏ることなく

双方の極性を響かせて

豊かな人間でありたいな、と

そんな風に思いました。


(クワバラ意訳)

両極端を我がものとしたいね。

(意訳ここまで)


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0055 八いつ第三 その15

(「いつ」が機種依存文字のためひらがなにしてます)

こんにちは! 関係ファシリテーター桑原です。

東京は一気に秋めいてきました。

食欲とうまく付き合わねばなりません(^^ゞ

(ここから)


子、大廟に入りて、事ごとに問う。


或るひとの曰わく、

孰かスウ人の子を礼を知ると謂うや、

大廟に入りて、事ごとに問う。


子これを聞きて曰わく、

是れ礼なり。


(ここまで)


なんかややこしい。

ややこしくありません?

私だけ?

現代語訳や解説を読んで

ようやくイメージできました。

原文を読みこなせる日は

どうでしょう、

私にはやって来ないかもしれませんね(^^ゞ

さて、

本文中の

「スウ人の子」というのは

孔子のことだそうです。

役人としてイベントを取り仕切る孔子が

事あるごと、いろいろな人に

教えを請うているのを見て

「あれが礼を知ると言われた奴か」

(とてもそうは見えない)

と小馬鹿にしたのだそうです。

孔子は

「いろいろ教わることこそ礼なのだよ」

というか

「私が礼です」

くらいなことを言ったとか言わなかったとか。

知ったかぶりをしない。

目の前の人を大切にする。

思い起こすのは

松下幸之助と吉田松陰。

衆知を集める。

罪人からも教えを請う。

共通するのは

人間本来の力を引き出していること。

礼というものに対するイメージが、

(ほんの少し)カラフルになりました。

(クワバラ意訳)

何も知らないようにふるまえるのは

自分はまだまだだと知っているから。


(意訳ここまで)


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0056 八いつ第三 その16

(「いつ」が機種依存文字のためひらがなにしてます)

こんにちは! 関係ファシリテーター桑原です。

このメルマガ、ひと足お先に56号です(^^ゞ

(ここから)


子の曰わく、

射は皮を主とせず。

力の科を同じくせざるが為なり。

古えの道なり。


(ここまで)


射、とは弓道を指すようですね。

皮、は皮でできた的。

的に当たったかどうかよりも

矢を射るときの態度や姿勢

心構えが大切だよ、と。

技量力量は

もって生まれたものがある。

それに対して

態度や姿勢、心構えは

身に付けることができる。


そのようなニュアンスも伝わってきます。


ないものねだりをせず

持っているもので

自分を磨きなさいといったイメージ。


なのかな?

(クワバラ意訳)

習慣は才能をしのぐ。


(意訳ここまで)


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0057 八いつ第三 その17

(「いつ」が機種依存文字のためひらがなにしてます)

こんにちは! 関係ファシリテーター桑原です。

論語に加えて、

老子・荘子

易経

陽明学

などにも触れる機会を増やしました。


おとしごろなのでしょうか?(^^ゞ

では、今回もいってみよう!

(ここから)


子貢、

告朔の餽*羊(きよう)を去らんと欲す。

子の曰わく、

賜や、女は其の羊を愛む、

我れは其の礼を愛む。


(ここまで)


儀式を廃止することを言っているようです。

本来は毎月1日に羊をいけにえとするところ

それを廃止してしまうことに対して

孔子先生は

羊より礼が(軽んじられることが)もったいない

とおっしゃったそうです。

経営者の集まりなどで

開会時に宣誓したり

みんなで歌を唱和したり

鐘を鳴らしたり

そういった儀式に出くわすことが

まま、あります。

そういったものに慣れてない人は

なんだか宗教チックな感じね、

と違和感や嫌悪感を持つようです。

宗教がどうのこうのという話はさて置き、

なぜその儀式が存在しているのか、

行っている本人たちが

すべてよくわかっているとは限りません。

その意味や目的をわからない儀式は

やがて形骸化し、本当に無意味となるのでしょう。

儀式と言わずとも、

毎日のちょっとした習慣を思い出して下さい。

はじめは何か意味があったのかもしれません。

人生を意味あるものにするため、

充実したものとするために、

その本来の意味を探る時間を持ちたいものです。

(クワバラ意訳)


やめりゃいいってもんじゃない。


(意訳ここまで)


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0058 八いつ第三 その18

(「いつ」が機種依存文字のためひらがなにしてます)

こんにちは! 桑原です。

新しい肩書き考え中です!


では、今回もいってみよう!

(ここから)


子の曰わく、

君に事うるに礼を尽くせば、

人以て諂えりと為す。


(ここまで)

きまりごと、ルール、

いろいろありますね。


大切だと思うから

きまりごとにしたがう。


「いい子ぶってんじゃねぇ」

と陰口が聞こえてくる。


ルール、あるいはマナーを重んじる。


上役や上司に対する姿だけをつかまえて

「この、ご機嫌取りが!」

と嘲笑する。


嘲笑される人の多くは

部下や同僚に対しても

マナーを大切にしている。

相手を大切に扱う。

相手が大切にするものを大切に扱う。

心の貧しい人間にはわからない。

わからないことがたくさんある。


(クワバラ意訳)


言わせておきなさい。


(意訳ここまで)


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0059 八いつ第三 その19

(「いつ」が機種依存文字のためひらがなにしてます)

こんにちは! 桑原です。

新しい肩書き、まだ決まりません(^^ゞ

何かいいのありませんかねぇ。


では、今回もいってみよう!

(ここから)


定公問う、

君、臣を使い、

臣、君に事うること、

これを如何。

孔子対えて曰わく、

君、臣を使うに礼を以てし、

臣、君に事うるに忠を以てす。

(ここまで)

封建制と同じにするのは強引なようですが

会社の中にある

社長と従業員の関係や

上司と部下の関係に

大きなヒントとなりそうですね。


組織は三角形を使って

表現されることが多いです。

ピラミッド型組織とか言いますよね。

で、上下の関係。

上の人が偉い。

下の人は偉くない?


本来は上も下もなく、

みんな偉いのです。

私は、

上下で表される三角形を

ペタンと倒して

前後の関係で表すのが好きです。

(伝わるかな?)


ペタンと倒すと

「頂上」にいた社長は

「先頭」になります。


自分たちの進むべき方向を

決断する役割。


後ろには、

進むべき方向に進んでいくための

推進力を担う人達。


背後を振り返って

ありがたいな〜、って

思えるんじゃないでしょうか。


見下すのとは大違いです。


(クワバラ意訳)


丁寧に頼み、

誠実に応える。


(意訳ここまで)


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0060 八いつ第三 その20

(「いつ」が機種依存文字のためひらがなにしてます)

こんにちは! 桑原です。

ついに、というか、ようやく

60号となりました。

どうぞ末永く宜しくお願い致します。


では、今回もいってみよう!

(ここから)


子の曰わく、

關雎楽しみて淫せず、

哀しみて傷らず。

(ここまで)


時々、

孔子先生が何を言いたいのか

さっぱりわからないことがあります。

今回もそう。


参考書として使っている

中公クラシックスとか開いてみると

「詩経」について触れられており

ああ、詩経にまで手が届くのは

一体いつのことだろう、

と気が遠くなります(^^ゞ


とは言え、参考書のお陰で

「關雎」というのが

詩経の篇名であり、

孔子の時代には

詩経は管弦にのせて唄われた

ということがわかったので

ひとまずよしとします。

今度ストーンズが来日します。

観に行きます。

ストーンズの音楽はシンプルです。

骨格だけでできあがってる感じがします。

80年代あたりから装飾的な音が

いくぶん多めに散りばめられている感も

ありますが、基本シンプル。

シンプルだからかっこいいのかな。

色褪せないものがそこにあります。

3月のドーム公演、楽しみです。

(クワバラ意訳)

ほどほどでも

優れたものは伝わる。


(意訳ここまで)


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0061 八いつ第三 その21

(「いつ」が機種依存文字のためひらがなにしてます)

こんにちは!

小さな会社のかかりつけ 桑原和弘です。

(新キャッチ実験中(^^ゞ)

また雪かもしれませんね。

ついついワクワクしちゃう不謹慎を

お許し下さいm(__)m

では、今回もいってみよう!

(ここから)


哀公、社を宰我に問う。

宰我、対えて曰わく、

夏后氏は松を以てし、

殷人は柏を以てし、

周人は栗を以てす。

曰わく、民をして戦栗せしむるなり。

子これを聞きて曰わく、

成事は説かず、

遂事は諌めず、

既往は咎めず。

(ここまで)

長い!(^^ゞ

しかも何のことだか

さっぱりわからない!


そんな時には

中公クラシックスが頼りになります。


どうも宰我という人が

哀公という人に

クーデターをそそのかしている場面らしい。


居合わせた孔子先生、

昔の出来事をとやかく言うな、と

たしなめている感じでしょうか。


過去に起こった出来事に

いろいろな意味付けや解釈を加えて

世の中の心を乱す人達がいます。


良い方向に乱す者あれば

その逆もしかり。


私がこの項から連想したのは「史観」。

いわゆる自虐史観とその揺り戻しが

特にネット上では活況を呈しています。


来年は昭和天皇による終戦の詔書が

ラジオ放送されてから70年になります。


節目ということも手伝っているのか、

私を含めた日本人全体が

熱を帯びつつあるように感じています。


「戦後レジームからの脱却」

というスローガンについて、

孔子先生、なんて言うでしょうか。


あ、余談ですが、

もう一つ連想したのが「肉」。

鶏を「かしわ」

猪を「ぼたん」

馬を「さくら」

って言うじゃないですか(^^ゞ

(クワバラ意訳)

「あれってどういう意味だったんだろう?」


「済んだことをとやかく言うな」

(意訳ここまで)


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0062 八いつ第三 その22

(「いつ」が機種依存文字のためひらがなにしてます)

こんにちは!

小さな会社のかかりつけ 桑原和弘です。

(引き続き新キャッチ実験中(^^ゞ)

クラプトンにストーンズ

ワクワクします。

では、今回もいってみよう!

(ここから)


子の曰わく、

管仲の器は小なるかな。

或るひとの曰わく、

管仲は倹なるか、

曰わく、

管氏に三帰あり、

官の事は摂ねず、

焉んぞ倹なるを得ん。

然らば則ち管仲は礼を知るか。

曰わく、

邦君、樹して門を塞ぐ、

管氏も亦た樹して門を塞ぐ。

邦君、両君の好を為すに反沾あり、

管氏も亦た反沾あり。

管氏にして礼を知らば、

孰か礼を知らざらん。


(ここまで)

管仲さんというのは

孔子先生よりも昔に活躍した

大政治家だそうです。

孔子先生の時代にも

その名が轟いているほどの

功績を残したとのこと。

孔子先生、その大政治家を指して

「大したことない」

と言っておられるようです。


なんでも管仲さんは

殿様でもないのに

殿様のような振舞いをしたのだとか。


当時は身分によって

やっていいことと

やってはいけないことが

ハッキリ決められていたようです。


決められたことを

決められたとおりに実行するのが

「礼」の実体のようです。


今では時代劇くらいでしか

聞かれなくなった

無礼者!

という叱責。

復権の日はあるのでしょうか。


(クワバラ意訳)

身の程を知らぬものなど

言うに及ばん。

(意訳ここまで)


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0063 八いつ第三 その23

(「いつ」が機種依存文字のためひらがなにしてます)

こんにちは!

桑原です。

「嫌われる勇気」という本

なかなかおもしろかったです。


(ここから)


子、魯の大師に楽を語りて曰わく、

楽は其れ知るべきのみ、

始めて作すに翕如たり。

これを従ちて純如たり、

徼如たり、

繹如たり、

以て成る。


(ここまで)


楽というのは音楽を指すようですが

当時は音楽と儀礼、すなわち政治とか

密接な関係にあったらしいですね。

孔子先生が音楽のことを語っています。

音楽のことを語りながら

政治や国のあり方について

語っているようにも思えます。

イメージとしてはオーケストラでしょうか。

私はずっとロックバンドをやってましたが

思い通りの音が生まれたときの気持ちよさは

なかなか味わうことのできない

貴重な貴重なしあわせでした。


思い通りの音、というのを

言葉で表すなら、

うーん、難しいですが、

必要な物がすべてあって

不要なものはひとつもない、

といったところでしょうかね。

難しいです。


個人の生き方でもそうですし

組織のあり方にも通じるように思えます。


世界は完全であり、シンプルである。

そんなことを連想しました。


(クワバラ意訳)

物事には順序があるし

順序に従った調和がある。

ハーモニーだよ。

(意訳ここまで)


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0064 八いつ第三 その24

(「いつ」が機種依存文字のためひらがなにしてます)

こんにちは!

桑原です。

もはや初夏です、東京。


(ここから)

儀の封人、

見(まみ)えんことを請う。

曰わく、君子の斯に至るや、

吾れ未だ嘗て見ることを得ずんばあらざるなり。


従者これを見えしむ。

出でて曰わく、二三子、

何ぞ喪することを患えんや。

天下の道なきや久し。

天、将に夫子を以て木鐸と為さんとす。

(ここまで)


孔子先生はいろんな国を

渡り歩いていたようです。

「亡命」というものがよくわかりませんが、

決して順風満帆ではなかったことは、というか

生き延びるのも大変だったんだろうな、と

なんとなく想像できます。

偉い先生なのに、

いや、偉い先生だから

ややこしいことがたくさん起きるのかもしれません。

冒頭登場する

「儀の封人」というのは

国境警備隊みたいなもののようです。

警備隊員が、偉い先生を一目見て

「この人は天に必要とされている」

とか言っちゃうのってどうなの?

とも思います。

それともものすごい人物が

警備隊を務めていたのでしょうか。

今回はいまいち腑に落ちませんね(^^ゞ

(クワバラ意訳)

大丈夫、

やがて世界の方が彼に追いつく。

(意訳ここまで)


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0065 八いつ第三 その25

(「いつ」が機種依存文字のためひらがなにしてます)

こんにちは!

桑原です。

統率力ってなんだ! って毎日です。


(ここから)

子、

韶を謂わく,

美を尽くせり、

又た善を尽せり。

武を謂わく、

美を尽せり、

未だ善を尽くさず。


(ここまで)


韶は古代の聖人である舜帝の作った曲、

武は周の開祖武王の作った曲、

だそうです。

ついでに「舜帝」は

舜(しゅん)は中国神話に登場する君主。五帝の一人。
姓は姚(よう)、名は重華(ちょうか)、虞氏(ぐし)と称した。
儒家により神聖視され、堯(ぎょう)と並んで堯舜と呼ばれて聖人と崇められた。
(Wikipediaより)

とあります。

孔子先生は

周という国の成り立ちに

なにか邪なものを見ているようです。

それを

「善を尽くさず」

と言っています。


武力を持って他を滅ぼし

新しい国を作るというのは

孔子先生の時代には

さほど忌み嫌うことのようにも思えません。


何かしらよろしくないことがあったのでしょうかね。


こういうところに興味を持つと

中国古典の世界がさらにおもしろくなりそうです。

さておき、

まずは三国志を読もうと

年始に決意しましたが

未だ本を入手すらしていません。


三国志ファンの方いらっしゃいましたら

おすすめの本、教えていただけると幸いです。


話は戻って、

真善美のうち

善と美が登場していますね。


真と善と美は並列の関係にあるのか、

善と美が備わってこそ真であるというような

上下構造と考えるのか、

孔子先生、どこかで真について

話していたと思いましたが

さて、どこだったかな(^^ゞ

勉強に終わりはありませんね。

(クワバラ意訳)


たしかに美しい、

が、ただ美しいだけではないか、

なんともったいない。

(意訳ここまで)


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0066 八いつ第三 その26

(「いつ」が機種依存文字のためひらがなにしてます)

こんにちは!

桑原です。

統率力ってなんだ! って毎日です。


(ここから)

子曰わく、

上に居て寛ならず、

礼を為して敬せず、

喪に臨みて哀しまずんば、

吾れ何を以てかこれを観んや。


(ここまで)

心がこもっているとは思えない

「ありがとうございま〜す」

に出くわすことがあります。

私の入店を知らせる電子音に反応しただけの

「いらっしゃいませ〜」

とかも。

と言いながら、

どこで出くわしたっけ? と

思い出そうとすると

実は思い出せない。

ちなみにうちの事務所近くの

ファミリーマートは

すごく気持ちの良い挨拶が飛び交っています。

セブンイレブンもだな。

全国的にどこでもそうなのかも。

さておき、

自分の行動、ちょっとした行為に

心がこもっているか自問すれば

正直言ってこもってないような気がしています。

今こうしてメルマガの原稿を

Macのキーボードを叩きながら

心をこめているか。

こめているつもりですが、

よくわかりません。

心のこめ方、

あなたはどんな風にこめてますか?


(クワバラ意訳)

心がこもってないんじゃ

心に届かないよね。

(意訳ここまで)


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世界のゴキゲンが増えるといいなって考えたりしゃべったり書いたりしてます。ありがとうございます。