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海がこぼれる

姉の家から、湘南の海まで歩いて15分だ。
家を出て2、3分もしないうちに、もうサーフボードを持った若者たちに出くわしたり、5分も歩けばコンビ二の前で腹ごしらえをしている姿を見かけ、一年中若者で混んでいた。

姉にはもうすぐ二番目の子供が生まれる予定で、今日が健診日、ちょうど夏休み中でごろごろしていたわたしに、長男剛を頼む、と電話がかかってきた。剛は6歳、幼稚園の年長「そらぐみ」で、最近の彼の自慢は、「もう、そらさんになったんだよ、それでお兄ちゃんになるんだ」ということだった。

その日は朝から雨だったが、運よく午後から上がり、人出の少ない海岸を散歩することができた。午前中に掃除がすんでいたらしく、波うち際には小石と貝殻がところどころに残っている程度で、流木もカップラーメンの容器も野菜くずもなかった。浜鳥や鳩が、あさるものがないからか、テトラポットの上で羽づくろいをしている。

手をつないで歩きながら、剛はご機嫌でなにか歌っている。
「ら~らら~らぁらら~ら、らぁらら~~~」
聞いたことがあるメロディだ。
「ぶどうのたに~~~~~」最後のサビで、やっと思い当った。
合唱部だった姉のお気に入りの歌、「流浪の民」だ。
「それなんの歌?」わざと聞いてみる。

「ああ、おかあまがいつも歌ってるぶどうの歌」
剛は、母親のことを、「おかあま」と呼ぶ。姉は「おかあさま」と呼ばせたかったのだが、うまくいかなかったらしい。わたしのことは、姉が呼んでいるのと同じ、ちーちゃん、だ。

剛は潮の引いた浜でくたくたになるまで穴を掘っていたが、急に背を伸ばして言った。

「人魚姫ってかわいそうだね、王子様と結婚できなかったもん」
「そうね、でも、剛くんに思い出してもらって、人魚姫、きっと嬉しいと思ってるよ」
「人魚姫がね、海の底に沈んだとき、虹色のあぶくが、ぷわーん、ぷわーんって空に上がって行ったんだよ」

アンデルセンの人魚姫にそんな場面あったかな、と次の言葉を待っていた。砂のついたちいさなシャベルを振り回しながら、ぷわーん、ぷわーん、とパフォーマンスをしている。最近見に行ったという、人形劇の舞台を思い出して演じているのだろう。砂が目に入るなんて気にもしていない。

「人魚姫のなかでどこが楽しかった?」
「わかんない」

もう少しまともな答えを期待していたのに、かわされてしまった。

大小さまざまな穴は、剛の奮闘の結果、30個近くにもなった。その穴に足を入れては次に移りと、ケン、ケン、パ、をやっている。

江の島の灯台が少し霞み、水平線がはっきりしなくなったので、帰り支度をし、砂浜を歩き始めた。30個近くの穴を名残惜し気に、ふり返りふり返りしていた剛が

「ちーちゃん、海がこぼれるよぉっ・・・」と叫んだ。

今まで遊んでいたところまで、大きな波が寄せてきていた。


詩人だった剛はいま、建築会社に勤め、わたしを「叔母さま」と呼ぶようになった。

                おわり




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