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ヘルパー日記4

 Kさんは、ドヤ街に住んでいた。ドヤ街と聞くと、古めかしいアパートがごみごみと建っている場所を連想するかもしれないが、今はこぎれいなマンションが立ち並んでいる場所、という方があたっている。住民は、ほとんどが一人暮らしの高齢男性で生活保護を受けていた。介護保険、医療保険も自己負担無し、デイサービス併用のヘルパー事業所も多く、あるこだわりさえ捨てれば住みやすい場所でさえある。

 しかし建物の中に入ってみると、少し趣が違う。入口に帳場さんと呼ばれる管理人の部屋があり、ここに一声かけてから各部屋を訪問する。部屋は4畳程度なため、ベッドと物入でいっぱいになる。古い建物なら和室の6畳などというところも残ってはいるが、老朽化して建て替えが進んでいる。一階に10分100円のシャワールームや、コインランドリーのような洗濯部屋があり、住民やヘルパーはここを利用していた。

 Kさんは、最初和室3畳の部屋に住んでいた。万年床に寝そべり備え付けのテレビを見る。それに飽きると車椅子に乗り近所のコンビニ巡りをし、缶酎ハイを買い、飲みながらまた車いすをこぐ、という毎日だった。足の血管の病気で、右足の膝から下がなかったためだ。和室であると立ち上がりがたいへんで、建物もだいぶ古かったため、近所にできたばかりの新しいドヤに引っ越しが決まった。

 こんなとき頼りになるのは、地元のヘルパー事業所で、帳場さんとも付き合いがあるため、情報を教えてくれる。市役所の生活保護担当のソーシャルワーカーは、100人以上担当しているそうで、めったに訪問してくれない人もいるから、やっぱり地元情報が頼りになる。(反対に自分で車いすを押して病院に連れていく、という熱心な人もいるが、いろいろである)新築情報を聞いたらすぐ申し込んで、引っ越しの日はこれも地元の引っ越し屋さんに頼む。荷物はそんなにないため、時間はかからないが、ものを取り払ったあとの部屋の掃除、片付けが手間だ。ゴ〇〇〇がうようよの部屋もある。新館はテレビはあるが、冷蔵庫はないので、近くのリサイクルショップで探して取っておいてもらう。(ほぼ一万円程度で買えるが、高い!と文句を言う人もいた)などで、無事Kさんの引っ越しは終わった。

 Kさんは、地元事業所のヘルパーさんに、掃除、洗濯を頼んでいたので、遠い事業所から通っていた私の役目は通院付き添いだった。しかし、これが難題。自由人Kさんは、通院の日にち、時間をすぐ忘れてしまうからだ。
迎えに行っても留守。仕方なく、近所のコンビニを探し回る。運よく青いチェックの車いすを見つけたら「さあ、行きましょう!」とさっと車いすを押して病院まで連れていく。まるでかどわかしだ。お医者さんもよくわかっていて、「ヘルパーさん、良く見つけたねぇ」と褒められたこともあった。

 しかし、それよりも難題はアルコール中毒症だった。飲む量を減らすよう注意するとにっこり笑って「うん、わかった」と言うけれど、くっついているわけにはいかないから、一人になるとすぐ買いに行く。コンビニやら自動販売機やら、さあ買ってください、とばかり誘惑は多い。一日500ミリリットルの缶酎ハイを10本は飲む。デイサービスに週2回行くことにはなっていたが、デイサービスの職員が迎えに行っても留守。やっと探し出して連れていくと、酔っているので気が大きくなって喧嘩。ついにデイサービスから断られてしまった。

 お酒が絶てるからと、2週間ほどショートステイに行ったことがあったが、そこでも、車いす同士でぶつかり、相手を殴った、と帰されてきた。穏やかで普段はにこにこしているのに、かっとなる性格なのだ。
 「デイサービス止めたから、お風呂に入れなくなって困ったねぇ。他のところ探してもらうよう、ケアマネさんに頼もうか?」と言ってみたら「ああ、風呂なら入ってるよ。川崎に彼女いるからさあ、一緒に入ったよ」の返事。よく聞いてみたら、風俗に行ったらしい。「電車よく乗れたね」と言えば、「駅員さん親切だからね」とケロリ。
 
 3年担当したが、ついには飲みすぎで胃をやられ、ほとんど食べられなくなった。それでも酎ハイだけはやめず「車いす隠そうか」と地元ヘルパーから乱暴な意見も出たが、「夜中に這ってでも買いに行くよ、きっと」ということになり、それも実現しないうち、ついに入院になってしまった。その後、救護施設に入った、と聞いたが回復したのだろうか。Kさんの無邪気ともいえる笑顔が今でも目に浮かぶ。

 生活保護法第38条で次のように規定されています。「 救護施設は、身体上又は精神上著しい障害があるために日常生活を営むことが困難な要保護者を入所させて、生活扶助を行うことを目的とする施設とする。」

          ヘルパー日記4おわり


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