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梅の花#シロクマ文芸部

梅の花を見ると叔母を思い出す。梅の花が大好きで、梅模様の着物を何枚も持っていたから。叔母は、母の一番下の妹でしばらく実家に同居していたこともあり、わたしには年の離れた姉のような存在だった。母にいわせると、ちょっと変わった妹で、5歳くらいのころ、夜中に庭を散歩したい、と言い出し外に出て行ってしまった。あとを追うと、実家には広い庭があり松やサツキの木々が植えられていたのだが、それらの木の枝に妖精が止まっている、と見あげながら歩き回っていた、のだそうだ。

わたしが女子大に入学して上京したころ、叔母も結婚して世田谷に住んでいたので、よく会いに行った。初めて銀座や上野の動物園に連れて行ってくれたのも叔母だった。18歳の私の手を眺めて
「今が一番美しい手のときね」と言い、白いレースの手袋を買ってくれた。
「よく似合うわ」と。
けれども、レースの手袋をはめる機会など全くなく、知らぬ間に黄ばんで捨ててしまったのだが。

叔母は一流好みで、わたしに銀座の三越で洋服を買ってくれ、
「都会のお嬢さんね」
と、目を細めた。子供がいなかった叔母は娘のように思ってくれていたのだ。

静岡の田舎娘から都会のお嬢さんに変身した私は、梅の模様の着物を着た姉と帝劇や宝塚に出かけた。叔母が宝塚ファンクラブに入っていたので、いい席の切符が手に入り、私達はエプロンステージの真ん前でスターたちが歌い踊るのをウットリと眺めた。

大の甘党でもあった叔母は血糖値が高いと診断されていたのに、チョコレートケーキに甘いカルピスを添えて
「どうぞ召し上がれ」と勧めてくれた。
甘いケーキにはコーヒーかお茶がいいのに、とちょっとうんざりしたものだ。

叔母が倒れたという知らせがあったのは、わたしが就職してなかなか会えなくなったころだった。意識が混濁したまま病院のベッドに横たわる叔母に
なんとか分かってほしくて
「菫の花咲くころ・・・」
と歌うとゆっくり視線を私の方に向けたが、私を認識することもなく半年間の入院の末息を引き取った。

葬儀の日は2月の末で、梅はもう咲き終わるころ、葬儀場の庭の白梅は半分以上紅色のしべだけを残していた。地面に点々と舞い落ちた白くて丸い花びらは、涙の痕のよう・・・見つめていると、上品でおっとりしたあの叔母の声が聞こえたように思った。
「チズさん、さようなら」

               おわり


小牧さんの企画に参加させてください。
小牧さんお世話をおかけしますがよろしくお願いいたします。


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