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今朝の月

 今朝の月は満月と半月のちょうど間くらい、欠けた右側がぼんやりと空に溶けていた。早く目覚めてしまいカーテンを開けると、待っていたよというようにふっと浮かんでいたのだ。そして10年も前、当地に移り住んだ友人に誘われ、南会津の山あいに出かけた日を思い出した。あの日の早朝、窓から眺めた月と同じだ。

 鍬の重さによろけ、炎天下の雑草取りで手指の筋を痛め、日照りに苗をからし等々、困難を乗り越えての収穫の喜びは何物にも代えがたい、と喜ぶ友、その収穫の喜びだけを分けてもらうのは少し気が咎めた。せめてと、手伝った畑の草刈りもけっこうな重労働で泥だらけ、汗だらけになった。

 風に揺れる木々の葉に跳ねていた光の粒も消え、辺りにうすい闇が漂う頃、労働を終えた友人、友人のご主人、私は、さっきまで畑で元気に生きていた野菜たちが並ぶ夕食の卓についた。にわかながら「一日の糧は自らの手で」を実践できたことの満足と充実感に感謝しながら。

 空一面に悠然と浮かんでいた雲の群れはいつの間にか消え、遠くの山なみがやがて紺色に沈んでいく。家は深い闇に包まれ、静寂があたりを浸した。

 毎日繰り返されるこんな昼と夜の巡り。都会にはない静けさの中でふと考えた。この農作業そのものが、生きるということではないのかと。抜いても抜いても雑草は生える、また抜く、これは未来永劫続く時の連なりに似てはいないだろうか。私たちは目の前の今日一日やるべきことをやって過ごす。これをずっと続けていくことが、人の一生ではないのかと。

 友人の話によると、ススキの穂が風になびくころになると、山は急速に秋へと進み、風の強い日は、たくさんの落ち葉が雨のように激しく屋根を叩いて降り注ぐのだそうだ。

  早朝に眺めた白い月は、今日も秋近い南会津の山々を照らしているだろうか。

       

         おわり


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#シロクマ文芸部
#今朝の月

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