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イーハトーブを旅して

 新花巻駅で新幹線からおりた。「新」という字のつく駅共通の人工的で
ちょっとよそよそしい印象の駅だった。町に駅ができたのではなく、
いきなり駅ができて、まわりがまだそれに慣れていない、というような。
売店で、宮沢賢治記念館行きのバスがあるか聞くと、タクシーか、歩くしかない、とのこと。
 「ほら、あの山の上に見えるでしょう?屋根が。あそこですよ」
と教えてくれた。
 だいぶ遠い。でも、歩いてみよう、天気はいいし、と、アスファルトの
道を歩き始めた。道がぬれているのは雨あがりのせいかと思ったが、
雪がとけて流れだしているのだった。その証拠に、まわりの田んぼには、
まだ砂糖菓子のような雪がところどころに残っていた。 車は通るが、
歩いている人は見事にだれもいない。空気は細かい寒さの粒子が
つまっていて、肌にふれるとそれがはじけるような冷たさだった。


   電車などめったに通りそうもない踏切りを渡り、坂を登っていくと、
20分くらいで広い駐車場の向こうに「銀河ステーション」とかかれた
入り口が見えた。宮沢賢治童話村だ。
 聞こえるのは、中年の女性が雪掻きをしている、ザアッ、ザアッという
規則的な音と、鳥の声だけだ。誰もいないのではないかと不安に
なりながら入り口を入ると受け付けの若い女性が「いらっしゃいませ!」
とニッコリ迎えてくれた。
 最初の部屋は、ファンタジックホール。壁の4つのモニターが
イーハートーブの世界を写し出している。次が「宇宙の部屋」。
小型のプラネタリウムといった感じで、藍色の壁や天井や床に
様々な星がチカチカと光っている。次が「風の部屋」。ここが
一番気に入った。周囲の壁には雲が舞い、ガラスの床の上に立つと
足下に川や野原や海や家々が流れて行く。ちょうど風に乗って
飛んでいるようだ。ふと見ると木の下に賢治の姿が・・・
たった一人のわたしと、たった1人の賢治が、風の舞う野原で
ふと出会ったような錯覚におちいった。
 

 道路を渡り、右の坂を登っていくと、宮沢賢治記念館だ。
ここには10人位の見学者がいて、少し観光地の雰囲気があった。
展示室でまず目についたのは、様々な宝石の原石だった。そばに
モニターがあり、手前のボタンを押すと、それぞれの宝石の説明と
それが賢治の作品にどのように使われているかが紹介された。
琥珀は、暖かくなっていく夜明けの空、サファイアは銀河の小ジャリ、
トルコ石は青空、そしてその表面の筋を見て、空にも亀裂ができて
裂けるのではないか、と考えたという。彼は科学者でもあったのだから、
そういう発想は矛盾のようにも思えるが、賢治にとっては、科学も
また、壮大なロマンの一部だったのだろう。もしかしたら彼は、
現実の中から夢をつかみ出す天才だったのかもしれない。
 賢治の直筆や、複製の原稿もいろいろ展示されていた。その丸っこい
素朴な文字は、「セロひきのゴーシュ」や、「銀河鉄道の夜」を
書きあらわすのにピッタリに見えた。

 近くにイーハトーブ館もある、と聞いて、坂をおりて行くと、
白い建物が見下ろせた。そして、その背後には冬枯れの畑と林が拡がっていた。展示室の人工的な直線を見なれた目には、その風景が新鮮で、これこそ、賢治にイーハトーブを連想させた風土だろう、と思われた。
 葉の落ちた落葉樹のホワリとやさしい茶色の枝々、その間に
チャコールグレイの杉の木々がツンツンと絶妙のバランスで立つ。
その背景には、白い雪化粧をした山々がつらなっていた。陽の光が
あたると、グラフィックソフトでそこだけ選択して、シャープという
フィルタをかけたように、山は一層明度をあげてかがやいた。
  
 帰りはタクシーを呼んで、と思ったが、この自然にもっとふれて
いたくて、また駅まで歩くことにした。駅に着くと、待っていたように
曇り始めていた空からみぞれまじりの雨が降り出した。そして、さっきまでわたしの目を楽しませてくれていた、山も木々も、すっかりかすんで見えなくなり、イーハトーブは霧の中にすいと隠れてしまった。
 

           おわり 
 

一度、投稿したものですが、今の季節にぴったりで、気に入っている文章なので、再度アップしました。実際イーハトーブに行ったのはもう10年以上
前です。交通事情などは変わっているかもしれません。
                                           


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