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朝日中学2年1組(1)

 「起立!」クラス委員の細野の声に、43人の生徒たちはガタガタと椅子をならして立ち上がる。「礼!」で、それぞれの頭の下げ方で一礼、「着席!」で、またガタガタと椅子をならして座った。
 軍隊式のかけ声に抵抗を感じ、「私の授業ではやめさせています」という教師もいたが、尚子はそのやり方を守っていた。生徒に、これから授業だ、と自覚させるけじめとして、必要だと思っていたからだ。いつ始まっ
たかわからないような始まり方では、だらだらと集中できない生徒を相手に、結局教師が苦労することになる。

 野川尚子が朝日中学に赴任したのは、もうすぐ30歳を迎える春だった。大学を卒業して、一流とよばれる会社に就職したものの、わりあてられたのは決まりきったデイスクワークだった。40歳になる先輩も、自分とさほど変わらない仕事を続けている会社に嫌気がさし、思い切って退職した。しかし、次の就職先はなかなかみつからなかった。立て続けに入社試験に失敗して、あせりを感じ始めたとき、教員免許をもっているのを思いだした。教師などやりたくない・・・子供は苦手だし、責任が重すぎる・・・。しかし、贅沢はいっていられなかった。免許状をもって市役所の教育委員会にでかけてみると、ちょうど朝日中学で英語教師が不足している、ということで、
講師として即、採用になった。公立中の教師が、こんなに簡単に決められていいのかと不安になるほどだった。

 朝日中学はO市の西南部にあった。創立されてまだ5年、学校のまわりの木々は支柱にささえられ、どこかよそよそしく、人工的な印象をうけた。まばらに花をつけた桜の木は、細く、たよりなげで、まだ桜という自覚にめざめていないように思われた。たんぼを埋め立てて出来た校舎は、白い壁が夕日をうけて、威圧的に光っていた。

 校長室に通されると、やせて小柄な校長の望月は、にこやかに白いレースカバーのかかったソファをすすめた。

 「やあ、野川先生ですか。よろしくお願いします。
 先生は何年生の受け持ちが御希望ですか?」
 「あの、2年生を・・・」

 悩んだあげくの選択だった。初めて英語に接する1年生に教えるのは、責任を感じるし、3年生の受験指導は気が重い。2年生が一番気楽だ。望月は一瞬、意外だという顔をしたが、すぐにまた笑顔をうかべると、慰めるように言った。

「そうですか。うちの生徒は
みんな素直で素朴ですからご安心ください」

 数日後の始業式で、初めて2年生の生徒たちと顔をあわせた。2階の階段の降り口にコミュニテイ広場と名付けられた、教室2つ分程の広さの板敷きのスペースがあって、生徒達はそこに集められ、担任の指示に神妙に従っていた。新任の挨拶は無理して英語でした。足のふるえがズボンの布を通して生徒にみつからないのを祈りながら・・・

 職員室での机は2年の担任教師席のはずれだった。なにか無理に付け加えられた場所のように感じた。授業の始まる少し前に、英語係の生徒が、「失礼します」とあらわれ、持ち物や教室での準備をきいた。「特にないからいいわ」と返そうとすると、
「教科書持ってかなくてもいいんですか?」
 ととがめるように言った。他の教師を見ていると、当然のように教科書を渡す。プリントを渡して、配っておきなさい。とか、教材室によって世界地図持って行って。とか、視聴覚室にチャイム鳴る前にクラス全員を移動させておくように。とか指示を与えている。先生とはえらいものだ。教科書さえ生徒に持たせて手ぶらで教室に向かうものだと初めて知った。

 2年1組の英語係は、細野と鈴木だった。細野は背が高く、スポーツ刈りで、生真面目な顔をしていた。時々口臭がしたから、神経が細かくて、胃炎になるのかもしれない。鈴木は中肉中背、まつげがクルンとそりかえり、浅黒くしゃくれた顔をしていた。彼はいつも細野のあとに従ってひょこひょこと職員室にやってきた。
 2年は3クラスあったが、それぞれクラスの特徴があり、その違いに驚かされた。1組は無邪気、2組は静か、3組はおとなっぽくて、教師の駄洒落を好んだ。1組が一番教えやすい、というのがおおかたの教師の意見だった。しかし、新任の尚子はその無邪気さに手を焼くことになった。私語が多い。落ち着きがない。その中で、太田は特に目立つ存在だった。とにかく話を聞かない。近くの生徒と、のべつ話している。注意をすると、こばかにしたような薄笑いを浮かべて、つかの間口をつむぐが、5分もしないうちまた話し始める。鉛筆で前の生徒の背中をつつく。プリントを配って、皆がシンとしてやり始めても窓枠によりかかった姿勢のまま、「こんなのやんねぇ
よ」とうそぶいた。

 もっと授業を工夫したら聞くようになるかもしれない、と、ゲームや
クイズなどをとりいれてみたが、太田の落ち着きのなさと反抗的な態度を
変えることはできなかった。丸い目、小太りの身体、少しカールした髪、どちらかというと、幼い印象の少年の口から吐き出される言葉は、尚子を傷つけ、眠れない夜を過ごさせた。

            
          (その2)へづづく

朝日中学2年一組(2)

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