上等なウィスキーはゲロの味がする

百合小説ですが、恋愛小説とは言い難いです。セクシュアルマイノリティについて言及していますが、作者は当事者でなく、知識などに不足があるかもしれませんので、気になさらない方のみどうぞ。



社会人3年目のナツキとミチルは大学からの友人同士だ。2人は大学のサークルで出会った。何のサークルかというと、LGBTのコミュニティサークル。ナツキは同性愛者で、ミチルは多分、アセクシャル。他人に恋愛感情や性的な欲求を抱かない。おそらく。…というのは、あくまでもこれは現時点での回答だからだ。もっともっと思索を重ねれば、よりふさわしい名札が見つかるのかもしれない。けれどもミチルはこの当てのない探し物に少しばかり疲れ始めていた。
遡ればいつからだろう、ミチルは自分の身の置き所を探していた。サークルに入った大学生から?LGBTという用語を知った高校生から?それとも思春期の入口である中学生?いやもっと前かもしれない。とにかく、これまでの人生の紆余曲折を経て、「自分は人を”そういう意味”で好きにならない」とミチルは考えた。いや、なにも決めつける必要はないのかもしれないけれど、一旦ゴールにしようと
ので、ナツキにそのように報告した。ナツキは、「そっか」と笑って、「少しは楽になったならいいけど」と笑った。ナツキは大学時代に浮名を流しまくっていた割に、結構ドライな人だ。切った張ったの大恋愛も一度や二度じゃないというのに、その言動からは恋愛に翻弄される側の人間にはとうてい見えない。人を愛する気持ちがいまいちわからないミチルからするとなおさらだ。

でも、こんなナツキは、真実そんなナツキであったのだ。「でも私はミチルが好きなんだけど、どうしよう?」ナツキは、うららかな午後のカフェ、ミチルの告解を受けたその場に、突然爆弾を投下した。この時のナツキのさらりとした声といったら!繰り返すが、ミチルにはナツキが恋愛、しかも自分を相手の恋に!ずっと翻弄されていたなんて思いもよらなかったのだ。本当に。ちっとも。
「どうしようもないよ」ミチルはどうにかそれだけ絞り出した。確かにナツキは一番の親友と言って差し支えないが、だとしても四半世紀かけて出した回答をひっくり返すことはできない。ない袖は振れない。ナツキはミチルに振られるのだ。
「まあどうしてほしいわけでもないからね」しかしナツキは平然と言った。どういうことなのかミチルにはわからない。
曰く、「ミチルの一番の親友は私だよね」「そう」「じゃあそれでいい」。

ミチルの中にある親愛で、一番の椅子に座っているのはナツキ。ナツキの中にある親愛で、一番の椅子に座っているのはミチル。それだけで満足なのだとそう言う。
「親愛の形が食い違うことなんて誰にでも起きうることでしょ。たまたま私とミチルじゃお互いの一番が随分とかけ離れているように見えるかもしれないけど。そんなの当たり前のことなんだ」
それも一つの真理なのかもしれないとミチルは思った。
愛の形が似通っているふつうのカップルでさえ、「愛しているならそんなことしないで」で飽きるほどにいさかいを起こしている。ドラマにもならないだろうくらいありふれてつまらない痴話喧嘩。「君の好きと僕の好きの形ってちょっと違うよね」という事実からは目をそらして、同じものを等価交換していると信じるから生まれる不和。なら、最初から違うものをやり取りしているのだって考えていた方が、いっそ誠実なのかもしれない。
お互いの椅子の形が違うとしても、それがお互いの心の中でいっとう良いやつだってお互いに分かってる。愛を冠する関係のすべては、その確認をすることに終始している。

一番の椅子を明け渡したあとも、ナツキとミチルの関係は相変わらず穏やかに続いた。今までと何も変わる気がないから当然といえば当然だ。強いて言えば数回、ちょっとだけ踏み込んだような会話をした。
例えばこんなふうに。

「ナツキはいつからそういう風に思ってたの?」「大学の…いつかな。そんなに最近ってほどでもない。きっかけもそんなに覚えてない」

「私がずっと好きだったと言うわりに、随分いろんなひとと遊んでいたような気がするけど」「大学生なんてそんなもんなんじゃないの。きっと私も必ずしも愛情が肉体関係に結び付くっていうわけじゃないタチなんだ。ミチルと真逆な意味だけどね」

「もし、もしも、私に別の好きな人ができたりしたら、どうする」
ミチルのこの質問にナツキは詰まった。途方に暮れたような顔をして、「結構泣くかも」とだけ言った。すこん、と脳にだるま落としを喰らったような衝撃があった。どうやらナツキは本当に恋とやらに振り回されているらしい。どんな話をしていても淡々とした冗談を飛ばしていたあのナツキが。答えに詰まって、冗談だかなんだかわからない答えを返した。こんなへっぽこな会話劇をナツキもするんだ。果たして今度は、ミチルが「そっか」と言う番だった。

ふたりの目の前の穏やかな日常はいつも通りだったけれど、ナツキとミチルは、この世界における運命の相手と呼ぶにはあまりにも嵌っていなさすぎる2人だった。無理にはめ込んだパズルはいつか爆発するものだ。当然、2人にもそんな日が訪れる。

ナツキはあの爆弾を落とした日からもずっと、そうずっとだ、悪びれることなく不特定多数の対象と性交渉をしていたのである。確かにそういうふうに語っていたのを自分の耳で聞いていた。何も変わらなかったとも感じていた。しかし本当に何一つ変わっていなかったとは恐れ入る!

件の日より以前は、ミチルはナツキにちらほらそういうエピソードトークをねだり、自分だったらどうかと当てはめて考えることがあった。なのでナツキがどういう人間なのかはよく知っている。けれども、「あなたが好きだ」と告白したからにはそういうものだと思っていたし、その上ミチルの自己探求もひとまず回答を得ていたことも手伝って、わざわざ話題にすることもなくなっていて、てっきり遊びはやめたのかと思いこんでいた。というか、それが普通なのではなかろうか。だって、一番の椅子をあげたんだから、その席を空けるような真似をされたら悲しい。違うだろうか。

「いったいどういうつもりなのさ」「別にどうもこうもない…」
確固たる証拠の数々をつきつけてミチルはナツキに迫った。といっても本人はまるで隠す気がなかったようで、ちょっと探せば証拠はいくらでもみつけることができた。そのあけすけさがミチルにとっては腹立たしい。
「やめろだなんていわれた覚え、ないんだけどな」「確かに言った覚えはないけど」
しかしそういう問題ではないのだ。
「ちゃんと確認しなかった私も悪い。けど、普通だったら控えるのが誠意とか…なんじゃないの」
冷静になって考えればなんと心無いセリフであっただろうか。”普通”だなんて、ナツキとミチルの周りじゃあもっぱらナイフとして振りかざされていた言葉だったし、それで何度も血をながしていたのは自分たちなのだ。だから、その威力はよくわかっているはずだったのに。どうして人は自分の願望にそんな刃物をかぶせて誰かにつきたてられるんだろう。

「誠意」
ナツキがそれだけつぶやいた。力ない声だったが、冷たく響く一言だった。空気が軋む音が聞こえるんじゃないかとミチルは思った。軋んでひびの入ったナツキの口から言葉がこぼれだすのは、あっという間。
「私の好意にそういうのが含まれてることは知ってたくせに」「いらないって受け取らないのはミチルだよ」「捨てられたら捨てられっぱなしでいるのが、誠意?」
パズルのピースを無理やりはめ込んだらどうなるのか。凸凹がひしゃげたり、傷がついたり、もげたりするだろう。二人の間のかみ合わないパズルで削られていたのは、ナツキの方だった。
「それでもミチルが一番だよ。それじゃダメ?」
要らないって言うのになんで?困ることはなにもないのになんで?今までは平気だったくせになんで?これまでと何も変わらないのになんで。なんでダメなの。
ミチルの返事を押し流していく「なんで」の奔流は、きっとずっとナツキがせき止めていたもの。ダムが決壊したのは、ミチルがナツキの心を傷つけて、破ってしまったからだ。ミチルが全部悪い。
「うるせぇ!」
うるせえ!と思った。そもそも私の好意にそういうのが含まれないのはそっちだって承知の上でしょうが。早々に性を楽しんでいたそっちに比べて私がずっと迷子みたいに悩んでいたのもよく知ってるでしょうが。それでいいって押し切ったのはそっちでしょうが。ミチルが全部悪い?本当に?
瞬間沸騰した感情は、怒りだったようにも思えたけれど、ミチルにとってナツキが一番大事な人で、怒りに任せて怒鳴ったりなんかしてこの人を失うことなんて全然耐えられないのは本当なんだから、もしかしたらこれはとんでもなく煮詰まったごめんなさいだったのかもしれない。ごめん。応えられなくてごめん。なのに嫌なものは嫌でごめん。キッチリ振ってあげられるような強さもなくてごめん。今までと変わらないよって言葉に甘えてナツキの一番の椅子に安住してごめん。でも、まだ座っていたくてごめん。うるせぇなごめん。ごめんって言ってるじゃん。
いつだってひとの感情なんて縺れきって結局なんなのかわからなくなりがちだ。
とにかく、負けじと吹き上がった感情にミチルは身を任せ、勢い身体が動いた。古今東西うるさい口をふさぐものなんてたった一つしかない。

瞬間、ミチルは嘔吐した。そのくらいミチルにとっては異常で、ありえないスキンシップだった。やってやらいでかと思っての行動だったので後悔はない。すがすがしいファーストキスだった。
ナツキはというと、顔面を吐しゃ物まみれにしながら笑っていた。いや泣いていたのかもしれない。数えることも忘れた行為だろうが、到底忘れえない一回になったことでしょう。
「こんなんでも嬉しいと思えるなんて終わってる」
やっぱりどちらかというと泣いていたようだ。

文字通り冷や水をぶっかけられて、二人の喧嘩はしぼんで消えた。
相変わらず「お互いの一番がお互いならそれでいい」という姿勢で今日もどうにかやっている。
ナツキはほかの人と遊んでいる様子が一切見られなくなった。そういうのはすっぱりやめてしまったみたいだ。いやもしかしたら、巧妙に隠すようになっただけかもしれない。なんにせよ、ナツキは自身が削れて傷むのを承知で、一歩ミチルに歩み寄ったと言えるだろう。
だからミチルも時折はナツキには「普通」だったら許さないようなスキンシップを認めることがある。ナツキの当たり前からしたらきっとぬるま湯のようなそれにおっかなびっくり浸かることがミチルの歩み寄りである。
この選択が正しく釣り合っているのかも、そもそも正しいものであるのかはわからない。なぜって最初から二人は嵌まりっこないピース同士なのだから。無理やり押し込んでも爆発して、ひしゃげて、ダメになってしまうのがわかり切っているのだから。それでも、心がどうしたってお前が一番というので、いつかうまいことパズルが解けやしないかと、ただ二つ並べて遊んでいる。

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