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【時に刻まれる愛:2-8】心に刻め

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サタデーランチ

母のアトリエの裏には、薔薇の庭園がある。

そこに、ちょっとしたテーブルが置いてあって、ボクらはそのテーブルでよくランチをした。

決まって土曜日。
父と母とボクの3人で、そのテーブルで昼食を摂った。

まるで、母が描いていた絵のように、ボクらは毎週のその時間を楽しんだ。

いつも土曜日に、薔薇の庭園で食べるランチには、母がサンドイッチを用意してくれた。

そして、ボクも父も、母のとっておきの一品を心待ちにしていた。
スープだ。

城にはもちろん大きなキッチンがあるのだが、このアトリエにも小さな台所があって、城で下準備をしたスープを、母はこのアトリエに持ってきて仕上げてくれたのだ。

いつも穏やかで、優しい母が作るスープは、ボクらの心を温めた。

父の一週間

父も母も、習慣を大切にしていた。

母は、城での優雅な生活を楽しみつつも、やるべきことはきちんとこなしていた。

そのため、お手伝いさんたちからも、すこぶる評判が良かった。

きっと、もっと楽をすることもできたのに、お手伝いさんたちと一緒に、城の中での仕事を懸命にこなし、周りの人を気遣った。

現在の母の病気がいつ頃から発症したのかは分からない。
本当は、城にいた時からその病気があったのかもしれない。

いずれにしても、あの頃はまだ母も動き回れる体力があったから、なんでもしっかりとこなしていたのだ。

そして、そんな母に負けないくらいきっちりとしていたのが父だ。

父は月曜日から金曜日。
朝7時には家を出る。

6時前に起床し、早々と朝食を済ませて、家を出るのだ。

家から会社までは1時間ほどらしい。
会社は9時から始業ということなのだが、父は誰よりも早くオフィスに行きたがった。

その理由を、父はこう教えてくれた。

『お父さんは社長だからな。
 
 怠けることもできるが、
 そんな人間に
 誰が付いて来るというのだ。

 仕事と給料を与えている
 と思ったことはない。

 力を貸してもらっている
 といつも感謝している。

 それに、
 お父さんはそもそも、
 仕事が好きなんだ。

 頑張ってなんかいない。
 ただ、夢中なだけなんだ。』

この言葉をボクはすごく覚えている。

それは幼い頃で、深くは理解していなかったかもしれないが、この言葉はボクに勤勉さの意味を教えてくれた。

だからボクも、小さい頃から熱心に勉強に励んだ。
父の背中を追いかけるように。

そして父は、土曜日と日曜日には、ボクや母と過ごす時間も大切にしてくれた。

仕事の時間、食事の時間、遊ぶ時間など、とにかく父は時間をきっちり管理していたように思う。

きっと外から見れば、父は豪快な大富豪だっただろう。
でも、実のところ、父ほど繊細で真面目な人をボクは知らない。

父の遅刻

そういえば、そんな父が一度だけ遅刻をしたことがあった。

土曜日のランチ。
普段なら12時ぴったりに、母のアトリエの裏で、ボクらは昼食を摂る。

でもその日、ボクと母が待っていても、父は現れなかった。

1時間を過ぎても父が現れず、母も、珍しいわねと言った。

仕方なく、ボクと母は二人でランチを楽しんだ。

それから少しして、父が中庭の方から走って来るのが見えた。
アトリエの扉はいつも開放されていたから、アトリエの裏の庭園からも、父が向こうから走って来るのが見えた。

父は息を切らしながらボクらに言った。

『申し訳ない。
 どうしても
 片付けたいことがあって。
 申し訳ない・・・。』

今思えば、あの地下室で、重要な業務をこなしていたのかもしれない。

もちろんその時は、そんなことは知らなかったし考えもしなかった。
ただ、幼いながらも、いつも時間を守る父が一度遅刻をしたくらいで、こんなに謝る必要はないと思った。

ボクは言った。

「お父さん、
 そんなに謝らないで。
 お父さんが来てくれて嬉しいよ。」

それでも父は、何度も何度もボクらに詫びた。

母がそっとグラスに水を注ぎながら父に微笑む。
父は母を見つめ返し、また遅刻を謝りながら『ありがとう』と言った。

引ける男

父のこんな一面が、ボクにとってはさらに憧れの理由となっていた。

完璧に見える父でも、小さなミスをすることはある。

そして、それが仕方のない理由だったとしても、素直に謝ることができる。

強がったり、妙なプライドを振りかざすことはない。
父はいつも、正しい行動ができた。

そう言えば、父にチェスを習っていた時に、こんなことを言われたことがある。

『引く時は引く。
 それができるのが
 本当の強さなのだ。』

あれは、チェスの戦いだけに限ったことではなかったのかもしれない。

父はいつも、目の前の課題を通して、もっと大きな意味で大切なことをボクに教えてくれていた。

・・・そうだな。
父が遅刻をしたのは、土曜日の、あのランチだった。

・・・なんで、急に思い出したんだろう。

「・・・こ、これか!?」

ボクは、ある存在を思い出した。

第二のヒントにあった懐中時計の時刻だ。

その時刻は第二のカードの内容と一緒に、二番目の手紙の裏に記録したはずだ。

ボクは二番目の手紙の裏側を見た。

お前がかち
4th

1時15分

たしかに、あの日、いつもの12時のランチを、父は1時間ちょっと遅刻した。
つまり、父がこのアトリエに来たのが、ちょうど1時15分くらいだったはずだ。

何かのヒントなのだろうか。

カードや懐中時計のヒントについては、今まで全く謎に包まれていたが、ここで少し何かを見出せた気がした。

ということは、第一のカードについてはどうなのだろうか。

時の教え

ボクは、一番目の手紙の裏を確認した。

宝は
1st

12時10分。

「12時10分っていうと、
 昼食を少し過ぎた時間・・・。

 ・・・あ、そういえば・・・。」

ボクは、また別の日のことを思い出した。

それは、同じくこのアトリエで、父と母とボクでランチをした、別の土曜日の記憶。

ボクはその日、どうしてもアトリエの中で食事がしたいと言い出していた。

外は晴れていたのだが、気まぐれな子供心のせいか、いつものようにアトリエの庭園のテーブルではなく、アトリエの中のテーブルで食事をしてみたくなったのだ。

父はボクに言った。

『アトリエの中のテーブルは、絵の具などが散らかっているから、すぐには準備できないだろう。昼食の時間に遅れてしまうぞ。』

今となっては、せっかくの土曜日、3人で食事ができるのだから、裏庭で食べるのか、中で食べるのかなんて、意地を張るようなことではなかった。

でも、その日のボクは素直に言うことを聞けず、意地を張った。

そんなボクを見て、父と母の方が折れてくれた。

アトリエの中のテーブルを片付け始めると、そこにランチをセットしてくれた。

父と母は、もう怒っていない。
それなのに、幼かったボクは、自分で張ってしまった意地を引っ込めることができなかった。

そして、不用意に、こんな言葉を吐いてしまった。

「ほら。
 10分くらいで準備できたでしょ。
 たったの10分しか遅れていないよ。」

父は、ボクを見つめたまま少し黙っていた。

今振り返ると、あれは・・・、次の言葉をボクにあの場で言うべきかどうかを、少し悩んでいたのだと思う。

父は、決意したように口を開いた。

『たったの10分・・・
 そう考えるな。

 たしかに、今日の、
 この場での10分の遅れなんて、
 大したことはない。

 でも、人生では・・・
 時間の油断は、
 お前を有利にはさせない。

 心に刻め!』

父のこの言葉は、後にも先にも、もっとも厳しいものだった。
こんなに厳しい言い方をされたことは、他に無かったと思う。

あの時、父みたいに、ボクも素直に謝れば良かった。

でも、あの日はずっと意地を張っていて、ランチを終えると、ボクは城の方に一人で戻って行った。

少し・・・
いや、かなりの後悔だな、あれは。

父の言うように、時間というのは、それが過ぎ去ってみると、余計に大切に思えて来ることが多い。

こうして時が経てば、父と過ごせた短い時間の一部を、あのように険悪な雰囲気にしてしまったのは、とてつもない後悔だ。

それがたとえ、30分や1時間という、その時には大したことのない僅かな時間であっても。

「・・・。
 そうだ。
 あれは、12時10分だ。」

ボクは、もう一度、一番目の手紙の裏に書いた、第一のカードの内容と懐中時計の時刻に目を落とした。

宝は
1st

12時10分。

「お父さん、ごめんなさい。」

あの時に言えなかったことを言ったつもりで、そう口にした。

ちょうどその時、薔薇の庭園のスプリンクラーが、またシャンシャンと音を立てて動き出した。

その、時間に正確な設備が、薔薇の美しさを何年も保ってくれていた。

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