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【時に刻まれる愛:2-12】父が伝えたかったこと

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頭の良い男

ボクが学びを得るための本に、びっしりと赤いペンで詳しい解説を書き込んでくれていた父。

その赤い加筆を見ていると、もういない父のことを考えずにはいられなかった。

そういえば爺やが昔、言っていたな・・・。

『お父上はいつも、
 正しい判断をされていました。』

これは、爺やとボクが、共に住む隠れ家でチェスをしていた時の記憶。

ボクも頭の回転には自信があるのだが、爺やも本当に賢い。
チェスではいつも、爺やがボクを最終的に打ち負かしていた。

ある日、ボクは爺やとチェスをしながら聞いたのだ。

「ねぇ、爺や。
 お父さんもチェスが強かったよね。

 やっぱり頭が良かったのかな?」

すると、爺やが答えた。

『お父上はいつも、
 正しい判断をされていました。』

爺やがチェスの駒を有利に進めた。

ボクは、次第に負けが分かってきて、会話をこう続けた。

「やっぱり、
 ボクよりお父さんの方が
 賢いよね。」

ボクは苦し紛れに駒を動かした。

爺やは、もうすぐチェックメイトできそうなのだが、駒を動かさずに答えた。

『いえ・・・。

 確かに、お父上は
 頭の良い人なのかもしれません。

 しかし、それは、
 才能・・・だけではありません。

 お父上は、
 自分で決めたことに対して、
 責任と情熱を持って、
 最後まで取り組まれていました。

 その積み重ねは、
 誰にも真似ができないようでいて、
 実は、誰にでもできることでもあった・・・

 私はそう思っているのです。

 華やかな業績、
 幸せな家庭、
 豪華な邸宅・・・、

 そうした表舞台の裏側で、
 お父上は、
 ひたむきに
 ご自分を積み重ねておられました。』

あの時、爺やの言葉の真意が、子供のボクには少し難しかった。

ボクは爺やの次の駒を待ちながら、言葉を返した。

「うーん。
 でも、何を積み重ねれば良いの?

 ボクにはまだ、
 積み重ねられるようなものは
 何も無いよ。」

その自分の一言は、軽率な物言いだったと、すぐに気づいた。

ボクが訂正しようとしたその時、爺やが言った。

『坊っちゃま。
 チェックメイトですぞ。』

この日も、爺やにとどめを刺された。

あまりに強烈な、このチェックメイトは、すごく印象に残っている。

頭の良い二人の大人に、時を超えて何かを教えられたように思えたからだ。

爺やが話す、努力を積み重ねる父の姿。
そして、ボクをずっと見守ってくれている爺や。

今なら分かる。

爺やの言う通り、父は何事にもひたむきに向き合って積み上げていく人だったのだろう。

だからこそ父は、こんなに立派な城を建てることができた。

そして、父の字で赤い加筆がびっしりと刻まれたボクの本を見れば、父は子供の教育に対しても、自分ができることを考えて、コツコツと努力を重ねられる人だったのだと理解ができる。

自分の仕事、家族への責任、ボクへの教育・・・。

きっと、父に長年仕えた爺やもまた、そのような積み重ねができる人物なのだろう。

爺やも賢いし、ボクの身の回りの世話は、本当に器用に何でもこなしてくれる。爺やがサボったところも見たことがない。

だからあの時、ボクの迂闊な発言そのものに、頭の良い二人の男からチェックメイトと言われた気がしたのだ。

お祖父様の背中

その日、チェスを終えたボクと爺やは、ボクの部屋へと向かっていた。

隠れ家に住み始めた頃、ボクが眠るときには爺やはできる限り、ボクの部屋まで見送ってくれて『おやすみなさいませ。』と言ってくれた。

ただ、その日はボクの部屋に着くと、爺やが少し話を続けた。

『拓実坊っちゃま。

 私は、お祖父様のことも
 存じ上げております。

 お父上は努力の人ですが、
 お祖父様は
 天性の才能の持ち主でした。

 若い頃は、
 あまり頑張らずとも
 成績は常に優秀だったようです。

 その中でも特に才能を持っていた
 科学の世界へと進み、
 最終的にお祖父様は、
 お医者様になられたようなのです。

 お祖父様は、才能を活かしたお方。

 そんなお祖父様の話を聞いて、
 お父上は小さい時に、
 悩んでおられたようですな。

 自分には、超えられないのかと。

 ところが、
 そこからがお父上らしいところ。

 自分には、自分のやり方がある。

 そう考えたようで、
 才能ではなく、
 積み重ねる力を
 大切にするようになったのです。

 そこからのお父上の功績は、
 坊っちゃまもご存知のとおりです。

 人にはそれぞれ、
 生き方、戦い方、力の使い方、
 そのような違いがあるのでしょう。』

・・・ここまで言い終わると、爺やは我に返ったように慌てて言った。

『これは、失礼いたしました。
 つい、長話を。

 では、おやすみなさいませ。』

ボクには分かっていた。

賢い爺やが、思いつきでこんな話をしてくれたわけではない、ということを。

「おやすみ、爺や。ありがとう。」

ボクがそう言い終わる頃に、爺やは頭を下げながらボクの部屋のドアをゆっくりと閉めた。

一瞬のために何ができるか

なぜ、こんなことを思い出したのだろう。

10年ぶりに、城のボクの部屋に戻ってきてから、また色々と記憶が蘇ってくる。

ボクは、ボクが愛読していた物理の本の中にある、父の細かな赤い加筆をずっと見つめたままだった。

「こんなにたくさん書き込んでくれて・・・。」

考えてみれば、そうなのだ。

読む側のボクにとっては、父の赤い加筆のおかげで、難しい物理の本がすごく理解しやすくなっていた。

ただ、読む側のボクにとって、それは短い時間で読めるものだとしても、書き込む側の父は、その何倍もの時間を費やしたはずだ。

読むよりも、書く方が時間がかかる。当たり前だ。

子供の教育に力を入れたい親はたくさんいるだろう。
そして、やろうと思えば、自分の知識を書き加える作業は誰にでもできる。

でも、実際にそれをコツコツと重ねられる人は少ないだろう。

「そういうことか・・・。」

突然に思い出した爺やとの会話。
その中で浮かんできた父の姿。

これらが、直線で繋がる感じがした。

思えば、全てがそうだ。

あの頃、ボクらは当たり前のように、この城での生活を楽しんでいた。
ボクも、母も、働いているお手伝いさんや執事たちも。

みんな常に笑顔で、昨日も、今日も、明日も・・・、ずっと、この城での時間を楽しんでいた。

もちろんみんな、裕福な生活に感謝はしていたのだが、果たして十分に理解が及んでいたかどうか。

この城での生活を手に入れるまでに、父はどれほどの努力を重ねたのだろう。

辛いことも、葛藤も、難しい判断もあったのかもしれない。

喜びは一瞬。
そのために、どれほど積み重ねられるか。

これが、父の生き方だったのかもしれない。

でも、ボクにはそれが、辛い生き方だとは思えない。

この城にいた時、父も本当に幸せそうだったから。

もちろん、その時でさえも、その裏側では、また次の努力を重ねていたに違いない。

・・・物思いに耽っていると、窓の外で小鳥が鳴く声が聞こえた。

ボクは、しばらく見つめていた懐かしい物理の本をそっと閉じると、10年ぶりに本棚へと戻した。

その時、本棚の下の方の段に、雑に並べられた何冊かの本を発見した。

「ん?
 ・・・そ、そうか!」

ボクの中で、ある謎が解けようとしていた。

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