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男の娘は孕めない 『あまちん♂』考察

最強の男の娘にも決して超えられない高い壁が、ここにある。

かわいくて、かっこいい。男の娘は、イデア界に存在する究極の最強生命体である。しかし、完全無欠に見える男の娘にも、唯一にして最大の欠点というものが存在している。不死身のアキレウスにもかかとという弱点があり、それによって命を落としたように、男の娘はこの致命的な弱点によって持続性を持たない営みだと看破されてしまう。男の娘がかかえる唯一の弱点、それはずばり妊孕性の欠如である。

男の娘は、妊娠して子をなすことができないのだ。

妊娠できないことに一体どんな意味があるのだろうか。寺井赤音の男の娘マンガ『あまちんは自称♂』2巻第8話には、その意味が明瞭に示されている。

尊死(とうとし)の裏側に

この作品は、男子高校生として学校に通う最強の男の娘あまちんと、あまちんに振り回される幼馴染の上下タツミを中心としたドタバタラブコメディである。第8話、この回で初登場の新キャラ新居世界は、自身の溺愛する美少女ゲームのヒロインとあまちんがそっくりであることに気付き、あまちんとタツミの2人にゲームのシーン再現をして見せてくれないかと頼み込む。このとき、あまちんが台本として渡されたゲーム攻略本をぺらぺらめくって、「看病」「肩車」「姫だっこ」など様々なシーンを見てときめくのだが、次に見たシーンに衝撃を受ける。それが、「愛沢ここなつ 究極(アルティメット)♡ルート 子だくさんエンド」だ。

子だくさんエンド

衝撃を受けたあまちんを表現した1ページの大コマが実に象徴的だ。ギャグマンガである本作では毎話のお約束として、ときめきで興奮したあまちんが「勃つわー!」と叫ぶのだが、この第8話では、子だくさんエンドを見たあまちんは「勃っ……」と言いかけて口から血を垂れ流すという描写になっている。同じコマに「死亡(バッド)エンド!!!」という突っ込みも入っていることからも分かるように、これは(比喩的に)死ぬほどの衝撃を受けたということだ。

死亡エンドを迎えるあまちん

この表現には、どのような意味が込められているだろうか。

まず、ネタの繰り返し(天丼)というお笑いの技法が含まれるだろう。

直前で、あまちんとタツミによるシーン再現を見た新居世界があまりの尊さに「召されている」コマがある。尊すぎて死ぬというのは、尊死(とうとし)というネットスラングもある通り、オタクが創作物に対して贈る褒め言葉として一般的な表現だ。

召されている新居世界

あまちんは、新居世界と同じポーズで、目を閉じ、口から血を垂れ流しながら死ぬ。添えられたチーンという擬音まで同じである。あまちんの死は新居の死を丁寧になぞっており、しっかりと天丼していることが読み取れる。この表現は分かりやすく、多くの読者が容易に理解し楽しむことができるだろう。しかし、死ぬほどの衝撃という表現の天丼は、むしろ次の解釈の重さを和らげるための緩衝材、あるいはカモフラージュではないかと考える

その解釈こそが、男の娘は妊娠することができないという事実を突きつけられた衝撃である。

あまちんは幼馴染のタツミに惚れている。ほんの一例として、第4話でウェディングドレスを試着した際の「で?(タツミとの結婚)式はいつにしようか!!」「誰かこの人達止めてください!!」というギャグシーンで「明日?」と超乗り気だったことからも分かるが、相当に好いていることが伺える。しかし、そんなあまちんはタツミと共に「究極♡ルート 子だくさんエンド」を迎えることができない。今後の努力研鑽でなんとかできるとかいう次元でなく、どうしようもなく不可能である。なぜなら、あまちんは生物学的に男だから。

あまちんがどんなにかわいかろうと、強かろうと、あまちんはタツミの子を身籠ることができないのだ。

このような解釈を裏付けるのが、あまちんの比喩的な死に対する「死亡(バッド)エンド!」という突っ込みである。もしあまちんの死が尊死であれば、それはバッドエンドなどではない。素晴らしい創作物を目の当たりにして、悪い経験だったはずがないからだ。実際、新居世界の尊死にバッドエンドという突っ込みはない。しかし、あまちんに対しては「バッドエンド」という突っ込みがなされている。なぜなら、子だくさんエンドがあまちんにとって、どれほど選びたくてもたどり着けない、人生の選択肢としてポップアップしないルートであることは、紛れもなくバッドだからだ。「バッドエンド!!!」という突っ込みは、あまちんがこれからどう頑張ったとしても子だくさんエンドのような未来(ルート)を手に入れることができないという、男の娘の宿命に対する絶望の叫びだったのではないだろうか。

あまちんは男に生まれたがゆえに、タツミとの子をなすことが原理的に不可能であるという事実。これは、直視するにはあまりに残酷な現実であるように思う。作者もその残酷さに気付いていたからこそ、描き方を工夫した。ギャグマンガという媒体であるという保険に、さらにネタの天丼であるという文脈上に位置づけるという2つめの保険を重ねた。この二重の保険によって読者の視線を誘導し、裏側に潜んだ残酷さに素手で触れてしまうことを防いだのだ。そこへたどり着く手がかりを残して。

ちょっと脱線するが個人的な感想としては、この話を2巻冒頭の第8話で展開した作者の寺井赤音の構成の素晴らしさを絶賛したい。1巻ではあまちんという男の娘の性格、強さ、魅力、終盤にはかわいい弱点を見事に描いている。それを踏まえた上で、2巻冒頭で男の娘の持つ致命的な弱点を白日の下に晒した。その後すぐに次の第9話で男の娘の新キャラ滑川くんを導入し場を盛り上げ、話に広がりを持たせている。このような構成は、計算された話数管理があってこそのものだろう。

まとめよう。さらりと読み流してしまえばめちゃくちゃ笑えるギャグマンガのワンシーンでも、そのベールを剥ぎ取って、あまちんの置かれた厳しい現実を見つめることは確かにハードな試みだ。しかし、男の娘は妊娠することができないということ、これは男に恋した男の娘すべてに共通する、不可避の限界点なのである

さて翌日、学校であまちんは件の美少女ゲームをやりこんでいて、新居世界のアプローチに全然気が付かないというオチで第8話は終わる。残酷な現実を突きつけられながらも、それをものともせずに、ショックの元凶である美少女ゲームを次の日には純粋に楽しむことができるタフさを持ったあまちんはやっぱり最強だし、そんなあまちんが私は好きだ。

おまけ① 二次元にある限界突破

世の中には、こんなノベルゲームがあるらしい。

女装山脈(リンク先18禁注意)
トンネルを抜けると、そこは女装の村だった!

不思議なトンネルを抜けて、主人公が迷い込んだ山間の村。
その村には男と男の娘(この里では女の子に相当)が恋愛し結ばれる奇妙な因習があった。
一人だけ一般常識をもつ主人公は逃げ場のない場所で男の娘に囲まれ、自分の常識が大いに揺らいでいく。

この作品、なんと作中で男の娘が妊娠する。この衝撃的な作品を生み出した作家は、同じゲームブランドでさらにいくつかの男の娘作品を生み出したのち、現在も別のブランド名で妊娠できる男の娘たちを描いているようだ。

このような男の娘が世に登場したのも、ひとえに男の娘に妊孕性の限界点を突破してほしいという切実な願いがあってこそだろう。……いや、単に男の娘が妊娠したらエロいからというだけかもしれないが。

おまけ② 三次元にある相似形

男に恋した男の娘は妊娠できないことによって躓くという話は、あくまで二次元での話だが、三次元にもほとんど同じような例が存在している。

MtFでトランス(性別移行)の完了した女性が、男性と結ばれようとした場合である。

生物学的に男性として生まれたが、後天的に手術で女性に(Male to Female : MtF)なることを選択した元男の女性は、現代の技術的限界のために生殖機能を失ってしまう。そのため、戸籍の性別を変更し法的に男性と結婚できる状態になっても、子をなすことができないのである。

小西真冬が自身のトランス体験を記録したエッセイマンガ『生まれる性別をまちがえた!』では、以下のような苦悩をうかがい知ることができる。タイでの性別適合手術のさなか、ダイレーション(1ヶ月弱に及ぶ手術の流れの中で経験する行程のひとつ)の痛みと苦しみの中で不安が爆発した際に脳内を駆け巡った思いとして、

女として自力で排泄すら出来ない……
こんな痛い思いをしなければ女になれない……
いや違う
どんなに頑張っても女にはなれない
女のような何かになるだけだ――。

という独白と共に、子に恵まれた男女夫婦を悲しそうに見つめる自身の姿、そして下を向いて自分の腹をさする自身の姿のイメージを描いている。

妊娠できることは、連綿と続いてきた人間社会において未だに環境トップティアーの最強能力のひとつである。もしこれを獲得することを望むのならば、文字通り生まれたときからやり直すしかない。

それでは来世にご期待ください! と言い切ってしまうのは容易い。しかし、その前にまずはこの現世の自分を受け入れて、そのどうしようもなさと共に歩んでいきたい。

そう、あまちんのように。

(画像引用は『あまちんは自称♂』ニコニコ静画より。
紙で全巻買っているが電子の方が画質が良いため。)

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